僕のてっぺんの髪が、右側へなびいているのがわかる。
 だけど横を歩くチヒロは、この世の風の影響をまったく受けずに、無抵抗の空間を歩いている。

「チヒロ。手をつないでいこうよ」

 なんとなくそうしたくて、僕は左手を伸ばした。

 チヒロははにかんだ笑みを浮かべながら、右手を伸ばしてきた。

 おたがい軽くグーにした手をかさねあい、なだらかな坂道を同じ歩調であがっていく。

 陽射しは肌がぴりぴりするほど強烈だったけど、早く海を一望(いちぼう)したくて、進む足にしぜんと力が入った。

 島のもっとも東の端に建つ灯台が近くなってくると、岬をおおいつくすように広がっていた南国特有の植物は減り、舗装道が広くなった。

 岬の崖沿いは木調の柵がめぐらされている。
 その柵に僕たちとそう歳が変わらなそうなカップルが海を向いて座り、おたがいの手を腰にまわしあって、東シナ海を見晴(みは)らしていた。

 いいムードをじゃましないよう、僕たちはすこし先の柵へ向かった。

 荒々しい波音が、急に大きくなった。

 崖上のへりに設置された柵に寄って行くと──。

 視界が一気に開け、目のなかいっぱいに、はるか果てで輝く水平線が飛びこんだ。

 コバルトブルーの光を放つ海が、ただひたすら広がっている。

 なんにもない。海、海、海、海、だ。
 そして、尽きることなくつづく青空。

 壮大(そうだい)な眺めに圧倒され、頭がくらっとする。言葉がひとつも出てこない。

 こんなのは、はじめての感覚だった。

 心は感動であふれ返っているのに、頭はからっぽになっていく。

 チヒロもずっと無言だった。

 柵に身を乗りだすようにして、真下を見おろした。

 岩場がゆるやかに20m程くだり、(いそ)に波が激しく打ち寄せている。

 白い波しぶきが豪快(ごうかい)にあがっては散り、あがっては散りをくり返す。

 おだやかな沖の海とは対極(たいきょく)の、迫力ある景観だ。

 岬の突端(とったん)はもうすこし先。堂々とそそり立つ灯台が目の前に迫っている。

 7階建てのビルに相当しそうな高さの灯台の周囲は、牧草地のような鮮やかな緑が茂っていた。

「灯台にのぼってみようか。もっとすごい眺めが見られるらしいよ」

「うん。のぼりたい!」

 晴れやかな笑顔で賛成してくれたチヒロと、灯台の前まで行った。

 すると、中からばっちり化粧をした女子3人が出てきた。

 つばの広い帽子をかぶり、サングラスをかけてどことなく気取っている。
 セレブ女子大生か、都心のOLといった感じで、正直苦手なタイプだ。

 なぜか、含みのある目つきで僕をじろじろ見ている。

 参観料を払って入れかわりに入ろうとしたとき、うしろからわざと聞かせるように、

「え、ボクちゃんひとり?」

「もしかして“ぼっち旅”じゃなーい?」

「それって楽しい?」

「センチメンタルジャーニーだったりして」

「彼女にふられて?」

 そうあげつらい、「キャハハハ!」と大笑いする声が響いた。

 すれ違っただけだ。
 なのになぜ揶揄(やゆ)するようなことを言われなくなくちゃならないのか。

 いい気分を台無しにされ、苦い思いがこみあげた。くちびるをギュッと引き結ぶ。

 すると。

 僕の不機嫌面をのぞきこむようにチヒロは顔を近づけてきて、ニイッと大きく笑みを広げた。

「“ぼっち旅”じゃないもんねー」

 ちょこんと首をかしげたひょうきんなしぐさで、まちがいを正してくれる。

 灯台のなかは狭い螺旋(らせん)階段が、ずっと上へ伸びている。茶色いステップに足をかけたチヒロは、

無礼(ぶれい)で嫌な人たちっ」

 憎々しげにつぶやくと、ずんずん上へのぼっていった。
 僕ははじかれたようになって、あわててチヒロを追いかけた。

 てきめんの効果だ。チヒロが僕以上に腹を立ててくれたから、胸のもやもやが“さぁーっ”と晴れていく。

 そのとおりだ。無礼で嫌な人間のことなんか、とっとと忘れてしまえ。

 気分を切り替え、上へ上へとひたすら螺旋階段をあがった。

 全97段。

 肩で息をつぎながらのぼり切り、扉を開けてやっと展望台に出た。

 そのとたん、湿り気をふくんだ強い風にビュウッと顔面をはたかれ、一瞬つむってしまった目を開けた。すると──。

 想像を超える、すごい景色に出迎えられた。

 崖の標高と灯台の高さを合わせて約40メートル。その高所からほぼ360度、海が見渡せる大パノラマだ。

 どこまでも無限につづく、澄んだ海の雄大な絶景。
 それを僕とチヒロで、独占(どくせん)している。