「それこそ夢を見たんじゃないでしょうか。わたし鴨生田くんの家がどこにあるのか、ほんとに知らないですし……。
あとをつけたい気持ちがなかったわけじゃないけど、それやったらストーカーになっちゃう……やだ、わたし、なに言ってるんだろ!
ごめんなさい! いまの発言、忘れてくださいっ」
この世でもっとも透明感があるだろうヨシカワさんの顔が、真っ赤っ赤な夕陽色に染めあがった。
恥ずかしさが伝染して、僕の全身もカーッと熱くなっていく。
「おいっ! そこの自転車のっ!」
とつぜんあたりの空気を震わせるような、ドスのきいた大声が響き渡った。
飛びあがりそうなほど驚いて、音源の方向をばっとふり返る。
Tシャツとトレパン姿のガタイのいい男が、怒りの形相でずんずんこっちに向かって来ていた。
映画『ジョーズ』のおどろおどろしいテーマ曲が僕の頭のなかに流れ、恐怖をあおりまくる。
巨大ザメのごとき迫力で近づいてきたのは、体育教員かつ生活指導主任の高橋だ。
格闘家のような風貌と態度がえらくデカイことから、陰で“マル暴”と呼ばれている。
“マル暴”とは、警察隠語で暴力団担当刑事のこと。
角刈りの強面教師は僕に向かい、
「なにやってんだっ。授業はじまってんだぞ! 早く教室に行け!」
と怒鳴りつけた。
「はやく、教室に行って」
ヨシカワさんがおびえたようすで、僕の目をじっと見た。
「いや、でも」
授業どころじゃない。こんな精神状態で教室に行ったって……。
マル暴は、おらおらと肩を揺らすようなガニ股歩きでさらに近づいてきた。鋭さを増した目つきで僕をギロッとにらみつける。
「おまえ、3組の鴨生田だな。なんだ、遅刻じゃないのか。早退か? ちゃんと担任の許可とってあるんだろうな? あ? あ? どうなんだ」
体罰禁止があたりまえになっているこのご時勢。暴力的な振る舞いには及ばないだろうとわかっていても、じりじり詰め寄る圧が強烈で身がすくんでいく。
「いや、それは……、早退ってわけじゃなく……」
いまにも胸ぐらをつかまれそうで、しどろもどろになった。帰りたくても、仮病が通用する余地はみじんもない。
マル暴の目は僕だけに向いている。やっぱりヨシカワさんの姿はまったく見えていないのだ。
「お願い。教室に行って。わたしも行くから」
ヨシカワさんに手を合わせて頼まれた。
ほかに選択肢もなく、やむにやまれず、
「行きます。遅刻です。すいません。教室行きます」
僕は悲愴な面持ちで頭を下げた。
するとマル暴は満足げにうなずき、ゴリラみたいにイカツイ手で僕のクロスバイクのサドルをべしっとたたいた。
「おぅ。早く教室入れよ。とろとろ歩いてんじゃねぇぞ」
「はい……」
理不尽にとばっちりを食ったサドルに同情を覚えつつ、僕は自転車を引いてすごすごと歩きだした。
「早く、教室に行かないと」
斜めうしろについていたヨシカワさんが、急かすように言った。
こころもち足を早めて僕を追い越していく。
いまだ理解が追いつかないなかで、
「いいよ、いいよ。どうせ遅刻してるんだし」
ついいつもの調子でぽろっと言ったら、ヨシカワさんがピタリと足を止めた。ふり返って、
「いいってこと……ないと思います。どうしてそんなふうに開き直れるんですか」
嘆かわしげな顔で問いかけられた。
「べつに開き直ってるわけじゃないけど……」
「わたし……鴨生田くんが『どうせ』だなんて、投げやりなこと言う人だと思ってませんでした……」
ヨシカワさんがポソポソこぼすつぶやきを、僕の耳はひとつ残らず拾ってしまった。言葉のはしばしに失望がにじむ、そんな言いぶりだった。
冷や汗で、手のひらと脇がじっとり湿ってきた。
ヨシカワさんは、僕という人物をどう見ていたんだろう。
もしかして、とんでもなく買いかぶっていたんじゃないか。
うん、その可能性は大いにある。
想像していた人と違う、なんて幻滅を会話するたびに与えてしまいそうで、口をきくのが恐しくなってきた。
駐輪場にクロスバイクを止める僕の一挙一動を、ヨシカワさんは気が気でないようすで見守っている。
愛嬌さえ感じる垂れぎみの目に、僕の姿はどう映っているんだろう。
なんとなくばつの悪さを感じて、視線をそらせてしまった。
あとをつけたい気持ちがなかったわけじゃないけど、それやったらストーカーになっちゃう……やだ、わたし、なに言ってるんだろ!
