何年も不妊治療(ふにんちりょう)をつづけ、念願叶ってようく宿(やど)すことができた命が僕だったのだ。

 鴨生田家待望の一粒種(ひとつぶだね)として生まれた僕は、標準よりかなりちいさく生まれた(・・・・・・・・)うえ、乳児期に病弱(・・)だったこともあり、両親をはじめ双方(そうほう)の祖父母から、それはそれはかわいがられ、かなり甘やかされて育ってきた。

 駄々(だだ)をこねれば、わがままが通る。

 王様のごとき特権意識を腹に根づかせてしまった僕は、友だちに対しても我を張り、好き勝手をやりつづけていた。

 その結果小学校に入学してまもなく、天誅(てんちゅう)を食らった。クラスメート全員からシカトされたのだ。

 “無視の刑”を受け、ひとりぼっちの孤独(こどく)というものを僕ははじめて味わった。

 つらい。悲しい。さびしい。

 三拍子(さんびょうし)(そろ)った胸を(むち)打たれるような痛みに(おそ)われて、ようやく気づいたのだ。
 みんなと仲良くしたいなら、(きら)われるようなまねをしちゃだめだ、と。

 我が強いと、うとまれる。

 協調性がないのも、自慢(じまん)たらしいのも、不潔なのも、暗いのも、いじわるなのも、怒りっぽいのも嫌がられる。

 家族は許してくれても、他人は許してくれない。

 友だち付き合いのルールを身をもって学習した僕は、さっそく態度をあらためた。

 場の空気を読み、自己主張はやめて、人の和をなによりも大切にすることを心がけた。

 そして、できるだけ“ニコニコ”するよう努めた。

『“笑う(かど)には福(きた)る”ってな。なあ、善巳。悲しいことがあっても笑ってりゃあ、そのうちいいことがあるんだぞ』

 ことあるごとに口にしていた、じいちゃんが大好きなモットー。僕にはそれが、幸福を呼びこむために唱えるマジナイのように思えて、効果を信じたのだ。
 
 あれやこれやの努力が(こう)(そう)したのか、しばらくすると僕を見るみんなの目が変わり、受け入れられて、仲良くしてもらえるようになった。

 中学でもからかわれることはなく、いたって平穏(へいおん)な学生生活を送れていた。

 ところが高2の新クラス内でなぜか平和主義の能天気キャラと(あつか)われだし、一部の女子からちょいちょいおちょくられるようになったのだ。

『ヘラヘラしててキモい』

 女子から食らう『キモい』って、手裏剣(しゅりけん)を胸にぶっ()されるのに匹敵(ひってき)する威力(いりょく)を持った言葉だ。
 けど言った本人は、加害認識なんかこれっぽっちも持ってないだろう。

『ガモってなぁんか残念』って……。

 人を〈残念な生きもの〉扱いするなー!

 思い出すと胸の傷がうずいてしまうけど、心ない鬼女子の声なんてもうどうでもよくなった。

 なにしろ180度違う印象を抱いてくれる女の子がいたんだから。

 僕の笑顔が〈やさしい顔〉で、〈大好き〉と評価してくれる女の子が。

 いったいどんな子だろう。

 平々凡々(へいへいぼんぼん)な僕を陰から見つめ、こんなにも好きと思ってくれる女の子は。
 分不相応な高望みはもう持たないから、どうか、どうか、普通の女の子であって欲しい。

 そうだっ。

 持ち主の名前がどこかに書いてないか?

 あわてて手帳の最後のほうの頁を開いた。

 所有者を記入する欄があるにはあるが、氏名や住所、電話番号などはすべて空白だ。記入欄の下には、

〈※これは私にとって非常に大切な手帳です。拾われた方は誠にお手数ですが、お知らせくださいますようお願いいたします。〉

 と印字されている。

 手帳の製造元が印刷した文章なのだが、お知らせしたくても肝心(かんじん)の所有者がわからないのだからどうしようもない。

 落胆(らくたん)して、ペラッと一枚前の頁へめくりもどした。

 まさか──。

 目玉が飛びだしそうなほど、まぶたが“ぐわっ”と全開した。

 白い紙面の下部に、水色のインクで、

〈chihiro yoshikawa〉

 と書きこまれていたのだ。

 チ……ヒ……ロ……?

 どきどきしながら、口のなかで読みあげた。

 チヒロ ヨシカワ、と書かれている。

 まるで天から降ってきたかのような貴重(きちょう)な手がかりに、

 よっしゃあーっっ!

 と胸のうちで快哉(かいさい)を叫び、飛びあがった。

 シミが浮いた天井をあおぎ、ヨシカワ・チヒロ、ヨシカワ・チヒロ──、と(いの)るようにその名をくり返す。

 記憶にない名前だった。何組にいるのか。どんな子なのか。見た目は、性格は……。

 ああー、いっこくも早く知りたい!