「うそでしょ、なんでずっと冷たいの」

1年間同棲した彼が、出て行ったその日のことだった。正確に言えば、追い出した、その日だ。
浮気をされて傷心中の私は、寒い浴室で一向に冷たいままのシャワーの水をただ流し続けていた。冷え切ってしまった心を癒すはずのお湯は、このシャワーからは出てこなくなったみたいだ。
私に優しくしてくれるものは、彼と一緒にこの家から消えてしまったのだろうか。

……なんて考えている場合ではなくて。
とにかく私はこの冷たい体を温めるための方法を考えた。

思いついたのは、自宅から徒歩10分、24時間営業の銭湯。今時こんなの儲かるのだろうかと馬鹿にしていたけれど、きっとこういうときのためにあるに違いない。

「さっっむ」

1月上旬の、しかも日付が変わろうとしている時間帯の屋外は、震えるほど寒い。温まるために外に出たのにどんどん体を冷やしている気がする。

「お、ここだ」

いつもスルーしていた銭湯の明かりが、今だけは神様のように輝いて見えた。
中に入るとそこはよく見るこじんまりとしたレトロな銭湯で、やはりお客さんの気配はない。カウンターに座るおじいさんに500円を渡して、ぬくもりに飢えた私は駆け込むように浴室へ入った。

「いやぁーあったまった」

芯から冷え切っていた体はぽかぽかと湯気を上げて、足の先まで体温を取り戻した。

「こういうときは、フルーツオレでしょ」

と、ロビーで見たガラス張りの冷蔵庫とその中の黄色い瓶を思い出す。

でも実際の冷蔵庫には、牛乳と、それからコーヒー牛乳。

「あれ、」

確かに見たはずのフルーツオレが、そこには存在しない。うなだれた私は、きっと見間違えだったんだと納得して冷蔵庫の扉を閉めた。

「ごめん、それ俺がとってしもた」

貸し切り状態だと思っていたそこに、いつからか存在していたその声の主は、ぺたぺたと裸足でこちらへ歩いてきてその手に握られたフルーツオレを軽く振って見せてきた。

「最後の1つやってん。ごめんな?」

と申し訳なさそうに言う、関西弁のイケメン。 そんなこと言われたら、許しちゃうじゃないか。って、彼は何も悪いことしてないけど。

「あー、……大丈夫です。飲めたらいいな、くらいだったので」
「でもお姉さん、この世の終わりみたいな顔してたで」
「えっ」

彼は、「噓やって」と笑いながら

「これ飲む?」

と、その瓶を差し出してきた。

「いや、それはさすがに」
「せやんな、口付けてもうてるもんな、」

と、瓶を見下しながら、なぜか私よりも残念がる彼。

「でも、お気持ちだけ、ありがとうございます」

ぺこりと頭を下げて感謝した私に、「ほんまにごめんな」と彼はまた謝る。
分からないけど、今はそのちょっとした優しさが身に染みてしまって。体と同時に、心まで温かくなれた気がした。

と、和やかな気持ちになっていたとき

「おじさーん!」

彼がよく通る声でカウンターのおじいさんに声をかけた。

「これ、もういっこない?」
「ああ、あるよ」

のそのそと動いたおじいさんは、奥から1本のフルーツオレを持ってきてくれた。今日は飲めないだろうと諦めがついていた矢先、突然舞い降りたそれはまるで、

「棚からぼたもちだ」
「なんやねんそれ」

笑いながら言った彼は、「さんきゅー、おじさん」と瓶を受け取って私に手渡した。

「あ、お金」
「大丈夫。おじさん、俺にはサービスしてくれるねん」

「座ろっ」と彼が叩いたソファの隣に腰かけて、私は待ち望んだ冷たいそれをごくごくっと飲みこんだ。熱がこもった喉から胃に、その冷たさが通り抜けていく。

「いい飲みっぷりやねえー」
「ほんとに、ありがとうございます」

「ええのよ」と、彼も一口。

「落ち着くねんな、ここ」

レトロなロビーをぼーっと眺める彼の横顔がとても綺麗で、思わず見惚れてしまう。

「常連さん、ですか?」
「まあそんな感じやね。お風呂が壊れて駆け込んだら、気に入ってしもて」
「あ、一緒だ」

「そうなん?」
とこちらを見て、嬉しそうに首をかしげる。前髪がさらっと揺れて、やっぱりイケメン。

「なら、君も気に入ってまうかも」

そう言って立ち上がった彼の瓶は、もう空になっていた。

「毎週この時間におるから、気に入ったらおいで」
「って、俺の店ちゃうけどな」

いたずらに笑った彼は、「また、会えたら」と手を振って、ぺたぺたと出て行った。勝手に次の約束までした気になった私は、来週まで生きる意味ができた気がした。


あれから1週間はあっという間に過ぎて行った。お風呂はすぐに直してもらえたけど、彼にまた会えるかな、なんて希望を抱きながらあの銭湯へ出向く。
でも、ロビーは先週と同じく閑散としていた。
名前くらい、聞いておけばよかった。浮かれすぎたかな、と落胆して湯船につかってから脱衣所を出たとき、

