もっとヤンチャな生徒を想像していたけれど、平田くんはどこにでもいる、真面目そうな男子だった。

 桜庭先生からは言い合いの詳しい内容を聞いていない。でも、学校に来なくなった要因の一つには違いない。

「学校、嫌いなの?」
「別に。好きでも嫌いでもない」

 感情のない声で平田くんは答えた。

「そうなんだ……」

 なぜ、学校に行かないの?

 という問いを私は飲み込んだ。

 先ほどから自分が質問ばかりしているのに気がついた。会ったばかりの私に、色々訊かれていい気がするわけない。特に不登校はセンシティブな問題だ。これ以上は訊かないほうがいいかもしれない。
 そう思って違う話題を探そうとすると、

「お姉さんもさ、学校行ったほうがいいって言う?」 

 平田くんが言った。彼の目は真剣で、表現し難い光が宿っていた。

 なんて答えたらいいんだろう。

 私は将来教師になる立場として答えたらいいの? それとも、かつて高校生だった者として? 

 私がなかなか返事をできずにいると、視界に白いものが動くのが入った。先ほどの鳥が、翼を大きく羽ばたかせて飛んでいくところだった。

「私は……ごめん。なんて答えていいかわからない」

 正直に答えると、平田くんは少し目を細めて笑って、 

「そんなふうに言う人初めてかも」

 と言った。 

 私は彼の笑顔につられて笑みをこぼしたけれど、なんの解決にもなっていないのはわかっていた。

 平田くんは「転校」そして、「母親の入院」という大きな変化を経験していて、それだけじゃなくて、まだなにかを抱えているかもしれないのだ。

 私の教育実習が終わるのは一週間後。それまでになにか平田くんのためにできることはないだろうか。

「お姉さんになら、ノート。見せてもいいよ。見たい?」
「いいの?」
「うん」

 平田くんがノートを開くと、先ほどの鳥や鴨などの水鳥が、鉛筆で描かれていた。素人の私が見ても繊細で美しい絵だった。

「平田くんは絵が好きなんだね。鉛筆でこんなに上手に描けるなんてすごい! 羽の質感まで分かるよ」

 私の純粋な賛美に、平田くんは頬を朱に染めて、嬉しそうに笑った。

「病院は退屈だろうから、母さんに見せるんだ。俺は名前までは分からないけれど、母さんは鳥が好きだから、見ればなんの鳥かちゃんと分かるんだよ」

 平田くんはお母さんのことが大好きなんだな。

「そろそろ俺、病院に行かないと」
「あの平田くん! また、会えないかな?」

 自転車のスタンドを足で上げる平田くんに、私は思わず声をかけていた。
 平田くんは驚いたように目を丸くしている。

「平田くん、よくここにいるの? 私、いつもは夕方6時半ぐらいに川沿いの道を通るの」
「6時半? 俺は……今、一人だし、別に来てもいいけど……。やっぱり平日午前中とかはガッコー行ってるんですか?」
「そ、そう、その時間まで、えっと、学校なの」

 嘘ではないけれど、騙しているようで胸が痛む。いずれは自分が教育実習に来ていることを伝えないといけない。けれど、今ではない気がした。

「じゃあ、明日、雨降らなかったら6時半にここにいます」
「ありがとう! じゃあ、明日! 自転車、気をつけて行ってね!」

 私の言葉に平田くんは一度頭を下げると、自転車にまたがって行ってしまった。