「花街一、美しい『狐花(きつねばな)』へ。ようこそ、いらっしゃいました。どうぞ今宵も、お楽しみくださいませ」

 茉莉花の決まり文句に、控えていた同僚が客を連れ行くのを見送った。

 支度を終えて店番を引き継ぎ、客を(さば)いていく。
 足は途絶えなく、空き部屋も少なくなってきた。料理長が真顔で「まだ来るの……?」と呟くほど忙しい。
 これも店前に瑚灯さまがいるおかげ。

(いや、いるせいでだな)

 これ以上は料理長が過労死する。ただでさえ調理場は人手不足かつ忙しさで、誰も担当したくないところなのに。

 茉莉花は人に出せる料理は作れないので、他に手が空いてる者に頼むしかない。
 誰か厨房に応援を頼めないか、と目配せしようとして。

「おいッ、いつまで待たせる気だ!」

 ばんっ。

 人ではあり得ぬほど大きい浅黒い手が、カウンターを叩いた。暴力的な音に驚く暇もなく、それは立て続けに鳴らされる。

 自分の番が遅すぎて苛立っているらしい相手に、急ぎ頭を下げた。身体は勝手に怒鳴り声と大きな音に反応して、びくりとゆれる。

 反射的に身構えてしまうが、こういう客に毅然(きぜん)とした態度で立ち向かわないと、痛い目に合う。バレていないといいのだが。いや、顔と声共に変化しないので、滅多に見抜かれないので、いらぬ心配かもしれない。

「お待たせして申し訳ございません」
「ここが一番うまい店だと聞いたから足を運んだというのに、何でこんなに待たされなきゃならんのだ!」
「失礼いたしました。おこしいただき」
「ああそうだ! このわしが来たんだぞ!」
「はい、ありがとうございます。当店は初めてで」
「そうだ、来たことはない。だが飯が素晴らしい、ハナメも美人揃いと聞いたのに期待外れだったらどう責任をとってくれる!」
「ご期待に添えるよう、一同頑張ります。そのためにも、お食事について何を」
「決まっているだろう!」

(このあやかしさん、話を遮るのが趣味なのか)

 通じているため今のところ困らないが、威圧的なのは少々問題だ。

 他の客もひそひそと話しており空気が悪くなっている。あまり玄関で騒ぎを起こしたくない、早々に座敷に放り込むか。

「それとも貴様が相手をやるのか?」
「いえ、私ではハナメにはなれませんので」

 大男の不躾(ぶしつけ)な視線が舐めるように、全身を検分する。品定めして下卑(げび)た笑いで茉莉花を見下した。

「そりゃそうだ。貴様がハナメなんぞ、この店の程度がしれる」

 ハナメ――。
 茉莉花のような下働きではなく、来店客を相手する表舞台の主役の役職名だ。

 とんでもない美女美男、教養もあり芸も達者な優秀なモノだけがなれる花形。
 茉莉花のような平凡以下では務まらない。

(私なら客との会話一分保たないぞ)

 自慢ではないが己の顔は鉄で出来ているのか、一切表情が動かない。
 笑っているつもりだったが、同僚に「茉莉花、お前、無表情で何考えてるかわかんないし不気味なんだけど」と冷たい目で頬を抓まれた。失礼な、腹抱えるレベルですって伝えると(つい)には哀れみの目になった。

「……ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。もしよければ」
「いいや、お前だ。粗相をした本人が責任を取れ」

(してない)

 いや粗相だったのか。自信がしぼんでいく、ここまで強気に出られると、何が正しいのか曖昧になる。

(いやいや、弱気になるな)

 落ち着け。いくら不器用で、することなすこと失敗に終わる自分でも、今はまだ大きなミスはない。

「申し訳ごさいません。ただの下働きがハナメの役につくことは」
「さっさと来いッそこで」

 ばっと振り上げられる手に、小さな悲鳴が聞こえた。
 
 本当に話を遮ってばかりだな。

(だけど、まぁこれは良い流れかもしれない。この客を入れたらハナメが大変な目に会うかもしれないから)

 殴られたら出禁コースに入りやすい。
 歯を食いしばり、じっと迎え撃つように見据える。

 が。

「――おいおい、花街での暴力は一切禁じられてるんだがな」

 ぱしん、と茉莉花の胴ほどある腕を軽々と受け止める影。
 呆れたように、だが何処までも余裕と艶やかさだけは失わない姿。ふわりと揺れた髪に、着物に焚きしめられた香りが、茉莉花を守った。

