「ふん、たかが平民風情が随分と偉そうだな」
「毒でも入れてそうな卑しいお前の作った料理なんか、食べるはずがないだろう」

 床に散らばる料理だった物を見て、途方に暮れる。

 どうして? 僕はただ、仲良くしたかっただけなのに。

「あらあら、貴方達、何をしているの?」

 涼やかな声の主は、優雅な足取りでこちらに来る。

「あ、の……お母、様」

 呼び慣れない呼び方で義理の母となった公爵夫人に呼びかける。だけど、そのまま俺に話かける事もなく素通りされた。

「ねえ、侍従頭。羽虫がいるようなの。追い払っておいて。それから何か勘違いした平民も邸に紛れこんだようね? 私はこの子達以外に母と呼ぶのを許した者はいないから、私の事は公爵夫人と呼ぶように教育なさい」
「かしこまりました」

 母さんが死んで、父さんに連れてこられた、広い広いこの邸。だけどどれだけ広くても俺の居場所はなかった。そう、何処にも。

「自分達の家庭を壊した女の息子が、貴族の中でもトップクラスに位置する公爵家の令息になったのよ? 面白いなんて酔狂な心情になると思う?」

 父上の従兄である辺境伯の計らいで、俺は公爵邸から離れた。邸に着いてからも環境を悲観して、俺はただ黙って俯いていた。

 そんな俺に容赦のない辛辣な言葉を浴びせたのが、当時九歳だったミルティアだ。

 見た目は小さくて可愛らしい令嬢。なのに形の良い口元から発する言葉で、俺の心臓を凍りつかせる。

「貴方が公爵の愛人である母親と一緒に、公爵と家族ごっこしながら過ごしている時。社会的な家族である公爵夫人と異母兄達は世間の好奇の目に晒されながら、厳しい貴族教育を受けていたのよ」

 母さんを愛人だと!? それに母さんが突然死ぬ前までの、三人家族として質素な家で過ごした日々。かけがえのない家族の時間を家族ごっこ!?

 血が沸騰しそうなくらい、怒りが湧く。

 でも……公爵邸に住まいを移す直前になって知った、父上の妻と異母兄達の存在。邸で容赦なく放たれる言葉の刃で、俺と母さんの立場を知った。

 正直、母さんが生きていた頃に知っていればと、何度も思った。

 それに俺は公爵邸に着いてすぐの頃から、父上と殆ど顔を合わさなくなった。父上は母さんとの思い出に浸りたくなった時だけ、俺の前にふらりと現れる。けれど俺に公爵邸での生活について尋ねる事は滅多にない。

 母さんが生きていた頃は、もっと家族として時間を過ごしたのに。

 だから俺と母さんは、父上が現実逃避する為の場所でしかないのかもしれないと……。

「夫人と異母兄達から死ぬまで憎まれる事はあっても、愛されるはずがないじゃない。もちろん貴方からすれば理不尽なのもわからなくはないわ。けれど彼らからしても、お前死ねよってレベルで貴方の存在は理不尽よ? 貴方がいっそ世界そのものを憎むとしても、それはあなたの自由。権利でもある。そしてそれは公爵家の面々も同じ」

 公爵邸に向かう馬車の中で、父上には夫人と二人の息子がいると打ち明けられた。夫人を母親として、異母兄二人とも血が繋がっている兄として頼れと……。だから俺は……。

「子供の貴方から法律的に縁を切るのは難しいでしょう。けれど、つまらない縁故を生む前にせめて気持ちの上だけでも、父親共々縁を切りなさいな。関係改善なんて希望を抱いたって、他人は変えられない。特に貴族の世界は富と権力が絡む分、よっぽど汚くてタガが外れやすい。気を抜けば自分が殺されるわよ」

 そんな事を九才の令嬢(ガキ)が当たり前に言ってくる。

 そんなのわかってんだよ! だけど時々見せる父上の愛情を、俺を愛してくれる唯一の肉親を……手放したくない!

