半笑いで否定する心の裏側で、でも──と期待値がぐんぐんあがっていく。

 その“まさか”が、世のなかでしばしば起きているのも事実。

 これはもう、じっくり目を通すっきゃないだろう。

 手帳のあたまから読んで、〈善巳〉が僕なのか、同名の別人なのか、なんとしてもはっきりさせるんだ。

 すごい鼻息で拾得物(しゅうとくぶつ)の持ち去りを決めた僕は、用心深い目つきであたりをうかがった。

 弱々しい西日が射しこむ裏庭にひと気はなく、フェンスの向こう側をスタスタ歩く校外の人もこっちなんか見ちゃいない。

 キツネに追われたウサギのような心音を(ひび)かせながら、制服ズボンのサイドポケットに、ささっと手帳をすべりこませた。

 ああ。うしろめたさに胸がちりちりと痛む。

 だけど〈善巳〉と書かれた人物を、どうしても特定したいのだ。

 知りたい欲求に(あらが)えず、万引きを(おか)しているような緊張状態でまわれ右して、せかせかと昇降口にもどった。

 人目を気にせず落ち着いて目を通せる場所といったら、あそこしか思いつかない。

 上履(うわば)きにはきかえ、一目散(いちもくさん)に一階の男子トイレに()けこんだ。

 個室に入り、(かぎ)をかける。

 ほんのり鼻を刺激(しげき)するアンモニア(しゅう)は意識から追いだし、「ふーっ」と深く息をついてまぶたを閉じた。

 安全地帯にたどりついたとはいえ、どきどきが止まらない。指先もこまかく(ふる)えている。

 なにしろ、僕にとって空前(くうぜん)の事件なのだ。

 気持ちを落ち着かせるため、ゆっくりの呼吸をくり返す。

 取りこんだ酸素が身体をめぐって副交感神経を優位にし、だんだん興奮を(しず)めていく。

 すると冷静さをすこし取りもどした頭のなかに──ちょっと待てよ──と疑いが差しこんだ。

 そもそもだ。
 自他ともに認める雑魚男子の僕に、片想いをしてくれる女の子がこの学校にいるなんて、あり得るのか。

 こんなドラマチックな展開は、まったく似つかわしくないじゃないか。今日だって不運つづきだったし──。

 そう。そうなのだ。

 今朝は奇跡(きせき)的に寝過ごさないでいつもより20分も早く家を出たのに、見知らぬバアちゃんに道を聞かれ──僕はカワウソ似と笑われるお人好(ひとよ)し顔のせいか、よく道をたずねられたりキャッチセールスにつかまる──目的地まで案内していたら、学校に遅刻してしまったのだ。

 そのうえ今日の日付けと関連しない出席番号の僕なのに、国語と世界史の授業で先生に()てられ、答えられずに(あか)(ぱじ)をかいた。

 さらには昼休みに教室でバスケットボールを放り合ってた男子ふたりに、食べてる最中(さいちゅう)の弁当をパスミスで直撃(ちょくげき)され、残り半分の昼飯を盛大に床に散らばされるという悲劇にみまわれた。

 これにはもう笑うしかなかったけど。

 とどめは下校しようした矢先、大事な通学の足であるクロスバイク(自転車)の鍵を紛失(ふんしつ)したと気づいたのだ。

 今日登校してから歩いてきた場所を、泣きたい思いでたどりながらクロスバイクの鍵を(さが)して校内を歩きまわり、校舎わきの路地にやって来た。

 そうしたら、野球部員が放った硬球(こうきゅう)が前方から飛んできたのだ。

 ボールは大きくイレギュラーバウンドして、裏庭のツツジの植込みへ転がっていった。すぐ近くにいた僕は、とうぜんボールを拾いに行った。

 そして──手帳を見つけたのだ。

 ツイてないことだらけの今日一日を思いだしたら、さっきまでの期待値はダダ下がる一方で、僕はがっかりなオチを覚悟しつつ手帳を開いた。

 まず1、2頁目は今年、来年、再来年の年間カレンダーが印刷されていた。

 頁をめくるとマス目状に仕切られた去年の12月のカレンダー表があり、日付けごとに予定を記入できるようになっていた。

 次の頁は、今年の1月のカレンダー表だ。

 〈(じゅく)〉〈初もうで〉〈カガちゃん・さとリンとマック〉〈課題提出〉
と書きこまれている。

 もう一頁めくると1月1日から16日まで1日ごとに、2、3行の文章が横書きで記入できる日記欄になっていた。

 のっけから〈善巳〉は登場していた。

 1月1日
『新しい年の始まり。今年もたくさん善巳くんに会えますように。神様にそうお願いしました。』

 1月7日
『始業式。体育館を出るとき、善巳くんのうしろを歩きたかったけど、4組の集団がいて割りこめなかった。くすん。』