梅雨の時期なのにも関わらず、雨が降らない日が2週間ほど続き、もう7月の半ば。
おかげで異常な暑さにうんざりしている。
それに、もうとっくに、『午前0時のオーケストラ』も読み終えてしまった。
今までの俺なら、雨が降らなくて喜んでいただろう。
でも最近は、この本を返すためにも、日向さんに会うためにも、雨が降ることを望む日々だ。
ところで今はというと、教室でお弁当を食べている。
つまり、昼休憩の時間。
雨、降らないかな……
と、窓の外を眺める。
すると。
ポツ……ポツポツ、ザァァァ
本当に雨が降り出した。
よしっ……!
クラスメイトが雨への文句を言い始める中、思わずガッツポーズをしてしまう。
日向さんに会える……!
まだそうと決まった訳ではないのに、喜びのあまり確信してしまう。
俺は午後の授業が終わり次第、すぐに橋の下へ向かった。
ヘッドフォンをすることも忘れて、傘を片手に川沿いを駆ける。
日向さん、日向さん……!
息が切れるほど全力で走り、あっという間に橋へと着いた。
階段を降り右へと曲がると、そこには2週間ぶりの日向さんが。
彼女は相変わらず本を読んでいて、その様子の美しさも相変わらずだ。
かっこ悪い姿は見せたくないから、大きく息を吸って乱れた呼吸を整える。
そして、彼女の名を呼ぶ。
「日向さんっ」
「あっ、葵くん!2週間ぶりくらい?また会えたね」
そう言って微笑む彼女を、今すぐ抱きしめたい。
ああ、本当に、恋とはやっかいなものだ。
「雨降って、俺、嬉しかったですっ」
気づけばそんなことを口走っていて、しまった、と顔が赤くなる。
この気持ちがバレていないか、チラッと日向さんを見ると、日向さんは少し驚いた顔をしていた。
バレたのか……?
今までとは違う心臓の音が、脳に響く。
でも、そうではなかったみたいで。
「えっ、びっくり!私も同じこと思った!1時くらいかな。雨が降り始めたのに気づいた途端、すぐにここに向かってきちゃった、へへ……」
……可愛い
垣間見える少し子どもっぽい一面が、俺の日向さんへの気持ちを大きくする。
日向さんも、俺と同じ気持ちだった……?
やば、嬉しい……
不安になったり、驚いたり、喜んだり。
俺をこんなにかき乱せるのは、雨と日向さんくらいだろう。
そんなことを思っていると、俺は大事なことを思い出した。
「あっ、あの、これ……!めちゃくちゃ良かったです、貸してくださって、ありがとうございました」
そう言って、日向さんに借りた小説『午前0時のオーケストラ』を手渡した。
「ほんとっ?よかった、喜んでもらえたみたいで。
あっ、ねね、主人公が自分の本当の気持ちに気づくところ、どうだった?私あのシーンの表現がすごい好きでさ!繊細で、優しいっていうか」
「分かります!比喩がいいですよね、それに店長のヴァイオリンの音とか……」
ああ、楽しいなぁ。
ずっと、日向さんとこうして語り合っていたい。
このまま世界の時が止まればいいのに。
もし本当にそんなことが起きたら、俺は世界一の幸せ者だろう。
『午前0時のオーケストラ』や、日向さんオススメの他の本について語り合っていると、あっという間に2時間が経過していた。
雨は小降りになっている。
日向さんは背伸びをして言った。
「う〜んっ、楽しい!私の周りに本のことを語り合える人、いないからなぁ。葵くんと出会えて良かった!思えばあの日、雨が降ってなかったら、私たち会えてなかったのかもね。それってなんか、奇跡みたいじゃない?」
「〜〜っ……」
いとも簡単に俺の心を揺さぶってくる日向さん。
本人に、その自覚はまるで無いのだろう。
そして日向さんは、一度『午前0時のオーケストラ』を閉じて、自分の夢について語り始めた。
「あのね、私今、編集者になるために頑張ってるの。編集者になって、常に小説の近くに居たくて」
「いい夢ですね」
「でしょ?小説の傍で、どんな人が小説に関わって、その小説はどんな感情を生み出すのか、見てみたいんだ。喜び方や泣き方は十人十色。その小説だったからこそ生み出せる感情っていうものがあるって、私は思う」
彼女の瞳は、希望に満ち溢れている。
彼女が編集する小説は、きっとたくさんの人に愛されることになるだろう。
その光景を見ていたい。
幻とも伺えそうな夕日の強い光が、辺りを照らした時だった。
ふと、彼女と過ごすこれからを望んでいる自分がいることに気がつく。
「もう雨止みそうだね。でも、止んで欲しくないなぁ……ねぇ、葵く……」
「好きです」
「…………え?」
今すぐに気持ちを伝えないと、彼女が夕日に溶けて消えてしまいそうで、焦って反射的に口から出たその4文字。
だから、緊張はなかった。
いや、する暇がなかったと言った方が正しい。
日向さんはとても驚いた顔をしていて、夕日を映している瞳は、いつもより輝きを増して見える。
俺は、囚われたかのように彼女の瞳を見つめ、離さなかった。
前とは違い、先に目を逸らしたのは彼女の方だった。
「あの日、日向さんに初めて会った日からずっと、日向さんのことが好きです。俺と、付き合ってください」
