みぃちゃんがこの町を出ていったのは、それから一週間が経った日の朝方。学校に行くために家を出た僕は、荷物を両手に抱え、車のトランクにそれを乗せるみぃちゃんと出会した。
隣には、みぃちゃんよりももう少し大人の男の人が立っていた。僕を見るなり、軽く頭を下げると、その男の人は運転席に乗り込んでいった。
大人の余裕というやつを魅せられた気がして、むしゃくしゃした。
「今日なんて、聞いてないんだけど」
「あぁ、ごめん。だって、たっちゃん、寂しくないって言ってたから」
「だからって、何も言わずに出てくのは違うだろ」
――ごめんね。
また、みぃちゃんが困ったように笑った。
どう言葉を紡いでも、あの男の人には勝てる気がしなくて、余裕のない子どもの自分が悔しくて、唇を噛みしめる。
「たっちゃん、」
みぃちゃんが、僕の名前を呼ぶ。
あぁ――この声はもう、聞くことが出来なくなるのかな。僕の名前を呼ぶことはなくなって、その分、あの男の人の名前を呼ぶ回数が増えるのだろう。
「みぃちゃん……っ、」
そんなことを考え出したら、みぃちゃんを抱きしめたい衝動に駆られて、思わず手を伸ばす。
しかし、その手は情けなく空を切った。
みぃちゃんは、トランクの荷物から何かを探し始めた。そして、一冊の本を取り出すと、それを僕に差し出した。
「これ、あげる。わたしのお気に入りなんだ」
その小説の表紙は、全体的に柔らかい印象のイラストで、水平線を眺める二人の男女が描かれていた。
普段、僕が読まない類の、恋愛小説のようだった。
「大人になったら、読んでね」
「……いますぐ読んじゃだめなの?」
「いますぐは――うん。ちょっと嫌かな。恥ずかしいし」
「それって――」
どういう意味?
そう訊きかけたところで、車のクラクションが短く鳴らされた。それが、僕たちの別れを催促しているものだということは、言うまでもなかった。
「ごめん、そろそろ行かなきゃ」
嫌だ。待って。
「……行かないで、」
助手席に乗り込もうとするみぃちゃんの背中に、声を掛ける。
僕の言葉に、みぃちゃんは動揺したようで、びくりと肩を震わせていた。このまま、僕がみぃちゃんを抱きしめてしまえば、この町に残ってくれるのだろうか。しかし、くるりとこちらを振り向いたみぃちゃんは、幸せそうに笑っていた。
「ばかなこと言ってないで、早く学校行きな!」
「いい。今日はもう、行かないよ。みぃちゃんのこと、引き止められるなら、僕はっ――」
「たっちゃん!」
刹那、みぃちゃんの顔に困惑の色が浮かんだ。だけど、またけろりと笑顔を見せると、僕に手を振った。
「じゃあね、たっちゃん」
僕は、何も言えず、みぃちゃんを乗せて走った車を、見えなくなるまで眺めていることしか出来なかった。