——数日後

「あの、森さん。信長様は大丈夫ですかね?」
 蘭は城の台所で夕餉の仕込みをしながら、隣にいる可成に聞いた。
「殿なら大丈夫。」
「どうしてそう言い切れるんです?俺なんか心配で心配で……」
「自分の主君を信じているからだよ。それに織田信長という男はそんなに簡単に死なない。だから大丈夫だよ。」
 そうきっぱり言い切る可成を茫然と見つめる。そして次の瞬間、恥ずかしくなった。
 自分はこれから起こる事を知っている。この戦では信長は死なない事を知っているのに、不安になってつい弱音を吐いてしまった。蘭は気づかれないように隣に視線を移す。
 可成は鼻歌でも歌いそうなくらいに上機嫌な様子だった。

(凄いな~家来の鑑だな。未来がわかってる訳でもないのに、こんだけ信じられるなんて。)

 信長よりは歳上とはいえ、まだ30代くらいだろうか。この実直で忠実な人が、この世界では自分の父親なのかと不意に不思議な感覚に陥った。
 実の父親はポンコツですぐ小言を言うし、精神年齢が幼稚園児以下で実験が成功した試しがない名ばかりの科学者。
 天と地ほどの差がある事を実感して思わずため息が出た。

「どうした?まだ心配か?」
「い、いえ!……俺も信長様を信じようって気合い入れたとこです。」
 力強く言うと、可成はうっすらと笑った。
「親子なんだから敬語はなしだぞ?他の者の前ではある程度丁寧な言葉遣いを心がけなければいけないが、二人の時はそんなに畏まらなくてもいい。」
「はい、すみません!……あ、ごめん。」
「それと呼び方は『森さん』じゃなくて?」
「……父上。」
「よろしい。」
 再び柔らかく微笑まれて、蘭の若干緊張していた心がほどけていった。

「可成様!!」
 その時可成の従者とおぼしき男が、何かを右手に握り締めながら台所に駆け込んできた。
「どうした!?」
「……信長様からです。」
 震える手が握っていたのは手紙だった。それを可成に渡す。可成は冷静な手つきで受け取ると、中から紙を取り出した。
「……承知した。」
 一読すると静かな声でそう言う。一見気丈に振る舞っているように見えたが、だらんと下げた左手は少し震えていた。
 パサリと音を立てて落ちた紙を蘭が拾う。一目見た瞬間、そっと瞳を閉じた。

 その手紙は道三の死と、信長が自ら軍の最後尾、つまり殿(しんがり)を務めて帰還するという報せだった……

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