 まるで見ていたかのような、ナイスタイミングってやつだ。彼はいつだって、ここぞというときに頼りになり、必ず来てくれる。彼が来た以上、万事上手くいく。艶やかに、たおやかに、まるで舞いでもするかのような優雅さで圧倒するだろう。

 彼の背に庇われた茉莉花は、客に気取られないよう、ひっそりと息をついた。

 それにしても、いつの間に店の中へ入ってきたのか。神出鬼没(しんしゅつきぼつ)なお方である。

 ちらりと見ればやはり顔には、まるで誘うかのような笑みが張り付いていた。



 いつもと違うのは、目が、一切の感情を断ち切っている。鋭利(えいり)な刃物のような眼光、切先が迷いなく大男へと突きつけていた。

 それは抜き身の刀を首筋に当てているような、緊迫感に息すら制限される。


「旦那。うちの大事な従業員に何するつもりだった? あやかしだからって人間相手に好き勝手に出来ると思われちゃあ、かなわねぇな」
「な、あッ! あ、なたさまは、なぜ、こんな下働きを庇って……ッ」

 瑚灯を知っているのだろう。瑚灯を知らぬものなど、花送町にはいない。
 途端(とたん)狼狽(うろた)え始めた大男に、瑚灯が鼻で笑った。いつの間にか持っていた扇子をくるりと回し、とんとんと肩を叩いた。

「ここでの遊び方も、学び方も知らねぇ野暮なやつはお断りだ。恥かきたくなきゃ、とっとと帰んな」

 丸太以上の腕を軽く振り払うと、啖呵(たんか)を切るように、よく通る声が響いた。
 女のような見目からは、想像できぬ物言いだ。
 羨望(せんぼう)と、かすかな熱を孕んだ瞳がいくつも周りから向けられる。いつものことながら、老若男女全て魅了していく。あっぱれである。

(また、迷惑をかけてしまったな)

 拾われた恩義(おんぎ)。必ずお役に立つと心を決めたが、どうにもうまくいかない。
 庇われたまま、沈黙が落ちた。

 おそらく瑚灯の気迫に押されてしまったのだろう。
 逆上しないのは正しい判断だ、案外悪い客ではないのかもしれない。

 しばらくして大男は、ぼそりと「すんません」と謝った。
 次いで媚びるように下手に出て、へへ、と笑う声。

「すいやせん、本当に。待ち遠しさあまりに我を忘れて、悪気はなくて」
「悪気なく、女を殴ろうってか?」
「いえいえ滅相もないっ! そんな、ほんと、いえね、実はですね、急いでいたのは理由があるんですよ」

 瑚灯が紫水晶の瞳で見定めるように、大男を眺めた。感情を排除した無機質な冷たさ。しばらくして、ついっと茉莉花に視線を移す。

 茉莉花は瑚灯の求めに答えるため、己自身で情報を整理する。

 大男は短気なあやかしだ。
 ハナメへの危害の可能性から入店は拒否するべきかもしれない。

 が、その男の陰に隠れるように、ひっそり佇む女性が気になった。

 青白い肌に、こけた頬。

 豪華な着物に懐剣(かいけん)や耳飾りなどで装飾された女性。不健康そうかつ病的に細いせいか、重たい着物が浮いて見える。

 落ち着かないのか空いた手で帯にある紫色の花の根付けをいじっていた。
 きょろきょろ、と忙しなく目線を彷徨わせて、呼吸も安定していない。僅かに体が震えているのは寒さからではないだろう。

 ――どうにもここで出禁、という訳にはいかないようだ。

 嫌な予感が消えてくれない。
 瑚灯は茉莉花と同意見なのか、無言でも伝わり静かに身を引いた。

 それから「うちの従業員を傷つけないなら、構いやしないさ」と釘を刺した。
 ならば茉莉花も、いつも通りに仕事をするだけだ。一呼吸置いて、緊張を悟られぬように努めながら口を開いた。

