「あいつは……あいつは、母さんを傷つけて、裏切った。母さんはずっとずっと悩み続けていたに違いない。でも俺がいたから……だから我慢していたんだ」

 平田くんのお母さんがどう思っていたかはわからない。けれど、平田くんがこんなふうに思うことは望んでないに違いない。

「俺のせいだっ!」

 血を吐くような平田くんの声。涙混じりのその声に、私は胸が傷んだ。

「平田くん。自分のせいにしなくていいんだよ。お母さんにはお母さんの考えがあったの」
「お姉さんっ! だって、あいつは最低な奴なのに、俺には優しかった頃があったんだ。そんな思い出が俺は捨てきれなくて、きっと母さんはそれに気づいてたんだ! それで、なかなか離婚できなかったんだよ!」

 私は思わず平田くんの肩に手を置いて、背中を優しくさすった。

「そうかもしれない。けれど、それはお母さんは平田くんを愛しているからよ。お母さんは、平田くんにとって一番いい選択をきっと考えてたんだよ」
「でも、俺がいなければっ!」
「それは違うよ! お母さんにとって平田くんの存在はなによりも支えだったと思う。だから、暴力を振るわれても、不倫をされても耐えられたんだよ」
「そのストレスで胃がんになったじゃないか!」
「お母さんは、平田くんに自分を責めてほしくないはずよ?」
「お姉さん! 俺の立場でもそんなふうに考えられる?」

 平田くんに問われて、彼の背をさする私の手が止まった。

「それは……」
「俺はあいつを許せないし、許しちゃだめなんだ。自分自身も許せない。お姉さん。俺には半分、あいつの血が流れてるんだよ? 母さんだけじゃない。未来で俺、あいつみたいにならないか怖くてたまらない。誰かを苦しめるんじゃないかって」

 肩を落として泣く平田くんに、私は言葉をかけることができなくなった。

 今わかった。桜庭先生の言葉で、平田くんは傷ついて、怖くなったんだ。お母さんだけでなく、お父さんがいたから平田くんは生まれた。それはお父さんの血が半分入っているということ。
 桜庭先生に他意はなかった。けれど、言葉はときにひとり歩きしてしまうし、受け取る側の状況で意味が変わるんだ。

「帰ろうか、お姉さん。ごめんね、こんな話、聞きたくなかったよね」
「いいの。大丈夫。それより、私、平田くんになにも言えなかった。ごめん。力になりたいと思ったんだけど」

 私の苦渋に満ちた声に、平田くんは、

「お姉さんは優しいね。明日も会える?」

 と少しだけ明るい声で言った。

「もちろん」