ヨシカワさんというひとりの女の子がこの世界から消えるという大事が起きたのに、この変わらなさは、のどかさはどういうことだろう。

 おかしい。

 おかし過ぎるだろ。 

 納得できない。

 できるわけない。

 強い拒絶と憎しみめいた反発が、僕の胸にわき起こった。

 だけど。

 だけど、わかっている。

 どう泣きわめこうが、怒り狂おうが、ヨシカワさんが亡くなったという現実は一ミリも変わらないのだと。

 なんて非情な運命、冷酷(れいこく)な世界なんだろう。

 もしも──もしも、ヨシカワさんが事故現場にいた時間に数十秒のずれがあったなら、彼女は命を落とさずにすんだはずだ。

 それなのにどうして運命は、彼女を生かしてくれなかったのか。

 僕は、なにもできなかった。

 そして、いまだになにもできずに、ただ無力感に打ちのめされている。

 目尻ににじむ涙を指の腹でぬぐい、重いため息を漏らして学校の正門へ向かった。

 鉄柵のかんぬきを手を差し入れてはずし、通り抜けられる程度に門扉(もんぴ)を横に引いてなかに入る。

 授業中だからか、正門から校舎までのだだ広いアプローチや昇降口前の広場は、気味が悪いほどしんとしている。

 人影もまったくなくて、見慣れた場所なのに、なんだか知らないところに迷いこんだような、おかしな感覚にとらわれる。

 門を閉めて、かんぬきを掛けようとしたときだった。

 視野のすみに映りこむ人影に気づき、ぎくっとした。

 左側のコンクリートの太い門柱の前に、ひっそり立っているひとりの女子生徒がいたから。

 半袖の白シャツに、(こん)×グレー×白のチェック(がら)スカート姿。

 この学校の制服だ。

 授業がはじまっているのに、こんな場所でひとりなにをしているのか。

 まじめそうだし、おとなしそうだった。

 彼女は息を()むような顔で、じっと僕を見ている。

 わけがわからないのと気まずいのとで、さっさと駐輪場へ向かおうと、クロスバイクを引いて彼女の前を通り過ぎた。

 でも──。

 まだ熱心に見つめられている気がして、肩越しにふり返った。

 やっぱり彼女は、なにか切実な思いを(うった)えるように、じっと僕に視線をそそいでいる。

 見つめ返されていることに気づいたのか、彼女は急にうろたえたようすでうつむいた。

 たぶん身長は150センチ台半ば。

 華奢な体型で、体育会系ではなさそうなほっそりしたふくらはぎをしている。

 スカート丈は校則を守った、(ひざ)がしらが隠れるライン。

 前髪をおろしたショートボブヘアで、黒いつやを放っている。

 お(ひな)さまの輪郭(りんかく)にもっとまるみを持たせ、こころもち垂れ目にして、鼻先をちょっと上に向けた顔立ち。

 人目を引くタイプではないけど、やさしげで親しみが持てる雰囲気をかもしだしている。

 なんとなく妙に感じたのは全身の色味がすこし淡く、ふんわり軽い質感に見えたからだ。

 なんていうか、レーザー光線を使って人物の立体像を空間に復元した、ホログラフィーっぽいような、そんな感じ。

 光の加減か、それとも僕の目がおかしいのか。心の痛手が視覚に悪影響をおよぼしているのかもしれない。

 こんなところに突っ立ったままの彼女が無性(むしょう)に気になり、方向転換してその子のほうへ近づいていった。

 すると女子生徒はあきらかに動揺(どうよう)し、きょろきょろと視線を泳がせた。

 2メートルくらいまで接近すると、彼女はしかたなさそうに僕を見すえた。

 そしてその口から、「ヨシミくん……」と声を漏らした。

 ぼくの全神経が、びくんと反応した。

 え。知ってる、この声。

 ヨシミくん、と呼ぶちょっと甘めのまろやかな声。

 耳の奥にしっかり記憶されている、夢のなかで聞いた声だと確信したとたん、僕は反射的に、

「もしかして、ヨシカワチヒロさん……?」

 ときいていた。

「え!」

 彼女は目をまんまるくして、真正面から吹く強風にあおられたみたいに、うしろへよろけた。

「わたしが見えるの?」

「見えるよ。あのぅ……ほんとに、ヨシカワチヒロさん?」

 超ド真剣(しんけん)な表情で彼女がこっくりうなずくのを、僕は倒錯(とうさく)状態におちいりながら見届けた。

 どういうことだ。

 ヨシカワさんが亡くなったって話は、うそだったのか。

 僕はコブにまんまと(だま)されたのか。

 いや、ひょっとしたら同姓同名のヨシカワチヒロさんがいるのかもしれない。

 それとも……。

「うそみたい……。誰もわたしのこと、気づいてくれなかったのに……。父や母も……」