光を感じた。やわらかな白い光を。
まぶたを開けようとしたけど、思うようにあがらない。
薄目にした細い視界に、ぬっと人の頭が現れた。
見ず知らずのおばさんの丸い顔が、ぐぐっと迫ってくる。
ぱっちりした目に、臆面もなくのぞきこまれ、
「鴨生田さーん、わかりますかぁ? 聞こえてますぅ?」
よく通る大きな声できかれ、とんとんとんとん肩をたたかれた。この至近距離だ。もちろん聞こえている。
うなずきで答えた。
「あなたねー、海で溺れたのよ。覚えてますぅ? ××ホテルの海。ここね、病院よー。危ない状態だったけどね、昨日の夜、意識を取りもどしたの。
よかったわぁ、一命を取りとめてね。そのあとずっと眠ってたのよぉ」
おばさんは、にこにこ笑って言った。
この島の人に共通する独特のイントネーションとのんびりした口調の声が、耳のひだに沁みていく。
意識して、まぶたをあげた。一気に視界が広がった。
白い天井、白い壁、普通の家とはちがう幅の広いスライドドア。
おばさんはストレッチ素材風の白いVネックの半袖シャツを着ていて、下は同じ生地の藍色のパンツを履いている。
ナースウェア、なんだろうか。
こまかくうねる茶髪を、うなじのところで丸くまとめていた。
僕の左肘の内側は、点滴とつながれている。
助かったのか……。
一命を取りとめたと言われても、よかったとは単純に喜べなかった。なんだ、という無念さが心を暗くおおっていく。
チヒロは──?
チヒロはどこだ。
姿を確認しようと頭を左右に動かした。とたんに後頭部にするどい痛みが走り、ぐるりと目が回った。
「おうちの人?」
看護師のおばさんは僕が探している人を勘違いし、点滴の袋を交換しながら言った。
「昨日の夜連絡が取れてねぇ、すぐこっちに向かいたいって言ってたけど、飛行機の便が終わっちゃって無理だったのよ。でもね、今日来るって。
すっごく心配してたわよぉ。お母さん、電話口で泣いちゃって。意識がもどったって連絡したら『ありがとうございます、ありがとうございます』って何度もお礼を言ってねー」
母さん……。心配をかけてしまった。
申しわけなさと複雑な思いがひとかたまりになり、僕の胸をずんと一撃する。
「どうして……助かったんですか、僕」
「覚えてない? ホテルの人が水上バイクで助けたのよ。あなたがね、海に入っていくのをたまたまビーチにいたホテルのお客さんが目撃しててね。
こりゃ大変だってフロントに駆けこんだんだって。犬を助けようとしたの?」
「犬っ。あの犬はどうなったんですか。助かったんですか」
緊迫の場面を思いだし、心臓がきゅっと縮んだ。
僕が救助できなかったせいで、命を落としてしまっていたら……。
「だいじょーぶ! もう一台の水上バイクで、救出したって。浜に向かってねぇ、一生懸命犬かきしてたんですって。首輪をしてたそうよ。野良犬ってわけじゃないみたいねぇ」
「ゴムボートに乗って、波に揺られてたんです。吠え声が聞こえて……。助けられるって思ったんです。
でも、ふくらはぎが攣っちゃって。そしたら大きな波がきて、もろにかぶったから……」
「危ないわよ、夜の海は。もうね、無茶しちゃだめよぉ。あなたのまわりの人、みんなが悲しむからね」
看護師さんは、メッと子どもをしかるような顔をした。
「……はい。その犬……いまはどうしてるんですか」
しおたれてきくと、看護師さんはにこやかな表情にもどり、
「とりあえず警察署で保護されてるって聞いたけどー。それにしてもなんでゴムボートなんかに乗ってたのかしらねぇ。
まー、でも良かったわよぉ。あなたもワンコも助かってねぇ。どこか痛いところとか、気持ち悪いところはないですかぁ?」
ナース然としたセリフを口にした。
「頭のうしろがちょっと……」
「あー、ほんと? もうちょっとしたら先生が来るから、それ伝えたほうがいいわねぇ。お昼は食べられるかなぁ。んー。それも先生にきかないとね。あ、それからー」
膀胱に管を入れていて、ベッドわきのビニール袋に尿が溜まるようになっているので、ぜったいかってに起きあがらないように。なにか用があるときは、ナースコールボタンを押して。
その二点の注意を告げて、看護師さんは病室を出て行った。
急にしんと静まりかえった部屋をよくよく見ると、個室なのか、ほかにベッドはない。
赤ん坊のときをのぞいて、入院するのははじめてだ。
未知の環境に落ち着けなくて、じっと横になっているのがもう苦痛になってきた。
なによりチヒロのことが気になって、捜しに行きたくてしかたない。
点滴の針が抜けないよう気をつけ、ゆっくり上半身だけ起こしてみた。