「それではお客様、お食事についてですが」
「お、おおっそうだそうだ。食事だ! ここのがうまいと聞いてな! 祝いなら是非ここがいいって勧められてなぁ!」

 無理矢理に話を戻すと、大男は大仰に柏手(かしわで)を打って喜びを表す。
 大男は、ちらちらと瑚灯の様子を確認するが、瑚灯はどこ吹く風で周りの視線も声も無視し、柱に撓垂れ掛かる。
 肩からこぼれた髪が、無駄に艶やかさを醸し出している。
 
 今は客寄せも必要ないから、しまってほしい。

「何か特別な品をご所望でしたら、教えていただけると」
「今日は祝いなんだ! 折角だからコレの好物をね、食べさせてあげようと思ってな」

 大男がぐいっとひっぱり、隣の不健康そうな女性を前に出した。

 コレ、という発言に瑚灯がピクリと眉を動かした。人間を乱雑に扱われるのを嫌う彼からすれば、今の発言と強引な手の引き方に思うところがあるのだろう。
 何か言いたげだったが、特に言及しないで、ただ流し目で店の入り口を見る。

 つられて茉莉花も向ければ、ふわりと何かが風に乗って外へとさらわれていく。

「聞いているのかね」
「……はい。かしこまりました」

 茉莉花は意識を、大男に戻す。客が望んだのは団子であった。
 この町の縁起物である。何処でも手に入るが、わざわざ高級店である狐花を選んだのが、こだわりを感じる。何かしらのお祝いなのかもしれない。
 しっかり味についても聞いてから、他の要望も確認する。

「ご指名のハナメはいますか」
「構わん。誰でもいい」

 本気で食事目当てなのかもしれない。ハナメは空いていて、慣れたものを呼ぶか。

「あの、も、申し訳ございません。わたくし、お手洗いに」

 か細い声を拾い、茉莉花はハナメ選びを中断する。
 不健康そうな女性は、間違いなく人間で大男の機嫌を損なわぬよう、大人しくしており、おどおどしている。
 目は合わない。挙動不審である。

「おいおい、そんなもの我慢しなさい。ソイツも忙しいだろう」
「いえお気になさらず。こちらへ」

 目配せで別の子を大男の案内を任せると、女性に軽く会釈(えしゃく)をする。
 すると明らかにほっと安堵(あんど)した表情を浮かべた。

 大男は思い通りにならなかったのが気に食わないのか、不服そうに顔をしかめていたが、瑚灯の前だからか大人しく座敷へと消えていった。

(ずいぶん、よろしくない態度で)

 茉莉花は口には出さないものの、大男の言動に、いささか困ってしまった。人間に対して、ああいう態度のあやかしは、花送町で、あまりいないのだが。

 今のところただの客で問題は……あったが、大事にするほどでもない。女性についても、こちらが介入する隙はない。
 あくまで客と従業員。茉莉花の予感は、想像の域を出ないので、変に刺激を与えたり動いたりするのはご法度である。

 気にしてても仕方ない。切り替えるようにゆっくり瞬きしてから、女性へと向き直った。


「どうぞ」

 再度声をかけて、女性を裏口近くのお手洗いへと案内する。豪奢な廊下、どんちゃん騒ぎする部屋に、静かなのもある。
 楽しんでいるようで何よりだ。料理長は、死にかけているが。

「……あの」
「はい」
「すみ、ません。わたくし、いくらなんでしょう」
「はい……はい?」

 お手洗いに入ると、すぐに蛇口をひねって水を出す。濡らして手首までごしごし洗う。枯れ枝のような腕には血が(にじ)む痣が覗いた。

 離れようとした茉莉花は思わず足を止めて、女性を凝視(ぎょうし)する。

 女性は繰り返す。いくらか、と。

(いくら。食事代なわけない、か)

 なんとなく問われた意味は察したが、当たっているとは思いたくない。さすがに従業員から指摘するのは(はばか)られる。
 話術も皆無な茉莉花には誤魔化すのも無理そうだ。
 一瞬の葛藤、茉莉花の妄想だと一蹴するか、それとも。
 すぐさま結論は出て、再度茉莉花は女性へ訊ねた。


