風呂からあがり、ドライヤーを持って部屋にもどると……。

 チヒロがいなくなっていた。

 え──。

 強い焦りにかられ、あわてて開いたままの上げ下げ窓から下をのぞいた。

 庭の花々がやわらかな白い光のガーデンライトに(とも)されて、ぼうっと浮かびあがっているように見える。

 その庭にも前の通りにも、チヒロの姿は見当たらない。

 そうだ。退屈して家のなかを探検しているんだ。

 パッと頭に浮かんだ期待にすがり、ひとつひとつの部屋をのぞいてチヒロを捜した。

 どこかに隠れて、わっと人を驚かすような女の子には思えない。

 いや。でも僕のスマホをのぞきこむなんていう、びっくりな行動に出たじゃないか。

 いちおうすべての部屋のクローゼット、階段下の納戸や押し入れも開けて確認した。

 だけど、どこにもいない。

 あっ、と気づいて、玄関へまわった。

 身体から、すーっと血の気が引いた。

 隅のほうに寄せてあったチヒロのデッキシューズが──ない。

 まさか、()ってしまったのか。こんなに早く……。

 いや、違う違う。きっと散歩に出たんだ。

 わき起こる不安を打ち払いながら、スニーカーを突っかけて外に出た。

 湿った頭皮にしっとりした夜の空気がまといつき、やけにスースーする。

 二軒(にけん)先の開いた窓から、子どものはしゃぎ声が聞こえてきた。

 ぐるりと近所をまわってみたけど、やっぱりチヒロはいない。

 あんがい、部屋にもどっていたりして……。

 ぽっと灯った希望に励まされ、いそいで二階へあがってドアを開けた。

 でも、チヒロはいなかった。

 ローテーブルの上のパソコン画面はスクリーンセーバーの画像を映していて、アクアリウムのなかで赤い熱帯魚の群れが、旗をひるがえすように右へ左へと泳ぎつづけている。

 規則的に方向を変える魚や、そよぐ()呆然(ぼうぜん)と見つめた。

 ざわざわ、ざわざわ。虫の知らせめいた嫌な予感が、胸のなかでうごめいている。

 もしもチヒロにお迎えが来て、彼女が安らげる場所へ旅立ったのなら。

 それはとても悲しいけれど、涙を飲んであきらめなくちゃいけない。

 でもなにか理由があって、チヒロがひっそりここを出て行ったのなら……。

 そのわけを知りたいし、解決策を見つけて、うちにもどってもらいたい。

 チヒロがこの世にまだいるかどうか、わからない。でもとにかく捜してみよう。このまま、なにもしないではいられない。

 だけど、まずどこへ行けばいいのか……。

 僕だったらどうするか。

 まっさきに思いついた場所は、この家だ。
 やっぱりじぶんの家が、いちばん気持ちが落ち着く。

 でもチヒロの家が中野のどこにあるのかわからない。部屋から川が見えると言っていた。

 電話帳、住宅地図、コブの顔……。

 それらが順繰りに脳裏に浮かび、やがて、ニヤリと片方だけ口角をあげた神部の涼やかな顔が現れた。

 ためらってる時間はない。ラインアプリを開き、電話をかけた。

「なに? やっぱり気が変わって、紹介して欲しくなった?」

 電話に出るなり、神部はくぐもった笑い声を漏らした。なにを的はずれなことを抜かしてんだとイラッとしつつ、

「神部、一生に一度の頼みがある。吉川千尋さんの住所、神部の情報網(じょうほうもう)駆使(くし)して調べて欲しいんだ。
 ときは一刻を争うんだよ。頼む! 代わりに神部の言うこと、ひとつだけなんでも聞くからっ」

 目の前に神部がいるつもりで、深々と頭を垂れた。

「よしかわ?……なんで」

「ごめん。いま、わけは言えない。とにかくすぐに知りたいんだ。ガチで頼むぅ」