東京にもどってから、まる1日が過ぎた。

 チヒロは、いまだに姿を見せてくれない。

 なにもする気になれなくてベッドに寝転がり、白い天井を見つめていた。

 ひとりでに、ため息が漏れていく。

 疲労感はあるのに、昨夜はほとんど眠れなかった。

 頭のなかがぼんやりする。じっとり湿った、モヤがかかってるみたいだ。

 あさってから二学期がはじまるというのに、こんな状態で学校へ行けるだろうか。

 濃いコーヒーでも飲んだら、頭のモヤがすこしは晴れるかもしれない。

 部屋を出て、階段を下りていった。

 リビングのテレビがついていた。でも誰もいない。

 父さんは仕事だ。母さんは……と午後の陽射しがまぶしい庭のほうへ視線を向けたとき、リビングのドアが開いて母さんが入ってきた。

「あら。どうしたの。お腹すいたの?」

 息子は腹が減ったときしか、ダイニングキッチンに来ないと思われているらしい。

「違うよ。コーヒーを()れに来たんだよ」

 苦笑いを漏らして答えた。

「淹れてあげようか」

「いい。じぶんでやる」

「そう?」

 母さんは意外そうな顔をして、ソファーの真ん中に腰かけた。ワイドショーを観ていたようだ。

「母さんも飲む? うんと濃いのにするけど」

 きくと、母さんの顔が、パアッと明るんだ。

「飲む飲むぅ。ほんとー? 善巳がコーヒーを淹れてくれるなんて、どういう風の吹きまわしかしら。でもうれしいわぁ。親冥利(おやみょうり)に尽きるわね」

「おおげさだな。皮肉(ひにく)に聞こえるんだけど」

「皮肉じゃないわよ。心から感激してるの。おいしいコーヒーを淹れてね、マスター」

 母さんはにこにこと、上機嫌に言った。

 キッチンに入り、コーヒーメーカーにフィルターをセットした。
 ブレンドのコーヒー粉をいつもよりすこし多めに入れ、浄水器の水を受け口にそそぎこむ。

 スイッチを入れてしばらくすると、ドリップされたコーヒーがガラスのサーバーに落ちてきた。コーヒーの(こう)ばしくて落ち着く匂いが、キッチンに広がっていく。

「ねぇ、母さんさ」

 ふと思いだして、話しかけた。

「前にチョコレート断ちしてたことあったよね。あれ、なんでだったの」

「あぁー。よく覚えてるわね」

 母さんは座ったまま、首を伸ばして僕に言った。

「高校の同級生だった親友がね、(がん)になっちゃったのよ。手術することになって、それでね。快復(かいふく)を願って」

「そうなんだ。で、どうなったの。またチョコを食べるようになったってことは……」

「そっ。ご利益(りやく)があったのかどうかはわからないけど、7年たったいまも再発せずに元気に過ごしてるわ」

「へー。すごいじゃん。なら、あったんじゃないの、ご利益」

「どうかな~」

 母さんはくしゃっと笑って首をかしげた。