翌朝。リビングへ行くと、ちゃんとした朝ごはんがテーブルに並んであった。

しっかり二人分、美味しそうな匂いにつられて椅子に座る。すると、母さんは微笑んで「おはよう」と挨拶をしてくれた。
何年ぶりだろうか。懐かしい感覚とともに込み上げてくるのは嬉しさと幸せな気持ち。
いつからか挨拶もなくなってしまった僕たちは今日、幸せを分かちあっている。
朝起きて、挨拶をしてご飯を一緒に食べて、当たり前のことが当たり前にできるようになったのだ。

「母さん、行ってきます」

「行ってらっしゃい、気をつけてね」

いつもより軽い足取りで家を出る。
ノートと水の入ったペットボトルを入れたカバンを自転車のカゴに放り込んで勢いよくペダルを漕ぎ始めた。
風が気持ちよく、空は雲ひとつない快晴だった。

思い出の場所に着くと、いつもの場所に1人僕と同い年くらいの女性が座っているのを見かけた。

僕は何故か懐かしくなってその人に声をかけた。

「隣、いいですか?」

女性は「どうぞ」と微笑んで迎え入れてくれた。

「いつもここに来るんですか?」

「私にとって、思い出の場所なんです」

「僕もです⋯。ここに来るとなんだか懐かしくて」

同じ人を見つけたからなのか、似た雰囲気を纏っていたからなのか分からないが、なんだか親近感が湧いてしまった。

「なんでですか?」

「よく、覚えていないので⋯。詳しくは分からないんですけど、夢によく出てくるんです。僕と、同年代くらいの女の子が楽しそうに会話をしているシーンが」

「私を見て、何も感じませんか?」

変な質問をしてきた。最初は彼女に似ていて親近感を持ったが、今日初めてあったので感じるものは何も無い。

「特に⋯えっと、初めましてですよね?」
 
「ん〜。やっぱり覚えてないか⋯」

彼女がぼそっと呟いた一言、僕にはしっかりと聞き取れた。

「覚えてないって⋯。僕たち会ったことがあるんですか?」

「 来くん⋯本当に何も思い出せない?」

名前を呼ばれて少しドキッとする。

「え、なんで⋯僕の名前を知って⋯」

その瞬間、ある思い出が脳裏に蘇る。

夢の中で何度も何度もでてきたあのシーン。不意に思い出したあの会話。
全てのピースが合わさるように、目の前にいる彼女の言葉を思い返す。

「⋯(あお)?」

「やっと思い出した?あ、じゃあ⋯小さい頃ここで結婚するって約束も覚えてる?」

子供のようにはしゃぐ彼女を見て少し微笑む。

「覚えてる⋯覚えてるよ」

懐かしいながらも、結婚というワードに少しし恥らちを感じながら頷く。

「私はずっと、覚えてた。忘れたことなんて一時もないよ」

「ごめん⋯僕は忘れて⋯」

「いいの、どうせそうだろうと思ってたから」

返す言葉もなかった。傍から見ればどうでもいい約束だろうけと、彼女と僕にとってはとても大切な約束だったのに。
それを忘れてしまうなんてとても不甲斐ない。

「かっこよくなったね⋯」

唐突な褒め言葉に少し頬を赤く染めながら驚く。

「そんなこと⋯ないよ」

「あるよ、昔よりかっこよくなってる」

そう言って微笑む彼女は向日葵のように暖かく、まっすぐした瞳を持っていた。

「あ、そのノート。もしかして⋯」

そう言って彼女は僕のノートを手に取った。1ページ1ページ丁寧に呼んでいる彼女の瞳はとても綺麗で、黄色い服の色が向日葵を安易に連想させる。
風に吹かれてなびく髪の毛はとても繊細で、美しく僕の視界を彩った。

「どうかな⋯」

「これって私?」

「う、うん⋯。そうだよ。ずっと君を想いながら書いてた」

「いい感じだよ⋯」

「そう⋯?ありがとう!」

彼女は目にうっすらと浮かぶ涙を零さないようにと拭いながら僕にノートを返した。

「物語の中の私たちが微笑ましくてつい⋯」

「あ、えっと⋯」

慌てながら持っていたハンカチを渡す。すると彼女は驚いたような表情をした。素直にハンカチを受けとり、涙を拭う。

「いい男になったね⋯」

「だから⋯さっきから何⋯」

照れ隠しで少し怒鳴りながも表情は緩んでいて、自然と口角は上がっていた。

すると彼女は、ハンカチで涙を脱ぐうのをやめてスマホを取り出す。

「連絡⋯スマホ出して」

「あ、うん⋯」

言われるがままにスマホを取りだし、連絡先を交換する。

「それと、楓が迷惑かけてごめん」

「え、樋渡さん⋯?なんで⋯」

「一応姉だから」

「え⋯樋渡さんのお姉ちゃん⋯!?」

「そう、フルネームは樋渡蒼(ひわたりあお)

淡々と語る彼女の瞳はとても綺麗で、まるでブラックホールのように吸い込まれそうだった。

「蒼⋯今度は忘れないよ」

「うん⋯忘れないでね」