「晨」

「え?」

 真後ろから聞こえた声に、晨は反射的に立ち上がり、振り向く。

 目の前に立っていた真白。

 まっすぐ晨の目を見ているが、その瞳はゆらゆらと揺れている。

「刃は、横に」

「なに言って――」

 真白は晨の言葉を遮り、乱暴な手つきで晨の手を掴んで、何かを握らせた。

 冷たく硬い感触。真白が唇を噛み締めたのを見て、晨はゆっくりと視線を落とした。

 刃渡り十七センチのステンレス製の包丁に陽射しが反射し、晨の目を眩ませる。

 真白の手に力が入り、ゆっくりと晨の手の角度を変える。

 刃がちょうど水平になったところで、真白が口を開いた。

「刺して」

 晨の手の上から握られた手に、更に力が加わる。

 ゆっくり、真白の胸部へ導かれる刃先。

 その先にあるのは、心臓だ。

「ちょっと、なにを――」

「殺して」

 感情のない平坦な真白の声に、晨の背筋が凍る。

 そこで、ようやく晨は我に返った。

 勢いよく手を引き、真白の手を振り解く。

 その瞬間、刃先が真白の手の甲を掠め、赤い線が滲んだ。

「な、なにを……何を考えてるんだ!」

 晨は震える声で叫んだ。

 無表情で佇む真白を睨み、包丁を投げ捨てる。

 離れたところで、カシャンと金属音が鳴った。

「ねえ、晨。人はね、簡単に死ぬんだよ」

「知ってるよ!」

 怒りで目を吊り上げる晨と空虚な目の真白は、しばらくの間、無言で見つめ合った。