「ふしぎな感覚だったわ。ショックだったのよ。涙も流れた。でもなかなか信じられなかった。ほんと?って。
だって昨日まで教室で元気に笑ってたんだもの。明るい男の子でね、ちょっといいなって思ってたの、お母さん。その彼がとつぜんいなくなっちゃって……。
寂しさがじんわり胸に広がっていったわ。 死ぬってこういうことなんだって、身に沁みて感じたの。
こんなふうにあっという間にわたしたちの前から、この世からいなくなっちゃうんだって……。
そのときは、彼は天国へのぼっていったんだって思ったの。
天国がどんなところかよくわからないけど、花が咲きみだれる楽園のような場所をかってにイメージして。
そう信じたかったのよね。でないと不運な事故で命を奪われた彼がかわいそう過ぎるから」
「いまは? いまも天国はあるって信じてる?」
「うーん。どうだろう。半信半疑ってところかな。あって欲しいと願ってはいるけどね」
母さんはカップを持ちあげ、にこりと笑った。すっぴんの口もとへカップのふちをくっつける。
「幽霊って見たことある?」
「んんっ?!」
僕の問いに、母さんは口に含んでいたコーヒーを噴きだしそうになった。あわてて飲みこみ、
「なに、藪から棒に。でもないか。お盆や天国の話をしてたものね。
ないわよ、まったく。幽霊も人魂も目撃したことナシ。お母さん、霊感ないもの。
えー!? そうきいてくるってことは、もしかして……善巳は見たの? 幽霊」
「見てないよ」
もちろん否定した。
「ただじっさいはどうなんだろって思って。心霊体験の再現ドラマとか、夏になるとやってるじゃん。
ほとんどが人に祟る悪霊みたいな扱いで、おどろおどろしい演出の」
「そうそう。あれを観たあと、善巳ひとりでトイレやお風呂に入れなくなってたもんね、しばらく。
眠るときもお父さんやわたしがそばにいないとだめで」
古い話をむし返して、笑いをこらえる母さんに、
「ガキのころのことだろ。母さんだってそうだったんじゃないの。ちいさいときは。怖がらない子どもなんかいないよ」
むくれて言い返した。
「たしかにね。ごめんごめん。子どものときは幽霊がほんとに怖かったものね。いるって信じてたから。
幽霊を目撃したらもう生きていけないって、本気で思ったくらい怖れてた。それがふしぎよねぇ。大人になると怖くなくなっていくんだから」
「え、なんで」
「んー。やっぱり半信半疑になっていったからかなぁ。
幽霊ってほんとは存在しないんじゃない?って疑う思いと、もしさまよっている霊がいたとしても、わたしは恨まれるようなまねはしてないから大丈夫って、楽観的な思い。それが半々。それに……」
母さんは、「うふっ」と含みのある笑い声を漏らした。
「幽霊になって目の前に現れてもいい人がいるし」
「えー。誰よ?」
「そりゃあお父さんよ。マイハズバンド。それと善巳。実家の両親もね。
善巳が亡くなるなんて考えたくもないけど、万一先立たれたら……そのときは、どうしてもまた会いたいわ。
だからいいのよ、遠慮なく出てきて。お母さんはぜったい怖がらないからね」
「なにそれ。縁起でもない」
僕があきれ返った息をつくと、
「あー、ちょっと! もう7時半よ!」
母さんは“がっ”と椅子から立ちあがって、つけっぱなしのテレビを指差した。
「やっばい。遅刻するっ」
噴射するロケットのごとく、僕もあわてて立ちあがった。