『まあまあ、良かったわ。
気がついたら監視されているなんて、気持ちの良いものではないもの』

 影を外したという正式な通達を受けたあいつはのほほんとそう言っていたらしい。

 本来影とは監視ではなく護衛だ。
名ばかりでも王子の婚約者である以上狙われる危険だってあるだろう。

 あの時は本当に愚かな奴だとしか思っていなかった。

 だがロブール公爵家からしても滅多に表に出てこない無才無能の公女よりも、むしろ才女と噂され社交界でも度々見かける可愛らしい養女の方が価値があるだろうというのが公然の見解だった。
そうなると何かしら王家に敵対する者にとってもあいつを狙うこれといった利用価値が限りなく低くなる。

 加えて私は王位継承権は持っているものの、王妃の子ではない。
王妃の子である異母兄が立太子により有利とも言える状況だから、兄の婚約者と比べれば私の婚約者の危険度は低い。
現状では兄には婚約者がいないから比べようもないが。

 異母兄を立太子に推したい連中からすれば、私の婚約者がこれほどまでにデキの悪い名ばかり公女なら、そちらの方が良いだろう。

 魔力は血に宿ると言われている。

 上位貴族の令嬢中、群を抜いて魔力量も少なく魔法も大して使えない無才無能なら、政敵に取りこませる血筋としても良い。

 私を推す勢力も、無才無能な名ばかり公女の方が血統だけ取り込め、生家も口出しをしなさそうで操り人形にしやすいと判断している。

 仮にあいつが私に嫁いでも、ロブール公爵家は代々中立を貫いてきた魔法馬鹿だし、魔力も並み以下のあいつの為に便宜を図るとは思えない。
少なくともどちらの勢力もそこだけは同じ見解だ。

 無才無能過ぎて一周周って安全とか、むしろ特殊な才能だ。

 まあそんなわけで、定期報告以外でのあいつの最新の報告はもう随分と前で終わっていた。

 昼頃には手元に届けられた報告書を片手に、生徒会室へ向かう。
今日は就職面談者が多くて午後からは補講だから抜けても問題はない。

 ヘインズは鍛錬をした後で合流するからゆっくりと目を通せる。

 結論から言えば、1人で読んでいて良かった。
初めて目を通した過去の報告書は、愕然とする内容しか書かれていなかったのだ。

 まずあいつは無才無能だが、無教養では無さそうだと書いてある。
だが誰にもまともに教わった様子がないのに、どういう事かは謎と書かれていた。

 以前からあいつに詰め寄った時の受け答え、そして優美なカーテシーに食事関係のマナー。
少なくとも私と初めて会った時には身につけていたんじゃないだろうか。
そのどれもを教わった形跡が無いらしい。

 そして私達が初めて顔を合わせた日の夕方。

 夫人は当然のように慣れた手つきで馬用の短鞭を手にし、外からはわからない場所ばかりを何度も鞭打ち、最後に倒れたはずみで頭を壁に打ちつけて動かなくなった傷だらけのあいつに向けて魔法の風刃を放っていた。
8歳の子供に放った風刃は戦闘で使用するレベルの威力だった。

 ちょうど部屋に入ってきた兄のミハイルが咄嗟にいくらかは防いだが、あいつは細かい切創と脇腹に致命傷を負った。

 もしミハイルが私と同じ12歳にして、もっと後から習うはずの治癒魔法から先に習っていなければ、治療が遅れて危険な状態だった。

「夫人は……何故……」

 呆然と呟く。

 報告を受けた時の母上の慌て方と夫人への非難。

 当然だった。

 あいつは小さい頃から鞭打たれ、恐らく魔法で過度に傷つけられ続けていたのだから。

 母親だからどうせ手加減している、あいつの言動が酷いせいで怒りから思わず傷つけただけだ。

 今日までそう信じて疑っていなかった自分を恥じた。

 兄のミハイルが本来なら攻撃系統の魔法から習う常識を無視し、父である公爵に直談判して先に治癒魔法から習い始めた事は公爵の部下が話していたのを聞いた事がある。
実母から妹を守る為だったんじゃないだろうか。

 ミハイルはずっとあいつを嫌っていると思っていた。
妹にかける言葉はいつも手厳しいものだったから。

 だがAクラスで4年間共に学園生活を送っていたからいくらかはわかる。

 ミハイルは公子らしい責任感の強い男で、日々自己研鑚に励んでいる。
成績はいつも1位。
私は万年2位だ。
悔しい気持ちもあれど、納得もしている。

 彼の卒業後のスカウトがあちこちから来ていたのも頷けるくらい、日々努力を欠かしていない事くらいは、4年もクラスメイトとして実戦訓練を共にしていれば疑うべくもない。