家に帰ってから、ずっと部屋にこもっていた。

 1時限だけ受けて早退した金曜の夜は、「ごはんよ」と母さんが呼びに来ても「いらない」と断った。

 土曜の朝も食べないで過ごした。

 昼どきになって、

「ねぇ、なんにも食べないと身体に悪いから」

 母さんは部屋の前に、サンドイッチと野菜スープを置いていった。

 食欲なんかわかない。

 よけいなことをして、と放っておいたけど、しばらくすると気がとがめてきた。

 作ってくれた料理にまったく手をつけないのは、こしらえてくれた人の労力をないがしろにする、心ない仕打ちに思えてきたのだ。

 サンドイッチを乗せた木製のトレイには、二つ折りしたメモ紙が置いてあった。

 母さんの右肩あがりのくせ字で『どこか具合が悪いなら病院に行く?』と書かれてあった。

 僕はちびりちびりと、サンドイッチとスープを口に運んだ。

 時間をかけてどうにか完食し、母さんのメモ書きの下に『行かない。しばらくほうっておいて』と書きこみ、食器といっしょにトレイに乗せて廊下へもどした。

 夜になると母さんは、

「夕飯ここに置いておくからね。食べられそうなら食べて」

 とドア越しに言い、そっと階段を下りていった。

 しばらくしてからドアを開けてみると、トマトソースで煮込(にこ)んだハンバーグとポテトサラダがトレイに乗せて置いてあった。

 ずるいな、とこのときばかりは母さんを(うら)めしく思った。

 どっちも僕の大好物で、絶品の味だと知っているから。
 食事を拒否する心中(しんちゅう)とは裏腹に、腹の虫がぐーっと鳴った。

 手間ひまをかけて僕のためにこしらえてくれた、母さんの料理。

 ちいさいころはダイニングテーブルで宿題を片づけながら、母さんの夕飯づくりを眺めていた。

 葉野菜を丁寧(ていねい)に洗ったり。食材をこまかく切ったり。こねたり、まるめたり。火加減を調節したり、焼いたり。

 見ているだけで、料理の大変さが伝わってきた。

 部屋に運んで、ハンバーグのはしっこを(はし)で切って口に入れた。
 舌の上ですぐにひき肉がほぐれていく。

 とろけるようなこのやわらかさは、いつもと同じだ。でもなにか違う。

 舌が覚えている肉のうまみと玉ねぎの甘み、トマトの甘酸っぱさとコクが、ほとんど感じられない。

 二口三口と口に押しこんでいく。でも、うまく飲みこめなくなって箸を置いた。

 はあっ……、と今日何度目かわからない、湿ったため息が漏れた。