「あ……」

 兄も咄嗟の行動に叩いた自分の手を目を見開いて見ながら呆然と声を漏らしたわ。

 初めて兄に手を上げられたわね。

 それにしても、思わず突いた腕が数日前とは比べられない痺れと痛みに襲われているのだけれど。
一気に指の方まで腫れてきているし。 

 これ、折れたわね?

 ふう、とため息をつけば、立ち竦むどなたかはビクリと体を強張らせたわ。

 その様子がクソババア発言をした直後の前世の息子達のようで、思わずくすりと笑ってしまった。

「何故、笑う」

 あらあら、そんなに泣きそうなお顔をしちゃって。
お馬鹿さんね。

 不思議とあの孫に腕を捻られた時のような怒りは感じない。

 ふふふ、呆れはするけれど、可愛らしい人ね。

 素直ではないところも、そのせいで実妹を気にかけるのがいつも中途半端なところも、手を上げておきながら頬に当たる直前に力を抜いて与える痛みを最小限にしようとしたところも。

 大の男が怒りに任せて叩いた頬の割には、もう痛くないわ。

 私も咄嗟に倒れて頬への衝撃を和らげたもの。
お陰で腕が大変な事態に陥ったから、頬への痛みを選べば良かったかしら?

 なんて考えていたら、くすくすと笑いが漏れてしまったわ。
もちろんデフォルトの淑女の微笑みじゃないわ。

 ただし腕の激痛に苛まれてはいるから、苦笑したような顔だとは思うけれど。

 そんな私にこれ以上どう声をかけるべきかわからないのでしょうね。
相変わらずの表情のまま、仁王立ちして固まっているわ。

「可愛らしい人ね」
「な、に……」
「起こして下さいな」

 頬はともかく、腕は激痛で体が強張ってしまって1人で立ち上がりたくないわ。

 私、痛いのは嫌いなのよ。

「これ、腕を?!」

 お兄様は手の部分まで赤く腫れてきた腕に気づいて、愕然としながら床にしゃがみ込む。

「すまない!
すまない、ラビアンジェ!」

 そう言うとさっとお姫様抱っこをしてまた固まる。

 ああ、そうね。
このログハウス的私室にはソファや来客用の椅子なんて類いはないものね。

 辺りを見回してそのまま奥に大股で進めば、ベッドに下ろしてくれた。

「勝手に寝室へ立ち入ってすまない。
腕を見せてくれ」

 許可を与える間もなく腰掛けた私の前に膝をついて座ったお兄様に腫れた腕に触れられ、鋭い痛みに襲われた。

「んっ」
「やはり折れたか。
すまなかった」

 何度目かの謝罪をしてゆっくりと治癒魔法をかけてくれる。

 そうね。
いきなり治癒させようとすれば、折れた骨が歪んでしまうかもしれないもの。

「すまない。
痛かったら声を出していい」

 ゆっくりと、関節を整復するように固定しながら折れた骨を修復していく。

「んぅっ」
「痛いな。
すまない」

 もちろん痛いわ。
折れた骨をくっつける前に整復するんだもの。

 でももう随分と久しぶりに触れられたお兄様の手は温かくて力強くて、心地いいわ。
それに痛いのを我慢しろとか、痛くないとか言わずにちゃんと受け止めてくれるのね。

 何だか心の奥が擽ったいわ。

 しばらくしてやっと痛みと痺れが引いてくる。

 ほっと息を吐いて体の緊張を解く。

「頬は痛むか?
すまなかった」

 治癒魔法をかけ続けながら、再び謝る。

 その顔を見て、あの孫との違いに気づく。

 自由な方の手で、そっと兄の頬に触れてみる。
嫌がられるかとも思ったけれど、大丈夫みたい。

「頬は平気よ。
可愛らしい人ね」
「そんな事は初めて言われた」
「そう?
ねえ、お兄様。
そんな顔をしないで欲しいわ」
「どんな顔をしている?」

 その言葉に思わず苦笑してしまったわ。
やあね、このにぶちんめ。

「泣きそうよ」
「そうか」
「ふふ」

 お顔を戻そうとしたのでしょうけれど、何だか泣き笑いしてそうなお顔になってしまっているわ。
思わず笑ってしまったじゃない。

「素のお前は、そうやって笑うんだな」
「あら、いつも微笑んでいるわ」
「何故いつも微笑む?」

 まあ、不思議な質問ね。

「淑女を求めていらっしゃるのはお兄様達では?」
「確かに微笑みだけは淑女らしいと言われていたな」
「でしょう?」

 無才無能をはじめ幾多の悪評を持つ公女ラビアンジェだけれど、微笑みだけは良きにしろ悪きにしろ淑女と認められているのよ。