「申し訳ございません、どういう意味でしょうか」
「わたくし、ここに売られるんですよね。身売り、ですよね」

 数秒沈黙する。
 それから彼女が大きな勘違いをしているのを理解した。
 茉莉花も初めて来たとき勘違いしていたので、気持ちはわかる。まずはそこから正すべきだ。

「違います。ここは身売りなどは受け付けていません」

「でも、花街で、妓楼(ぎろう)で」
「妓楼はありません。花街も、名残で呼ばれているだけです」
「え、え……?」

 戸惑う彼女に、茉莉花は自分が口下手なのを恨んだ。
 勘違いを正せる説明が、出来るだろうか。

「花送町の花街、全ての店で体を売る――つまり性的サービスなどはしていません」
「そ、うなんですか」
「そうです。この町にある店は基本的に全て、社交場です」
「社交場、それは、からだの」
「いえ。違います。狐花を含め花街の店は、あやかしと人間がお互いを理解するための機会を作る社交場って意味です」


 ハナメも、あやかし、人間、男女色々働いている。

 当然お触りは禁止。
 会話とハナメが得意な芸を見せる程度だ。
 楽しく食事して、お互いの常識や遊びなど話して終わりである。

「花送町にいるあやかしは人間を、人間はあやかしを、より深く知りたいと願っているそうです」
「……あやかしが?」
「あやかしも人間も。好きで町へ、やって来たものはお互いが気になって仕方ない。仲良くしたいそうで。その欲を満たすのが、この花街なんです」
「なかよく、だなんて」
「……外で気軽に話せればいいのですが、自分とは違う存在と緊張するから、こういうところで実際の人間やあやかしと対話して事前知識を得て、本番に備えるんです。外で友達に、親友に、知人になるよう、よりよい関係を築くための勉強の場です」

 ただここでの話は楽しいからと、学んだ後も遊びに来るのが多い。それで常連がいて、繁盛している。

 ハナメに美女美男が選ばれるのは、まぁ、悲しいが見目麗しい方が印象が良いのだ。
 仕方ないで済ましたくない事実である。

 だがそのおかげで、平々凡々な茉莉花がハナメにならずに済んだのも事実だ。正直、特出した芸もなければ教養、話術もないので、お稽古あたりでリタイアする自信がある。


「――という、ので。つまり誰かが誰かを売るなんてことはないのです。従業員は全員希望者です。人気職業だそうですよ。ハナメになるのは、かなりの努力がいるのですが」
「そう、だったんですね。わたくし、てっきり」

 花街と言われれば誤解もする。
 
 それに昔は、本来の意味で花街だったらしい。
 今は身売りなどの単語は一切聞かない。客も、それが目当てなのを見たことがない。

 女性は気が抜けたのか、がくんとその場に膝をつく。
 茉莉花はすかさず支えて背中をさすれば、女性の目には涙が浮かんでいる。

 よほど恐ろしいかったらしい。身売りと勘違いしていれば当たり前だが。

(あのあやかしさん――大男さまとは、どういう関係なのですか、なんて。首を突っ込みすぎか)

 誰だって触れられたくない部分は持つ。
 気になるのを無視できない質だが、店の従業員として大人しく黙るのが正しいはずだ。

 こほんと咳払いをして、女性を立ち上がらせると安心させるように手を握る。
 表情が動かない自分では力不足かもしれないが、少しでも不安を和らげたい。

「だから今宵は、気兼ねなく楽しんでください。もしハナメに人間がいた方が良いなら、手配いたします」
「いえ、いいえ。あの、団子は」
「きちんと用意いたします」

 意味を込めて頷けば、女性は俯いてしまった。

 やはり伝わらなかった、悔しさが胸を締め付けるのに顔は動いてくれない。わかりやすい言葉で伝えられたら良いが、聞かれてしまうと大変なことになる。

(ごめんなさい)

 一つの謝罪を落とせば、女性は気丈(きじょう)に笑って「行きましょう」と前へ進んでいった。

 その背中が、女性がまぶしくて、思わず目を細めて「はい」と頷くしか出来なかった。

 茉莉花は送り届けてから、厨房に好みの味付けなどの報告のち、出来上がった品を運んだ。

 美味しそうな食事にお腹が鳴るのを耐えて、そっと廊下に出た。

 最後、女性と目があった気がした。



 だが届けて数秒、茉莉花が立ち去る瞬間に女性が悲鳴を上げてのたうち回った。

 あまりの苦しみように、男手が必要だと下働きが何人も入り、女性を担ぎ上げると空いた部屋へと連れて行く。

 そうして食事を運んだ茉莉花は、大男に犯人扱いをされる事態へと発展したのである。