桶狭間の戦い

 永禄元年(1558年)五月、今川義元が尾張国へ侵攻する。駿河・遠江に加えて三河国をも支配する今川氏の軍勢は、四万五千人も号する大軍であった。織田軍はこれに対して防戦したがその兵力は数千人程度であった。

 今川の人質であった松平元康は反旗を翻しており、一説では織田信長と以前から通じていてこの戦も仕組まれたものだったのではないかと言われている。

 信長は静寂を保っていたが、永禄元年(1558年)五月十九日、出陣した。信長は今川軍の陣中に強襲をかけ、義元を討ち取った。
 この時斬ったのは松平元康だとも、織田信長自身が手を下したとも伝わっている。
 奇説として、足軽の一人が突然茂みから大声を発した為に義元が驚いてその間に斬られたという、嘘みたいな話も真しやかに伝わっている。


 この戦いが織田信長という武将を良くも悪くも有名にさせた。
 地方の一領主に過ぎなかった信長は、これから先あちこちの敵将から命を狙われる事となるのだ。

 本能寺の変まであと20年。

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