ん?と僕は聞く姿勢をとる。

「あの……呼び捨て、がいいです。ガモウ……じゃなくて、『ヨシくん』がよければですけど」

 呼び捨て──がいい。

 吉川さんがおずおずと口にしたリクエストが意外で、

「え。“チヒロ”って呼びすてにしていいの? そんな。いきなり。……ほんとに?」

 聞きまちがいを疑い、念のため確認した。

「はい」

 吉川さん……、もといチヒロは、恥じらいつつもしっかりうなずいた。

「わかった。了解」

 そう返す僕の声が、感動の息まじりになった。
 チヒロとの距離がぐっと近づいた気がして、この機会にとさらに、

「え、と……。僕からもうひとつ、お願いがあるんだけど……」

 気になっていた別のことも口にだした。

「えっ、はい……」

 チヒロは大まじめな顔で、横にくずしていた足をさっと(もも)の下にしまい、居住(いず)まいをただす。

「いや、そんなかしこまらないで。たいしたお願いじゃないんだから。
 え、とさ……。おたがいの呼び名も決まったことだし、話しかたもね、タメ語にして欲しいなと思って。
 あ、タメ語ってわかる?」

「わかります。あ……」

 チヒロはじぶんの丁寧語に気づいて、しまった、というような顔をした。

「ごめんなさい。わたしフランクに話せるようになるまで、かなり時間がかかってしまう性格で……。
 よそよそしい人って、じっさい言われたことあります。慣れればふつうに話せるんですけど、あ……話せるんだけど」

 あわてて言い直す一生懸命な姿がいじらしくて、僕の口もとがしぜんにほころびた。

「笑わないでくださ、あ、笑わないでー。もうっ! しばらくは大目に見てくださ、……あ……、大目に見てねっ」

 最後のほうは、ちょっとやけになった感じだった。僕は笑いを引っこめられないまま、

「わかった、わかった。ごめん。じょじょにね。じょじょにでいいから、打ちとけていこうよ」

 はじめてできた恋人を、なだめにかかった。

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 そのあと僕たちは、遅ればせながら自己紹介し合った。

 チヒロは5月18日生まれ。おうし座のA型。

 僕はチヒロより8か月遅い、1月15日生まれ。やぎ座のO型。

 チヒロの好きなものは、植物、動物。大好物は、ティラミス。

 草花の観賞や手入れをしている時間が、いちばん心が安らぐという。
 運動が苦手で、とくに球技は「絶望的にセンスがない」そうだ。

 中学時代の3年間は、書道部に所属していた。特技と言えるほどではないけれど、小1から中2まで書道を習っていたのだという。

「だから字がすごくきれいなんだね。それって自慢できる、りっぱな特技だよ!」

 納得してうなずき、尊敬のまなざしを向けると、チヒロはぶるぶると震えるように頭をふった。

「わたしなんて、ぜんっぜん」

 と大げさに謙遜(けんそん)する。

 チヒロはひとつのことを何年も根気よくつづけられる、心の強さを持っている。それを知り、僕はまたしても自己嫌悪におちいった。
 僕が持っているのは、部活にまつわる根性無しのエピソードだから。

マイナス評価を受けそうなのでチヒロにはふせておくけど、中学時代、なんとなくかっこいいという薄っぺらい理由でサッカー部に入ったものの、サッカー愛が強過ぎる顧問のきつい指導に()をあげ、2か月で退部したのだ。

 その中学校には、『3年生の1学期までは、かならずどこかの部に所属しなければならない』なんていうやっかいな規則があったから、『水泳部は夏季しか活動していないらしい』との情報を聞きつけ、即入部を願い出た。

 じっさい“水あそび部”と化していたゆるい部で、タイムを計ることも大会に出ることもせず、夏の暑い盛りに思う存分水とたわむれさせてもらっていた。

 さらにさらに、高校でも不名誉(ふめいよ)なエピソードがあり……。

「ヨシくんは、なにかクラブ活動してま……、してたの?」

 うっかり丁寧語になりかけたのを、タメ語に軌道(きどう)修正してチヒロがきいた。

「うん。いちおう。中学では水泳部。高校では軽音楽部に入ったけど、半年で辞めちゃったんだ」

 こっちの“根性無しエピソード”はバレルおそれがあるので、正直に話した。

「えー、どうして? 文化祭でヨシくんが歌ったり、演奏しているところを見たかったのに……」

 チヒロはほんとうに残念そうな顔をしてくれた。
 そんなふうに思ってくれる人は、この地球上で彼女しかいないだろう。
 申しわけなくて、胸が痛くなる。