まだ午前9時だっていうのに、カンカン照りのおもての気温は、すでに30℃を超えている。
魚焼きグリルで焼かれているシシャモになった気分で、僕たちは蒸し暑さをきわめた体育館にて、終業式恒例の校長の訓話や夏休み中の注意を、立ち通しで聞かされていた。
窓を開け放ち、大型扇風機を回していても、なまぬるい風が遠慮がちに感じられる程度で、気分が悪くなり、しゃがみこむ生徒が続出した。
隣の列のある男子がうんざり声で、「校内放送でやれや」とぼそっとつぶやくのが聞こえてきたけど、まったくそのとおりだ。
けっきょく終業式は早めに切りあげられ、冷房が効いた快適な教室で、これまた学期最終日恒例の、生徒ひとりひとりに担任から通知表が手渡される儀式が行われた。
僕らの学級担任は生徒たちから陰で“麻呂”と呼ばれている、30代前半独身のうらなり男だ。公民教科を教えている。
うるさいことを言ってこないのはありがたいのだけど、裏を返せば生徒にまったく関心を持っていないわけで、割り切って教師をしているのがみえみえの、ゆとり世代教師だ。
僕の成績は想定から大きくはずれることもなく、5段階の評価平均は3.8。
評価順位は42人中18位で、クラス内のまんなかあたりの位置だった。
期末テストを全力でがんばったとはいえ、中間テストの出来が悪かったから、まあこんなものだろう。
2年の学期末評価平均は2.5だった。
それと比べたらたいしたものだ。
ホームルームが終わり麻呂が教室から出ていくと、神部が、
「ガモ、休みのあいだなにしてんの。予備校通い?」
と話しかけてきた。
「俺、バイト」
「はぁ? バイト? なんの?」
「引っ越し会社の。明日からさっそくシフト入ってんだ」
昨日面接を受けて、即採用のはこびとなったのだ。
「余裕だなぁ。なに? 金が必要なの?」
「ちょっと旅行に行きたくて。沖縄のほうに」
「マジで? いいなぁ。沖縄といやぁやっぱ透明度バツグンの海だよな。俺も来年の夏は思うぞんぶん遊ぼっと。
あ、校長の注意の再現じゃないけど、水の事故には気ぃつけてな。溺れたりするなよ、海で。
土産は……あっ、あれがいいな。琉球ガラスのコップ。例の貸しはそれでチャラってことで、どう?」
「オケ。おやすいご用でぃ」
じゃあな、と神部がリュックひもを肩にかけて離れていき、僕も帰ろうと教室のうしろを見やった。けど、チヒロがいない。
しばらく待ってみたが、もどってこない。さすがに気になり、捜しに出た。
期待は薄かったけれど、彼女が在籍していた5組へまず行ってみた。
やはり見当たらない。チヒロはじぶんのクラスに足を運ぶのを、避けていたのだ。
チヒロが使用していた机の上に花が供えられているので、それを目にするのがつらいことや、クラスメートの会話を盗み聞きしているような気持ちになるので嫌なのだと言っていた。
窓ぎわのうしろから三つめの席に、白い花が生けられたガラスの花瓶が置いてあった。
僕は複雑な思いのこもったため息をついて5組から離れ、各教室や職員室をのぞいていった。
教科室は鍵がかかっていたので、「チヒロ」と廊下から声をかけた。
が、応答なし。
体育館へも行った。
どこかの運動部員が車座になって昼食を取っている最中だったが、ここにもチヒロはいなかった。
強烈な陽射しの外に出て、額からしたたる汗をタオルハンカチで拭った。ぐるっと校舎を回ってみたけど、チヒロは見つからない。
どうした。どこへ行ったんだ。
焦りがつのり、泣きたい思いで校舎へUターンした。
生徒のほとんどは下校していて、校内はぐっと静かになっている。
3年の教室階にもどってみると、廊下のずっと先に、ぽつんとたたずむチヒロがいいた。
安堵のあまり、へなへなと座りこみそうになる。
チヒロはなぜか、じいっと5組のロッカーと相対していた。
「どうしたの。捜してたんだよ」
近寄って声をかけた。チヒロのクラスの教室は、すでに人っ子ひとりいなくなっている。
「あ、ごめんね。しばらくここには来ないんだなぁって思ったら、ちょっと名残惜しくなっちゃって。
ぶらっとあちこち歩いたり、花壇や裏の植込みを見に行ってたの。それでね、さっき気がついたんだけど……。
わたしのロッカーがいつのまにかカラになってるって。ここ、42番。わたしの出席番号」
チヒロはアイボリー色のロッカーの一番左端、下から2番目を指で差した。
すこし文字がかすれてはいるけど、黒マジックで“42”と記されている。そこだけ南京錠やダイヤル錠がついていなかった。
「“42”って……考えてみたら不吉な数字ね」
ゆっくりと、しずかな声でチヒロが言った。
「いままで意識したことはなかったけど、ゴロ合わせで死人になるでしょ。変な噂が立ちそうじゃない?
42番は呪われたロッカーって。ここを使う人は早死にするとか」
チヒロは自虐めいたことを口にし、ふふっ、と笑った。
たしかに僕らは虚実があいまいなオカルト話や都市伝説で、馬鹿みたいに盛りあがれる世代だ。
だけどチヒロの死にかぎっては、誰の口からも娯楽として語られたくない。
否定も肯定もせずに、僕はあえて話題を変えた。
「じぶん用の鍵を取りつけてたんだよね?」