こんなにも真剣に、自分の気持ちを誰かに伝えたのは初めてだった。
だからか、ふわふわとした不思議な感覚に陥る。
ただ、この気持ちが、真っ直ぐ彼女に伝わって欲しい。
届いて欲しい、響いて欲しい。
断られたらどうしようなんて思う暇はない。
今、目の前で、頬を赤らめながら目線を泳がせ、慌てふためいている彼女が、本当にどうしようもなく……
好きで愛しくて。
「え、な……え!?あ、葵くんが、私のこと……す、すっ……」
「はい、好きです、大好きです。明るい笑顔で俺を照らしてくれる日向さんが、好きなんです」
日向さんは、何度も好きだと言う俺に耐えられなくなったのか、両手で顔を覆っている。
あなたのそばに居たい。
だから、どうか
「この想いを、受けてもらえませんか?」
告白の仕方も、愛の伝え方も知らない。
そんな俺をここまで突き動かすのは、あなたへの気持ちがあるからなのだと、知って欲しい。
「あ、え、えと………
よ、よろしくお願いします……っ」
「!……〜〜日向さんっ」
「わっ、ちょ、葵くん!」
俺は、嬉しさのあまり抱きついてしまった。
「めちゃくちゃ嬉しい……っ」
「うん、葵くんの気持ち、伝わったよ。私も嬉しい、ありがとう」
「なんで告白受け入れてくれたんですか?」
その質問に、また彼女は慌てる。
「え、えっと、それは……」
「……?」
「私が紹介した本をきっかけに、本を好きになってくれたのが嬉しかったの。それに葵くん、楽しそうに話してくれるから……ま、前からいいなと思ってた……みたいな?」
「………っ」
「もう、言わせないでよ……あ〜恥ずかしい〜」
「良かったです、俺が気持ち押し付けたとかじゃなくて」
「そんなんじゃないよ、当たり前でしょ?さっき言ったみたいに、私きっかけで今まで本が嫌いだった葵くんの気持ちを変えられたのが、何だか編集者っぽいこと出来たな、みたいに思えて嬉しかったんだ。だから、これからも葵くんと一緒にいると、楽しいことがたくさんありそうだなと思って」
「俺もです。日向さんに一目惚れしてからずっと、そう思ってました。一緒にいたいなって」
「っ……なんかさ、告白の言葉といい、葵くんこういうことに慣れてない?」
「え!?」
予想外の言葉に驚きを隠せない。
「俺、告白どころか、人を好きになるとか初めてですよ。だから、初恋が一目惚れだなんて想像もしたことなかったです」
「え〜?ほんとかなぁ〜?」
俺をからかう日向さんからは、先程までの頬を赤らめる日向さんの姿は、もうすっかり消え去っていた。
「ほんとですって!」
「あははっ、冗談だよ」
「もう……」
「雨、止んだね。夕日が綺麗……」
「ですね」
沈んでいく太陽を見ながら、今までにない幸福感を感じるていると、日向さんはこんなことを言ってきた。
「あ、ねね、せっかく付き合ったんだし、今日はもう少しここに居ようよ。雨が降ってなくても、一緒に。ね?」
「!」
雨が降らなくても、一緒に……
今までの俺は、そんなこと考えたこともなかった。
雨が降らないと、この橋の下に来る理由がないから。
それに、初めてあった日の帰り際に、日向さんは“雨の日に”会えると言ったから。
でも、これからは違う。
そう、そうか……俺たち、付き合ったんだから、雨の日に限らず会えるんだよな……
「じゃあ、今度デートでもします?」
「おっ、いいね!どこに行くっ?」
う〜ん……
「あ、図書館とかどうですか?俺たちにピッタリの場所だと思います」
俺たちにとっては、きっと、遊園地よりも楽しいところだろう。
それに、本が嫌いじゃなくなった今、図書館に足を踏み入れてどんな気持ちになるのか知りたい。
日向さんも賛成の様子で。
「図書館!最近行けてなかったから、丁度いいかも!ふふっ、楽しみだな〜」
俺も、誰かとこうして予定を決めて出かけるのは久しぶりだから、内心とても楽しみだ。
それに、人生初の彼女とのデートでもある。
どんな服着ていこうかな……
こんなことを考えている自分に少し寒気がするが、彼女によく見られるためだ。
仕方がない。
「せっかくだし、今からはラブストーリーの本にする?オススメのやつあるから!」
こういった子どもみたいな姿は、やはり可愛らしい。
こんなに可愛い人が自分の彼女だなんて、まだ実感が湧くはずもない。
「じゃ、そうしますか」
「あっ、そういえば前から思ってたんだけど……」
前から思う?
何を言われるんだ、と少し身構える。
「敬語はなし!さん付けもなし!分かった?」
「……え?敬語?」
「うん。付き合ったんだから、これを機に敬語やめちゃおう!わかった?はい、日向って言ってみて。せーのっ」
「ひ、日向……」
「よろしい。じゃ、本を読も〜う!」
日向さ……日向のテンションが少し高く感じるのは気のせいだろうか。
告白のこと、そんなに嬉しかったのか……?
そうなら、いいな。
そして俺たちは、とっくに日が沈んでいることにも気づかないまま、1時間半もの間、ラブストーリーの本について語り合っていた。
その間、たまに合う視線が、今まで以上にくすぐったく感じたのは、言うまでもないこと。