「ワーウルフ!?」

 咄嗟に僕は、腰に下げた剣に手を伸ばす。
 一応僕も侯爵家嫡男として、基本的な剣術は学んでいたから自分専用の剣を持っている。
 短剣よりはやや長く、大人が使うものより細身で軽い特注のものだ。

 でも、実戦経験は……ない。

「デュカルト様、ご安心ください。彼はワーウルフではなく、獣人族です」
「じゅう……そ、そうですか。ふぅ、よかった」

 ダンジョンモンスターのこともあるし、ワーウフルだと早とちりしてしまった。
 この世界の獣人族の一部氏族には、変身能力がある。
 狼氏族や獅子氏族、虎氏族あたりがそうらしい。

 逆に狼男ことワーウフルは、地球にいた頃に古い映画でみたそれと違って人から変身することはない。

『じゅ、獣人! はぁ、はぁ』
「ちょ、ヴァルゼさん?」

 なんで興奮してるの!?

『わ、吾輩、獣人族を見たのははじめてなのだ。しかも変身能力を持つ純潔ではないか。はぁはぁ』
「落ち着きましょうね?」
『吾輩が生きていた時代は、異種族に対して強い偏見や惨い差別があってだな。魔法が使える者以外は、全て下等な生き物だとしておった』

 そういう時代だっていうのは、歴史書にも書かれている。
 今でも一部の国や地域では、獣人族への差別は続いているし。

『しかし獣人族は我ら人間にはない、素晴らしい身体能力を持っておる』
「種族が違うっていう理由で、偏見や差別があることが間違いなんですよ」
『うむ。その通りである』

 ヴァルゼさん。魔法王朝時代では、浮いた魔術師だったんだろうなぁ。
 こういう当たり前の思考が、あの時代ではおかしいとされていただろうし。
 この人は、凄く優しくていい人なんだと思う。

『はぁ、はぁ……研究したい』
「それはダメです」

 前言撤回。

 彼が獣人族なら、まずは話し合いをしよう。
 僕が彼のことを勘違いしたように、彼もこちらのことを勘違いしているようだから。

「さっき彼は僕らのことを、クソ奴隷商人って言ってましたね」
「そうね。今だって飛び掛かって来そうな雰囲気じゃ」
「どうしますか、デュカルト様。家の中には他にも獣人族がいるかもしれません。狼氏族の戦士であれば、その戦闘能力は油断できないものです」

 奴隷商人と勘違いしたってことは、彼らは元奴隷か、奴隷狩りから逃げて来たか……。
 借金の形に奴隷商人へ売られるというのはある。
 それとは別に、奴隷狩りという人攫いに捕まって、どこか遠くの国へ売り飛ばされるなんてことも。

 でもこの国では二十年前に奴隷制度が廃止されているから、奴隷商人がこの国で商売することは禁止されている。
 奴隷商人に誰かを売るのも禁止だし、奴隷商人から誰かを買うのも禁止だ。
 でも隣国では今でも奴隷制度のある国があって、この国でも一部の貴族が不正に奴隷を買っているって話だ。
 
 あの人は家族を奴隷商人に奪われた人なんだろうか。
 いや、さっきの言葉からすると絶対にそうだ。

 腰に下げた剣を鞘ごと引き抜き、彼に見えるよう投げ捨てる。

「デュカルト様?」
「ちゃんとあとで拾いますから。だって父上がくださった剣ですし。あ、ヴァルゼさん、いったん姿を消していただけますか?」
「そういう問題じゃないの。剣を手放してどうする気じゃっ」
『しょぼーん』
「こうするんです。えいっ」

 茂みから飛び出して、ジャーンプ。
 そのまま真っ白な雪の上にダイブして、仰向けになった。

「なっ、なにをしている!」
「見ての通り、雪の上に寝そべってます」
「見ればわかる! そういう意図で寝そべっているのかだっ」
「んー、敵意がないということを知らせるため、ですかね?」
「はぁ?」

 今度はうつぶせに。
 両手は見えるように前にだし、彼の方を見た。

「僕はデュカルト・ハーセランです。ここの領主をしています。お名前を窺ってもよろしいですか?」
「りょ、領主!? そんな子供がかっ」
「元々ここは父が管理する領地だったのですが、ある事情で僕が引き継ぎました」
「貴族……か……」

 そう言った言葉には、どこか嫌味が含まれているように聞こえた。
 貴族が嫌われているなんて、珍しいことじゃない。
 いい領主もいるし、悪い領主もいる。
 悪い領主が治める土地で生まれた人たちは、自然と貴族を憎むようになるのは当然のことだ。

 彼は貴族を嫌っているようだけど、でも奴隷商人という誤解は解けたようだ。
 今にも飛び掛かってきそうな態勢だったけど、それを解いて姿勢を正している。

「寝そべる必要はない。……風邪をひくぞ」
「はい。ありがとうございます。でも真っ白な雪の上で、一度ごろごろしてみたかったんですよ」
「ちょ、ちょっとデュー! ほんとに風邪引くからやめるのじゃっ」
「デュカルト様。もしやそれがしたくて飛び出したんじゃないでしょうね?」
「ち、違いますっ」

 ダイブしたあとに、ふとやりたくなっただけなんだってばぁ!





「ど、どうぞ。この家にあったものですが」
「ど、どうも」

 お茶を頂きながらルキアナさんをちらりと見る。
 この家にあったもの=ルキアナさんのだもん。なんかこう、反応に困るよね。

 家の中にはピッタリ二十五人いた。
 サイズの大きな足跡が六人っていうのが、獣人族の成人男性たちだ。
 残り十九人のうち十人は、なんとエルフだった。
 
 異世界メジャー種族代表のエルフだけど、この世界では人口が極端に少ない。
 ドワーフ以上に、生きているうちに出会えるなんて思いもしなかった。
 まぁそういう意味ではハーフエルフであるルキアナさんも、希少種族だと言えるんだけど。

 お茶を淹れてくれたのはエルフの女性で、手足には枷が嵌められていた。

「それ、外せないのですか?」
「魔法が……掛けられていますので」
「魔法ですか……ヴァルゼさん、解く方法とかわかりませんか?」
『手枷を見せてみろ』
「はい――ひっ。キャアァァーッ!」
『わぁぁーっ!』

 あ、忘れてた。
 怖がらせるといけないから、消えてもらってたんだっけ。
 手を差し出したはいいが、すぅっと現れたヴァルゼさんを見てエルフの女の人は壁際まで後ずさり。
 ヴァルゼさんはしょんぼりと肩を落とした。