「母さん、スクーター借りるよ!」
リビングにいる母さんに声をかけ、壁掛けのキーボックスからバイクのキーを取った。
「えー? どこ行くの。夕立がきそうよ!」
母さんの心配声をスルーして玄関へ向かい、クロークの扉を開けた。
父さんと兼用で使っている、半帽ヘルメットを出して頭にかぶる。
おもてへ出て、バイクを道へ移動させた。
母さんの言葉どおり、空はいつのまにかぶ厚い雲でおおわれている。
頼む。雨なんか降らないでくれよ。
祈りながら左ブレーキを握り、イグニッションをONにしてスイッチを長押しした。
エンジンがかかり、ボッボッボッボッボッ、と排気音が響く。
「うしろ、こんなだけど乗れる?」
「……うん、大丈夫」
チヒロはスクーターのリアキャリアに、横向きに腰かけた。
母さんと父さんが買い物に便利なようにと機能性で選んだ、前にはバスケット、うしろにリアキャリアがついたスクーターだ。
「じゃあ、行くよ。自転車よりスピードがでるから気をつけて」
「ヨシくんこそ気をつけて。安全運転でね」
「ラジャー」
チヒロの腕が、ふわりと僕の腰にまわった。
僕とチヒロ。
おそらく、これが最後のタンデム走行になるのだろう。
胸が破れそうなやるせなさに襲われたけど、いまは感傷にふたをして、アクセルグリップを大きくまわした。
・
・
・
・
・
チヒロの家の前に到着したときには……。
あたりは日暮れどきと変わらない薄暗さに包まれていた。
空いちめんが鉛色に塗りこめられ、ところどころで不穏な黒いちぎれ雲が浮かんでいる。
チヒロは無事だったが、黒髪や眉や瞳はセピア色に、肌は白みがかった氷のように、はかない色に変貌していた。
せく気持ちを抑えながら門扉の前に立ち、インターフォンのボタンを押した。
チヒロは僕のうしろで緊張と不安を隠せない、硬い面持ちをしている。
「はい……」
インターフォンのスピーカーから、女の人の声が返ってきた。
「……どちらさまでしょうか」