「わたしね、この町を出るんだ」
唐突に、みぃちゃんが言った。
隣で本を熟読していた僕は、すぐにその言葉の意味を理解出来なかった。
高架橋の下、目の前を流れる河川の水光に、みぃちゃんは少し眩しそうに目を細めていた。
「――えっ?」
固まる僕に、みぃちゃんは笑いかける。
「もぉ、たっちゃん! わたしの話、聞いてなかったでしょ〜」
しかし、その顔には、どこか物悲しさが窺えた。
「わたし、この町出るから」
そして、もう一度、そう言った。
僕が高校三年生、みぃちゃんが社会人一年目の夏のことだった。
みぃちゃんは、僕の家の隣に住んでいて、お互い一人っ子ということもあり、よく遊び相手になってくれた。公園でいっしょに砂遊びをしてくれたり、小学校の登下校は手を繋いで歩いてくれたり。読書という楽しみを教えてくれたのも、みぃちゃんだった。
小さいころは、いろいろ教えてくれる、優しいお姉ちゃんとだけ思っていた。でも、中学生になってから、僕の心は確実に変化していた。
思春期という多感な時期を迎えた僕は、みぃちゃんと遊ぶことに多少の抵抗を覚えるようになった。しかし、みぃちゃんはそんな僕を面白がって、ちょっかいを掛けてきた。そして、一度だけ、堪らなくなり、みぃちゃんに冷たく当たってしまったことがある。
そのとき、ひどく傷ついた顔をしたみぃちゃんを見て、胸が痛んだ。
母親と喧嘩したあとの煩わしさ、クラスメイトの女子との間に流れる沈黙の気まずさ。そういったものではなく、ただただ、胸が締め付けられるように痛んだ。
その感情の名前がわからなくて、もしかしたら病気なんじゃないかと疑ったこともあったけれど、歳を重ねるにつれ、その輪郭がはっきりとしてきた。
恋だ。
あの子が可愛いとか、優しいとか、付き合えるとか。そういった話を、友達と散々してきたせいで、恋をした気になっていた。まさか、本当の恋が、こんなに苦しいものだとは思わなかった。
そして、僕のこの恋心が、どうも周りの同年代よりも厄介なものらしい、ということに気づいたのは、高校生になってからだった。
当時、メッセージアプリで頻繁にやり取りをしていたクラスメイトの女子に、好きな人を聞かれ、みぃちゃんの話をしたことがあった。頼んでもないのに、諦めたほうがいい、なんてアドバイスをされ、のちにその女子が、僕に好意を寄せていたと知ったときには、とてつもない嫌悪感に襲われた。
そのことを友達にぼやくと、諦めたほうがいいことには変わりない、ということを、婉曲に突き付けられた。
いつかは伝えようと思っていたこの気持ちを、自分だけの中に留めておかなければいけない。そう飲み込んでからは、みぃちゃんの話は口外しないようにした。みぃちゃんに対しても、僕の気持ちに気づかれないように、細心の注意を払った。
だから、町を出る、と聞いたときには、無理に平静を装ってしまった。