「一本!!」
突然響いた声に驚いて顔を向けると、蝶子が右手を高く掲げていた。
「え?えっ!?」
「命拾いしたわね、蘭。それ、本物だったら貴方死んでたよ。」
呆れたような笑いを堪えてるような声でそう言うと、光秀に向かってため息をついた。
「光秀さんも人が悪いですね。それ偽物でしょう?市さんも知ってましたよね?」
腰に手を当てて二人の事を交互に見て言う。蝶子に責められて二人は頭を下げた。
「申し訳ございません。殿の命令には逆らえず、騙してしまいました。蘭丸君、恐い思いをさせたね。すまなかった。」
「お兄様は蘭丸に戦の中に身を置くという事がどんな事か、体感してもらいたいという一心でこのような事を……どうか許してあげて下さい。」
「…………」
蘭は痛む脇腹を押さえながらポカーンとしていた。
(っていう事は何か?あの剣は偽物で本物じゃなかったって事?しかも信長の指示で俺を騙してた?じゃああんなに必死に逃げてた俺って……)
「かっこわるっ!うわー恥ずかしい……」
そう言って蘭はその場にへたりこんだ。慌てて蝶子が足袋のまま駆け寄ってきた。
「濃姫様!」
「大丈夫、市さん。それより薬箱持ってきて下さい。模造刀とはいえあんなにしっかり当たったんだから、怪我してるはず。あぁ、ほら……痣になってる。」
蝶子が蘭の着物を捲って脇腹を見ると、案の定打撲のような痕が残っていた。試しに押してみると、蘭の顔が痛さで歪む。市は言われた通りに薬箱を取りに行った。
「……申し訳ございません。まさかあんなに強く当たるとは……」
光秀が平身低頭謝ってくる。それを見て蝶子は苦笑した。
「今度も蘭が避けると思ったから手加減しなかったんでしょ?こいつが油断したのが敗因。」
「しかし……」
「私、今のを見てこの世界の恐ろしさを知った気がする。途中から偽物だってわかってたけど、蘭が本当に斬られたと思った。死んじゃうって、大切な人がいなくなっちゃうって泣きそうになった。でもみんな、そういう思いを抱えながら生きているんだって実感した。ここはそういう世の中、なのよね?」
涙を溜めた目で見つめられ、光秀は一瞬顔を伏せる。だがすぐに顔を上げて言った。
「今はそういう世の中ですが、いつか信長様が争いのない平和な世にして下さいます。誰も涙の流す事のない、愛する人と一緒に暮らせる世界に、して下さいます。きっと……いえ、絶対に。」
力強い口調できっぱり言い切るその姿は、いつか主君を裏切ってしまうなどとは到底思えないものだった……
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