『四公の夫人として生きていると息が詰まってね。
私にも、貴方のお祖父様にもどうしようもなくなったの。
ロブール家に嫁ぐ前も、その後も色々あったから上手く心の整理ができなかったのね。
でもある日お祖父様があの離れを作って下さったわ。
私達夫婦にとって大恩ある方と時々こっそり会っていた、思い出の場所に似せてね。
時々あの離れで1人で過ごすようになって、蓋をしていたあの方との思い出にやっと浸るようになって、それからよ。
肩の力を少しずつ抜けるようになったわ。
そしてそれはお祖父様もそうだったのでしょうね。
1年に1度だけ、あの離れで過ごしていたわ。
ミハイル、あなたも生きていれば息が詰まる事もあるかもしれない。
その時は自分を大事にできる時間を過ごしてちょうだいね』

 妹と同じピンクブロンドだった髪は、白味が強くなっていて、それだけ長く会っていなかったのだと思い至った。

 けれど幼かったあの頃と変わらず、慈しむように妹と同じ藍色の瞳を細めて微笑んでくれた。

 祖母は没落しかけた伯爵家の出だ。家格が遥かに上の四公の公爵夫人となったから、何かと苦労したんだろうという事は容易に想像できる。

 いくら祖父が他人の婚約者だったとはいえ、嫁ぐ前には祖父の婚約者だったあの稀代の悪女に悪魔の生贄にされかけ、嫁いだ後は家格の違いから生じた諍いに苦悩する人生だったんだろう。

 あの方というのが誰だったのかは結局教えてもらえなかったが、口調からは親愛の情を感じた。

 それにしても、妹は本当にここで何年も過ごしているのか?
勘違いであってくれたら。
そう思いながらもう1度ノックしてみれば、返事があった。
よく知った声だ。

 やはり妹はここで過ごしているのか。
わかっていても、現実を受け入れ難かった。

 私と違い誰が来たのか声だけでは判別できなかったようで、それがまた妹との距離に感じて舌打ちしてしまう。

 何故邸にある本来の部屋に戻らなかったのか。

 犯人はシエナのようだが、強く閉めただけで鍵が壊れるような離れ、いや、小屋だ。
そんな小屋に何故いつまでもいるんだ。

 ずっとあの他人行儀な淑女の微笑みを向けられて苛々として、自分が言い放った言葉など棚に上げて問い詰めようとしてしまう。

 だがわかっている。

 あの日、義妹を傷つけたとろくに調べもせず、八つ当たりのように罰を与えた時から妹は俺には淑女の微笑みしか向けなくなった。

 きっとあの時から妹は俺に何の期待もしなくなったんだろう。
俺の言動がその後も兄妹の距離を遠ざけ続けた。

 義妹が義姉の私室を母に許可されたとはいえ物置にしたと知っても、明らかに理不尽な母と妹と恐らく使用人達全員が共謀した馬車の使用禁止命令も、兄であるはずの俺には1度として告げるという行為に至らないほどに、信用もされていなかった。

 俺は義妹の言いなりで、妹の事を歯牙にもかけない兄なのだとしか思われていなかった事に感情が荒ぶる。

『お兄様は悪くありませんわ。
それはホルモンバランスと本能のせいでしてよ』

 発言やあの時の祖母を彷彿とさせる眼差しは意味がわからな過ぎて一瞬心の荒ぶりは静まったが。

「どなたかからお聞きになって、私の現状にロベール公子としての面子を傷つけられましたの?」

 しかし不意に思いついたようにそんな事を言う妹にまた感情を乱される。

 もちろんあの生徒会室での一件はそういう事だから肯定はするが、本当に言いたい事はそういう事ではないと叫びたくなる。

 淑女らしく微笑む藍色の瞳が冷めた物に変わっていくのに気づき、取り返しのつかない距離が広がっていくのを本能的に感じて焦り、空回りしていくどうしようもない自分自身。

「何故先にシュアに話した」

 成り行きだとわかりきった事にまで責める口調で話してしまった。

 もはや私などと取り繕った言葉も忘れて俺と言っていた事も後になって気づいた。
それほど取り乱して結局怒声を浴びせてしまい、宥めようとした妹の言葉も馬鹿にされたように感じてしまった。

 そして……。

「ふざけるな!!」

 バシンッ。

 俺に頬を叩かれた妹は床に倒れ込み、腕の骨を折った。

 直前で力を逃したが、そんな事は関係ない。
自分のしでかした最低な行為に頭の中が真っ白になった俺はただ、呆然と立ちすくむ事しかできなかった。