ーミーンミンミンミン……。


今日もうるさいくらいにセミが泣き続けている。歩く足が暑く、よろよろと足取りが重くなる。


水が飲みたい……。


そう思いながら何とか歩き続けていた。最近の夏は予想以上に暑くなることが多くて、毎日生き延びるのに必死だった。


日陰があるところや水が飲める場所に行くだけで精一杯。


雨も滅多に降らないので、私の体はいつも暑かった。


ようやく川の近くの原っぱにたどり着き、水が飲めると思ったけど。足に力が入らずそのまま体が横に倒れてしまった。


……ああ、私……もうここで終わりなのかな。


そう思いながらゆっくりと目を瞑る。


体を起こす力もないほど弱くなっていたらしい。私は、そのまま意識を手放した。



「……ねぇ、大丈夫?」



目を瞑ってしばらくした頃。


ふと誰かに声をかけられ、ゆっくりと目を開ける。目の前には、大きな人影があった。


その人は青色のTシャツと黒いジーパンを着ていて。手には何やら大きなバッグを持っていた。


顔はよく見えないけど優しい声が聞こえて。私のことをそっと撫でてくれた。



「大丈夫?体調悪い?」


「……ニャー……」



今出せる精一杯の声を出したけど。喉がカラカラで掠れた声しか出せない。



「もしかして喉、乾いてる?ちょっと待ってね」



そんな私の声で察したのか、目の前の人はカバンの中をゴソゴソと漁る。


そして、1本のペットボトルを出した。


ラベルには『天然水』と書かれていた。



「僕が使った水筒のコップで申し訳ないけど……これ、良かったら飲んで」



僕……目の前にいるこの人は男の人なんだ。とても優しいな。こんな私のために水を用意してくれるなんて。


私は目の前に出されたコップに恐る恐る近づく。匂いを嗅いだ後、そっと水を舐めた。


喉が渇いていたので、水がとても美味しく感じる。こんなに美味しいと感じた水は初めてだ!



「いい飲みっぷり。まだたくさんあるからゆっくり飲みな。じゃあ、僕あっちにいるから。たまに様子見に来るよ」


「ニャー」



私の水の飲みっぷりを見て、にこりと微笑む男の子。


男の子は、そのままコップを置いて、少し離れたところに座った。そして、カバンから本を取り出すと黙々と読み始める。


私は、夢中になって水を飲んだ。


相変わらず外は暑いけど、体は少し涼しくなる。私はそのことに安心したのか、またまぶたが重くなった。


少しだけ、眠ろう……。


なんだか安心して、落ち着いて。人間の優しさに触れたのは久しぶりだった。


***

「あれ?輝(ひかる)君じゃん。こんなとこで何してるの?」


「恋乃華(このか)先輩!?」



……どのくらい寝ていたんだろう。


私は、重たいまぶたをゆっくりと開ける。おそらく数十分しか寝ていないと思うけど、私にとっては長く感じた。


さっきの男の子の声が聞こえて、そっちの方に顔を向ける。


誰だろう?


男の子の隣にはいつの間にか女の子がいた。女の子はびっくりしたような表情をしていて、男の子の方は少し顔を赤く染めている。



「いやー、偶然だね。私、ちょうど今バイト終わって。帰りに散歩がてらこの辺歩いてたの。そしたら見覚えある背中が見えたから、もしかして輝くんかなと思ったの」


「バイト帰りなんですね。お疲れ様です」



……知り合いなのかな。


2人とも楽しそうに話している。だけど男の子の方は少し緊張しているみたい。



「で?輝くんはなんでここに?本読みに来たの?」


「まぁ、そんなとこです。夕方から塾なので暇つぶしに」


「偉いねぇ。輝くんは高校三年生だっけ?」


「はい。僕、先輩と同じ大学行きたくて、頑張ってます」



2人の微笑ましい会話を聴きながらそっと体を起こした。もう少し2人の近くに行きたくて。


気づかれないようにそっと動いた。



「可愛いこと言ってくれるじゃん。私応援するよ。よしよし」


「ちょ、からかわないでください」



動いた体を少し止める。


女の子は男の子の頭をわしゃわしゃと撫でくりまわしていた。


その光景を見て、なんだか邪魔しちゃいけないと思った。私は引き返して元いた場所に戻る。



「ところでさ、輝くんはなんで私と同じ大学行きたいの?」


「え?」



女の子は撫でることをやめ、不思議そうに首を傾げる。


だけどその質問に対して分かりやすく、元々赤かった顔をもっと赤く染めた。男の子は表情がコロコロ変わってわかりやすい。


女の子の方は楽しんでる……のかな?


そんな2人を見ていてとても微笑ましく思う。柔らかな空気が、2人を包み込んでいた。



「え、えっと……それは……」


「それは?」



興味津々に顔を覗き込む女の子。


口をパクパクさせながら答えに困っている男の子。



「……秘密です!」



少し時間を置いて答えた男の子は、もう限界といわんばかりに大きな声で言った。


その声にびっくりした私はビクッと体が跳ね上がる。



「……びっくりしたぁ……。なぁんだ、秘密なのか。残念」



その声に驚いたのは私だけじゃなかったみたい。女の子もびっくりした表情をした後、つまんなさそうに川の向こうを見る。



「……残念ってなんですか。あんまりからかうと怒りますよ」


「ごめんごめん」



ペロッと舌をだして謝る女の子は、ふと私と目が合う。



「……ねぇ。あそこにいる猫、野良猫?なんか近くにコップあるけど」


「え?ああ、そうみたいです。コップは僕が置きました。熱中症で倒れていたんで水を飲ませて」


「……ふーん。優しいとこ、あるじゃん」


「へ?」



じーっと私を見ながら嬉しそうに微笑む。


私はなんだか気まずくなって、2人から離れようと歩き出す。本当はもう少しここにいたかったけどお邪魔しちゃ悪いからね。


幸せそうな2人を見て元気もらったよ。



「あれ、行っちゃうよ?いいの?」


「……元気になったんならいいですよ。元々少し助けるくらいの気持ちだったんで。猫を飼える環境じゃないし」


「まぁ、それもそうね。野良猫なら大丈夫かな。私も飼えないだろうし」



そんな2人の声を聞きながら河原を後にする私。優しい男の子に救われて、幸せな1日になったよ。


……ありがとう。


そして、女の子と仲良くね。


私は猫だから言葉を話せない。だからこそ遠くで2人の幸せを祈るよ。


私のことを助けてくれて……ありがとう。



「……ニャー!!」



最後に2人の顔を見たくて。


後ろを振り返り、ひと声鳴いた。これからも大変な日常が続くと思うけど今日を思い出して乗り切るよ。



「頑張れよー!」



歩いていたら後ろからそんな声が聞こえてきて。私は、しっぽを振り返した。


夕焼け空を見ながら目を細める。まだまだ暑いこの季節。私も頑張って乗り切ろう。


私は今日という日を忘れない。


小さな世界にはたくさんの幸せが待っている。そんな幸せのひと夏の想い出。


君と出会えて良かったです。


……また今度、会おうね。


小さな世界で見つけた幸せなひと夏の想い出。

【終わり】