「着いたよ」
ゆっくりブレーキをかけ、家の前でクロスバイクを停止させた。
吉川さんは、
「わぁ!」
と明るい声をあげて、顔をほころばせた。ほのかな華やぎの色を表情に乗せている。
「すごい! すてきなおうち!」
「そう? まわりと浮いてない?」
「どうして? わたしは好き。あ、きれい! お花もいっぱい……」
吉川さんはフェンスに吊り下げられた、素焼きのプランターにふわりと駆け寄った。
「ホワイトのペチュニア! 八重咲きなんだ。きれーい。あ、百日草にゼラニウムと……ピンクのはマーガレット?
これは……うーん、なんだろう。すごく涼しげでかわいい。鴨生田くん、これはなんていうお花ですか」
吉川さんはプランターからあふれて咲きみだれる、うす紫色のちいさな星型の花を指差した。
「えー、なんだろう。まったく関心がないからわかんないなぁ。あとで聞いてみるよ。あ、これぜーんで母親の趣味。家のほうもね」
白い漆喰壁に、渋いオレンジ色の素焼き瓦を乗せた三角屋根。
母さんの好みがぎゅうぎゅうに詰まった、南欧風住宅だ。
土地は母さんの父親のもので、もとは古いアパートが建っていた。それを取り壊し、僕が中学を卒業するタイミングで家を完成させ、引っ越してきたのだ。
「吉川さんは、こういう花、好きなの?」
「好きですよぉ。きれいだし……見ていると幸せな気持ちになれるじゃないですか。……じつはわたし……園芸部の部員なんです」
いとおしそうに花々を見渡して、吉川さんは「ほうっ」と深い息をついた。
あの高校に園芸部があるなんて、僕は初耳だった。
「いつか結婚して、こんなおうちに住みたかったなぁ。いっぱいお花も育てたかったし……」
しんみりしたつぶやきに返す、気のきいた言葉を瞬間的に思いつけなかった僕は、
「うち、入ろうよ」
苦しまぎれのように言い、鋳物製の黒い門扉を押し開けた。
敷地に入り玄関ポーチのわき、家族共用の原付スクーターの隣にクロスバイクを止める。
木製ドアの鍵を解錠して、「どうぞ」と吉川さんを通した。
スニーカーを脱いでいると、いつものように母さんが出迎えに来た。
「おかえりー」
ご機嫌そうに笑っているけど、目の奥には僕の顔色をうかがっている観察眼が見て取れる。
「……ただいま」
吉川さんの手前、ふつうに返事をした。うしろでかしこまる吉川さんにかすかにうなずき、あがって、とサインを送る。
「……おじゃまします」
吉川さんは丁寧にお辞儀をして、黒いデッキシューズをそろりと脱いだ。そして斜めにしゃがみこんで靴の向きを変え、端に置き直した。
すごい、と僕は、またもや感心してしまった。
吉川さんって、やっぱりちゃんとしてる女の子だ。
もしも母さんに吉川さんが見えていたなら、「なんてすてきなお嬢さん!」とベタ褒めするに違いない。
吉川さんに倣い、僕もスニーカーの向きを変え端に寄せた。
母さんにさんざん注意されても面倒臭くて無視していたことが、抵抗なくできてしまうのだからまったくふしぎだ。
「どうしたの、善巳……」
母さんが目をまるくした。
「なにが」
「だって、靴……。善巳がじぶんで直すなんて……」
天と地がひっくり返ったような驚きぶりだ。大げさ過ぎて、ちょっとかちんとくる。
「べつに。どうもしないけど」
さらりと答えて階段をあがった。吉川さんは緊張した面持ちで母さんに向かい一礼して、階段をすうっとあがってきた。
部屋のドアを開けようと取っ手を握ったところで、はっと気がついた。そうだ。なかが散らかっているのだ。
「ごめん。すこしだけここで待っててもらっていい? ちょっと諸事情があって」
「……わかりました……」
見るからに硬くなっている吉川さんを廊下に待たせ、部屋に入るや、南側の三つの小窓に掛かる布シェードをすべてあげた。
いかにも欧風住宅って感じの上げ下げ窓をスライドさせて全開し、空気の入れ換えをする。
それからフローリングの上に散らばったマンガや服を、クローゼットへ放りこんだ。
吉川さんの目に触れたらやばいものがないか最後にぐるりと点検して、よし、とうなずく。
「お待たせ。どうぞ」
こそこそ声で吉川さんを招き入れた。
「……おじゃまします」
僕にぺこりと頭を下げて、吉川さんはなかに入った。