ごめんなさい! いまの発言、忘れてくださいっ」
この世でもっとも透明感があるだろうヨシカワさんの顔が、真っ赤っ赤な夕陽色に染めあがった。
恥ずかしさが伝染して、僕の全身もカーッと熱くなっていく。
「おいっ! そこの自転車のっ!」
とつぜんあたりの空気を震わせるような、ドスのきいた大声が響き渡った。
飛びあがりそうなほど驚いて、音源の方向をばっとふり返る。
Tシャツとトレパン姿のガタイのいい男が、怒りの形相でずんずんこっちに向かって来ていた。
映画『ジョーズ』のおどろおどろしいテーマ曲が僕の頭のなかに流れ、恐怖をあおりまくる。
巨大ザメのごとき迫力で近づいてきたのは、体育教員かつ生活指導主任の高橋だ。
格闘家のような風貌と態度がえらくデカイことから、陰で“マル暴”と呼ばれている。
“マル暴”とは、警察隠語で暴力団担当刑事のこと。
角刈りの強面教師は僕に向かい、
「なにやってんだっ。授業はじまってんだぞ! 早く教室に行け!」
と怒鳴りつけた。
「はやく、教室に行って」
ヨシカワさんがおびえたようすで、僕の目をじっと見た。
「いや、でも」
授業どころじゃない。こんな精神状態で教室に行ったって……。
マル暴は、おらおらと肩を揺らすようなガニ股歩きでさらに近づいてきた。鋭さを増した目つきで僕をギロッとにらみつける。
「おまえ、3組の鴨生田だな。なんだ、遅刻じゃないのか。早退か? ちゃんと担任の許可とってあるんだろうな? あ? あ? どうなんだ」
体罰禁止があたりまえになっているこのご時勢。暴力的な振る舞いには及ばないだろうとわかっていても、じりじり詰め寄る圧が強烈で身がすくんでいく。
「いや、それは……、早退ってわけじゃなく……」
いまにも胸ぐらをつかまれそうで、しどろもどろになった。帰りたくても、仮病が通用する余地はみじんもない。
マル暴の目は僕だけに向いている。やっぱりヨシカワさんの姿はまったく見えていないのだ。
「お願い。教室に行って。わたしも行くから」
ヨシカワさんに手を合わせて頼まれた。
ほかに選択肢もなく、やむにやまれず、
「行きます。遅刻です。すいません。教室行きます」
僕は悲愴な面持ちで頭を下げた。
するとマル暴は満足げにうなずき、ゴリラみたいにイカツイ手で僕のクロスバイクのサドルをべしっとたたいた。
「おぅ。早く教室入れよ。とろとろ歩いてんじゃねぇぞ」
「はい……」
理不尽にとばっちりを食ったサドルに同情を覚えつつ、僕は自転車を引いてすごすごと歩きだした。
「早く、教室に行かないと」
斜めうしろについていたヨシカワさんが、急かすように言った。
こころもち足を早めて僕を追い越していく。
いまだ理解が追いつかないなかで、
「いいよ、いいよ。どうせ遅刻してるんだし」
ついいつもの調子でぽろっと言ったら、ヨシカワさんがピタリと足を止めた。ふり返って、
「いいってこと……ないと思います。どうしてそんなふうに開き直れるんですか」
嘆かわしげな顔で問いかけられた。
「べつに開き直ってるわけじゃないけど……」
「わたし……鴨生田くんが『どうせ』だなんて、投げやりなこと言う人だと思ってませんでした……」
ヨシカワさんがポソポソこぼすつぶやきを、僕の耳はひとつ残らず拾ってしまった。言葉のはしばしに失望がにじむ、そんな言いぶりだった。
冷や汗で、手のひらと脇がじっとり湿ってきた。
ヨシカワさんは、僕という人物をどう見ていたんだろう。
もしかして、とんでもなく買いかぶっていたんじゃないか。
うん、その可能性は大いにある。
想像していた人と違う、なんて幻滅を会話するたびに与えてしまいそうで、口をきくのが恐しくなってきた。
駐輪場にクロスバイクを止める僕の一挙一動を、ヨシカワさんは気が気でないようすで見守っている。
愛嬌さえ感じる垂れぎみの目に、僕の姿はどう映っているんだろう。
なんとなくばつの悪さを感じて、視線をそらせてしまった。