「話とは?あぁ、もしや誘っておるのか?だったら俺の部屋に移動……」
「誘ってないから!バカじゃないの!!」
 顔を真っ赤にさせながら怒鳴る蝶子をニヤけた笑みで見ながら、信長は座った。
「冗談だ。それで話とは?蘭丸の事か?」
「そ、そうよ。どういうつもり?」
「どう、とは?」
「……っ!」
 完全に遊ばれている。そう思った蝶子は、唇を噛んだ。

 ついさっき蘭がふらふらした足取りで部屋を出ていった後、廊下にいた信長を『話がある』と言って引っ張り込んだのだ。我ながら軽率だったかなと後悔したが、言わなければいけない事があったので、思い切って口を開いた。

「どうしてそんなに蘭に構うの?未来を知ってるから?」
「そうだ。」
「でもあいつはただの学生で……つまり勉強の途中で、歴史にそんなに詳しくないの。それにあんな……剣を向けられて逃げてばっかりの弱虫に、貴方の家来なんて務まらないわよ!」
「…………」
「もう勘弁してあげてよ。ここで生きていくって決めたんだから、なるべく波風立たない生活を……」
「一生台所番で終わらせるのか?」
「え……?」
 突然響いた信長の声に、蝶子がパッと顔を上げる。

「男に生まれてきたからには、あいつにも本能があるはずだ。強くなりたい。大事なものを守りたい。この思いはこことは違って何もかも手に入って平和な世であろうとも、人間が必ず持っている感情だ。特に男はそうだ。現に、あいつはここに来て何度かお前を守ろうとしていたじゃないか。」
 信長の言葉に蝶子は思い出した。

 裏山で秀吉らに囲まれた時、信長に扇子を投げられた時。
 蘭はさりげなく守ってくれた。それに頼りないところは多々あるけれど、自分が弱気になった時は蘭が言葉で励ましてくれた。
 情けなくて弱くて頼りなくて、でも優しくて正義感があって真っ直ぐで。

(良いところと悪いところを足したらプラマイ0になるような奴だけど、私は……)

「俺はお前達が羨ましい。」
「……え?」
 心を見透かされたかと思い、慌てて信長の様子を見る。だけど苦笑しながら腕を組んでいるだけだった。
「俺には守りたいものはない。あるのは使命感だけだ。」
「使命……感?」
「親父から受け継いだ領地を管理し、かつそれを広げる事が俺の使命だ。そしていずれ天下を取る。その為にはどんな事でもやる。絶対に。何があってもだ。」
 そう言い切った時の顔は何とも形容のしがたいものだった。般若のように燃え盛る恐ろしさなのか、能面のように底冷えのする薄ら寒さなのか……
 余りの事に固まっていると、表情を柔らかくした信長が言った。

「だがこんな俺でも、そういう感情が少しはわかってきたようだ。」
「え?」
 立ち上がる気配がして見上げると、頭に温かいものが乗った感触がした。
「明日の早朝、出陣する。見送りにきたければ来い。」
 それが信長の手であると気づいた時には、既に姿は廊下の向こうに消えていた。

「なんだ……あったかいんじゃない……」
 人の事を勝手に妻にしたり、人が大切にしてきた想いを面白がったり、弟相手に戦争したり、あんなに冷たい表情を見せるくせに。
 ……手だけは温かいなんて。

「人間らしいところ、あるんじゃない。」
 触られた頭をそっと撫でると蝶子はフッと微笑んだ。

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