考えてみれば、ヨシカワさんは僕の恋人だったわけじゃない。
つみかさねてきた思い出があるわけでもない。
僕はヨシカワさんの顔も、どんな声をしているのかも、まったく知らない。
だから最愛の人に先立たれたようなショックと悲しみに暮れるのは、おかしいのかもしれない。
それでも、もうもとのじぶんにはもどれない。
もどれる気がまったくしない。
気持ちがふさいで、身体がだるくて、力もわかない。
胸のあたりが、妙に苦しい。
この無気力感、とほうもない喪失感はなんなんだろう。
じぶんでもわからない。
ヨシカワさんの葬儀へ行って、遠くからでも遺影を眺めたら、なにか変わるだろうか。
僕はベッドに横たわり、目を閉じてぼんやり考えた。
好きになってくれてありがとう。
じつは僕もヨシカワさんを好きだ。ヨシカワさんの手帳を読んで、大好きになったんだ。
きみに告白するはずだったんだよ。交際を申しこむはずだったんだよ。
そう思いのたけを伝えたら、この鬱々とした心にすこしは生気が宿るだろうか。
ぐるぐると同じ思考がめぐるだけで、ただ時間だけが過ぎていった。
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日付けが変わり、朝が来た。
ヨシカワさんの告別式の時間が迫っている。
なのに僕はベッドから起きあがれず、身をよじりながら何度も寝返りを打つばかりだった。
ごめん。ごめんなさい。きみに会いに行けなくて。
僕が来るのを、きみは待っているかもしれない。
だけど、起きあがる力すら出ない。
ほんとうにごめん。ヨシカワさん……。ごめんなさい……。
謝りながら、うつらうつらしていたようだ。
静寂のなかでふいに、
「ヨシミくん。ヨシミくん……」
と呼ぶ、甘くまろやかで、自信なさげな細い声が聞こえた。
「ヨシミくん、悲しむのはもうやめて。ちゃんと起きて、いつもどおりの生活をして」
「……え、誰……?」
夢うつつのなかで問うと「ヨシカワチヒロよ」と声は答えた。
「うそだ」
うっすら光を感じるけど、まぶたは閉じたままあがらない。
身体は鉄くずをぎゅうぎゅうに詰めこまれたみたいに重く、マットレスに沈みこんでいく。
夢だ、と僕は自覚した。
「うそじゃないわ。ほんとうよ。ねぇ、早くもとのヨシミくんにもどって。そんなヨシミくんを見ていたくないの」
「無理だよ。大切な人を亡くしたんだ」
夢のなかだから、なにも気にせず会話をつづけられた。
ヨシカワさんの声は温かみがあってやわらかく、聞き心地が良くてするっと耳をすべっていく。
「そう思ってくれるのはうれしいけど。ねぇ、これが逆の立場だったら?」
「ぎゃく?」
「そう。ヨシミくんが交通事故で亡くなって、わたしが毎日泣き暮らしてたら。ヨシミくん、どう思う? もう悲しまないで。元気をだして。笑って。そう願うでしょ」
「それはそうだけど……」
「学校は早退しちゃうし、ごはんもちゃんと食べない。部屋にひきこもってベッドで悶々としてる。そんなヨシミくんを見て、胸が痛くてたまらない、わたし」
「ごめん、でも」
「お願いだから悲しまないで。胸が痛くてたまらない、わたし……お願い……胸が痛くてたまら……わた……」
ヨシカワさんのくり返す声はちいさく切れ切れになっていき、闇に吸いこまれていくように、ふっと完全に聞こえなくなった。
そして僕の意識も、睡魔の手に引っぱられ、深い眠りへ落ちていった。
* * *
月曜の朝、2日間閉めきりだったシェードを開けた。
空はすみずみまでうすく濁ったような水色で、太陽も隠れている。
でも薄暗さになじんだ僕の目には、外の光がひどくまぶしく刺さった。
一階に下りて顔を洗い、制服に着替えた。
洞穴のような世界から這いでる気になったのは、ヨシカワさんの夢を見たからだ。
夢だからじっさいにヨシカワさんの声を聞いたわけじゃない。
あくまでも想像の声だし、彼女のセリフだって、僕の意識下でつくられたものだったと思う。
だけど信じたい気持ちが心のどこかにあった。
もしかしたらほんとうにヨシカワさんが僕のところに来たのかもしれない。あのメッセージを伝えたくて──と。
ダイニングへ行くと、テーブルの上には僕用の朝食がセットされていた。
母さんお手製のエッグマフィンにグリーンサラダ、それに湯気を立てているクラムチャウダースープ。