「馬鹿ね。公爵(父親)が一番悪いのに。そして二番目はあなたの母親よ」
「何だと?!」

 母さんを侮辱され、カッとなる。自分より小さくてか細い令嬢の胸ぐらを掴んだ。

「父親はまともに貴方のフォローもしない。不義の子供を引き取るのに、家族に謝罪もお願いもしなかったみたいね。母親は不義の子供である貴方に、自分も含めて身の程というのがどんなものかを教えなかった」
「ふざけんな!」
「だから子供の貴方は立場を弁えもせず、自分の両親が一番傷つけただろう被害者達に、自分への愛を当然のように求めて関係を歪ませたのよ」
「貴様ぁ!!!!」

 そのまま殴ろうとして、気がついたら殴り返されていた。いや、その後殴る蹴るの暴行を十四歳の俺は、九才の令嬢から受けた。

 しかも一発がやたらと重い。昔異母兄達から受けた暴力の比じゃなかったぞ。どんな鍛え方してやがるんだ?!

「ふざけんな! 何も知らねえ、甘やかされて育った根っから貴族のクソガキが! こっちは被害者なんだ! 加害者の事なんか知るかよ!」

 ガキの、それも女にボコられたのがショックで叫ぶ。負け犬の遠吠えだ、チクショウ。

「ま、十四歳の少年なんてそういう思考になるわよね。父様、母様。このお兄さんと森にお出かけしてくるわ。お兄様達にはお稽古を明日二倍にするから、今のうちに体を休めておくように言っておいて」
「「野宿するなら、朝ごはんまでには帰ってくるようにね」」
「はーい」

 ……会話がおかしすぎるだろう?! コイツ辺境とは言っても、仮にも伯爵家の令嬢だろ!? 何で野宿決定で、明日の朝飯までになる!? まだ夕方だよな!? しかも自分の兄貴の稽古をつけてやってるかのような発言じゃねえか!?

 ちっちゃい手が、俺の首根っこを掴む。瞬間、景色が変わった。

「それじゃ、しっかり生き残ってね。私が甘やかされて育ったように、お兄さんも死ぬギリギリになったら助けてあげる。安心して」
「はぁ?!」
「大丈夫。お兄さん治癒魔法が苦手そうだから、私の時みたいに手足が食い千切られた時は、私がくっつけてあげる」

 100%善意だと直感はした。清々しいほど満面の笑みだったからな。

 だからこそ言ってる言葉に戦慄した。

 私の時みたいに? え、コイツ腕食い千切られて、自分でくっつけたのか?!

 死ぬ間際に助けてやるのが、甘やかしてるって認識とか、マジで言ってんのかよ!?

 二の句を告げられずにいれば、いつの間にか一人取り残されていた。

 何処行った!? そもそも何処だよ、ここ!?

 ····やべえ家に引き取られて、やべえガキに目をつけられた。これ詰んだ。絶対死ぬ。

 いや、死なないのか? 死ぬぎりぎりのラインはどこだ!? 俺の常識を大きく逸脱しているに違いない。

「とにかく森を抜けよう」

 誰にともなくそう言って走る。あの会話からして森の中だ。まだ明るい。日が落ちる前に森を抜けなければ!!

 結論は、無理だった。

 後で知ったが、この森は辺境領の中でも、限られた猛者しか立ち入りが許されない魔獣が跋扈する森。嗜み程度の貴族剣術や魔術では、即食い散らかされて死ぬのが当然の森だった。

 走ってほんの数十歩でラビットベアに襲われた。見てくれはちょっとデカイ兎だが、獲物見つけた途端に熊化して、デカイ牙と爪で襲ってくる。当然のように俺の腹は爪で抉られ、牙を突き立てられた。

 結局こんな所で食われて死ぬのかよ。絶望と共に意識は暗転した。