砂浜をはさんで海と対面しているのは野性味たっぷりのジャングルみたいな林で、濃い緑の葉をつけた枝が砂浜のほうへせり出ている。

 砂浜はまだ遠くまでつづいていたけど、チヒロはとつぜん足を止めた。

 午後の陽の光がおどるまぶしい水平線のほうをまっすぐ向き、じいっと目をこらしている。

 楽しそうでも、感動しているふうでもなく、なんとなくもの悲しそうな横顔に見えた。

 部屋ではあんなにはしゃいでいたのに、疲れてしまったんだろうか。

 それともさっきの女子グループに、多少なりとも僕が反応したことを見透かし、気分を悪くしているんだろうか。

 まぶしい陽射しのせいか、チヒロの輪郭がぼやけて見えた。
 僕は指でまぶたをこすり、

「チヒロ……?」

 そっと声をかけた。チヒロは海に目をこらしたまま、ようやくくちびるを開いた。

「わたし……浮いてるよね」

「え。浮いてるって……身体が?」

 チヒロの足もとを見やった。

 黒いデッキシューズに包まれた足は、砂地からほんの数センチ浮いているように見えなくもない。
 でも、それはいまにはじまったことじゃない。

「ううん、身体じゃないの」

 チヒロはかすか過ぎるほどかすかにふっと笑いを漏らし、波打ちぎわへ近づいた。

 透きとおった波が、チヒロの足首から下をおおっては、引いていく。

 チヒロは感じられないはずだ。海水が冷たいのか、ぬるいのか。

 波の力がどれくらいか。

 太陽の熱や、頬を撫でる風や、植物や海の匂いや、こまかい砂を踏む感触や──この世のそういったものを──。

「え、と……」

 身体じゃないなら、なにが浮いてるんだろう。
 お手上げだった。

「ごめん。浮いてるって、どういうこと」

 チヒロは僕の声が聞こえなかったみたいに、無言を通している。

「チヒロ……?」

 弱々しく僕が問うと、チヒロはもぞりと足先を動かしてデッキシューズを脱ぎはじめた。

 ソックスも脱いで、砂の上に落とす。

 白いちいさな布のかたまりは完全に着地せずに、チヒロ同様わずかに浮いて見えた。

 僕に背を向けたまま、チヒロは前のほうで両手を動かした。

 そしてとつぜん、バッと白シャツの前身ごろが、鳥の翼のように広がった。
 それが下へさがり、彼女の両肩があらわになる。

 あわてふためいた僕の心臓が、胸を突きやぶりそうになった。
 全身が固まって、声もでない。

 チヒロは僕の動揺にかまわず、なんのためらいもなさそうに白シャツの袖から腕を抜いた。

 そして脱ぎ終えたシャツをゆっくり砂の上に置いた。

 チヒロはシャツの下に、ベーシックな白いキャミソールをつけていた。

 それでもむきだしの白い肩やほっそりした二の腕、背中上のなめらかそうな肌、キャミソールから透けるブラジャーの線に、僕の思考は完全ブラックアウトした。

 チヒロの手は左の腰へとすべり、スカートのファスナーを下げるような動きをしている。

 まさか……。

 いや、その“まさか”が起きてしまった。

 スカートは()しげもなく、すとんと落下したのだ。

「ど、ど、ど、ど、どど、チ、チ、チ、チ、チー」

 どうした、チヒロ。

 そう発したいのに、まともな言葉にならない。

 ちいさなヒップを包んでいるのは、白地にピンク色の小花柄がプリントされたショーツ一枚。

 そこからすっと伸びた太ももは、腕やウエストまわりと同じく余分な肉がついていない、成熟前の少女らしい美しいラインを描いている。

 かろうじて僕の体内に留まっている心臓が、どくどくどくどくと危険な速さで脈打った。

 昇天(しょうてん)しかけているのか、頭がぼうっとする。

 そんな僕へ、チヒロはくびれた腰をくっとひねって顔を向けた。

 照れ笑う瞳の奥に、なにかを決意したような、強い光がのぞき見えた。

 チヒロは、はっちゃけた笑顔で、

「これなら、それほど浮いてないよね!」

 元気いっぱいな声で言うと、くるりと前へ向きなおった。

「キャーーーァァ!」

 楽しさ全開の悲鳴をあげて、海へ走っていく。

 波しぶきひとつあげずに海へ入っていくチヒロのうしろ姿に釘づけになりながら、僕はじぶんのうかつさを激しく呪った。

 僕のせいだ。

 チヒロがあんなに思い切った、とっぴな行動にでたのは、さっき擦れちがったビキニ姿の女子たちが関係しているのだ。

 僕が変に意識したせいで。

 離島の青く美しい海。まぶしく輝く白い砂浜。夏の太陽。

 このシチュエーションに、じぶんひとりだけ学校の制服姿。

 違和感や引け目を感じずにはいられなかったんだろう。

 この場面、この状況で、わたし──浮いてるよね、と。