「また、会えたね」
「あ」

隣から出てきた、首からタオルを下げた彼。まだ2回目なのに、すでに懐かしく感じて。また会えた、と心が躍って。
冷蔵庫からコーヒー牛乳を手に取る彼に続いて、私もフルーツオレを手に取る。

「ほんまにフルーツオレ好きなんや」

と、眉を上げて大きな目をさらに大きくした彼は、またあのソファに座る。私もその隣に沈み込むように体重を預けた。

「気に入ってくれたんや、ここ」
「はい、また来たいなあと思って」

お互いぷしゅっと音を立てて瓶の蓋を開ける。この銭湯は気に入ったけど、また来たのは彼の影響が大きい。
すっと差し出された彼の瓶に、自分の瓶を近づけると

「乾杯」
彼はこつっと重なり合った瓶を今度は自分の顔と並べるように上げて微笑んだ。瓶と比べると顕著に分かる彼の顔の小ささに驚く。

「よかった、来てくれて」
「え?」
「先週、一方的においでってゆうたから。来てくれへんかもなーって、おもてた」

彼も気になってくれてたんだ。と、単純な私はすぐに心が踊る。けどそんな彼は、小悪魔な気もした。

「人たらし、って、言われません?」
「え、それめっちゃ言われるねんけど」

「なんでなん」と軽く笑った彼は、今日はコーヒー牛乳を口にする。

「あの、えっと、」
「ん?」
「お名前、聞いてもいいですか」

「あぁ!」と、私の方に向き直す。

(だん)っていいます」
「そちらは?」と首をかしげて促される。

柚季(ゆうき)です」
「ええ名前やね。よろしくな」

「暖さんは、関西出身なんですか?」
「せやねん。2年前にな、上京してきて」

もしかして……
「今、24歳とか」

「なんで分かったん!?」と大げさに驚く。

「私も同い年なんです。それで、社会人2年目かなと思って」
「そかそか、」と彼はうなずく。

「見知らぬ地でさ、一人暮らしは寂しくて。そしたらここ、実家の近所にあった銭湯によう似ててな」
「分かります」

思わず勢いで同意してしまった。

「あれ、君も地方出身?」
「あ、そうじゃなくて。やっぱり寂しいですよね、一人暮らしは」
「せやねんなー。やけど、今は猫がおるねん」

「猫……ですか」
「そう、猫」

彼は愛おしそうに遠くをみつめた。

「ほんまに可愛くて。どうしても甘やかしてまうねんな。仕事中も何してるかなーって考えたり」
「いいですね、猫」
「せやろ? 俺の生活、全部猫ちゃん中心に回ってるねん」

そう言って彼は苦笑いした。彼にかまってもらえるなんて羨ましいな、なんて考えたり。

「じゃ、また来週」
「はい、来週」

自然と次の約束までして、お互い夜の闇の中で別れた。


それからというものの、私と彼は毎週同じ時間に銭湯で会うようになっていた。話題は、いつも彼の猫ちゃんの話。

「昨日はな、玄関で出迎えてくれたのよ」
「わ、それは可愛いね」
「やろ? もう俺キュン死しそうやったわ」

いつの間にかタメ口で話すようになって、お風呂に使った後のふわふわとした雰囲気の中で何も考えなくていい空間が楽で心地良くもなっていた。毎週会っていても距離感は保っていて、お互いにどんな仕事をしているのかとか、どこに住んでいるのかとか、そういった詳しいことには触れない。それが、暗黙の了解ってほどでもないけれど、週に15分程話す関係性としては妥当な距離感だとお互い感じているんだと思う。

ある日の話題は、猫への誕生日プレゼントだった。

「うちに来て初めての誕生日やし、ちゃんと考えてあげたいのよ」
「猫用のケーキとか、あるよね」
「ケーキかあ。柚季ちゃんだったら何が欲しい?」
「私が欲しいもの?」

「うんうん」と、目を輝かせながら聞いてくる。

「もし私が猫だったら……」
「猫だったらやなくて、そのままの柚希ちゃんが欲しいもの」

「それ聞く意味ある?」という言葉が喉から出かかって、途中で飲み込んだ。

「マフラーかな。最近ほんと寒いし」
銭湯に来る途中、その寒さにマフラーを買わなかったことを後悔して、毎回忘れてしまうのだ。

「それええな! 柚季ちゃんに聞いて正解やったわ」

猫にマフラーは必要ない気がしたけれど、何も言わないでおいた。何せ私は猫に関する知識が皆無に等しいから。


次の週、仕事が休みだから家でゆっくりしようと決めてくつろいでいたところに、チャイムが鳴った。気怠く玄関のドアを開けると、

「久しぶり」
遙真(はるま)……」

そこには一番会いたくない人が立っていた。

「何か用?」

正直、浮気相手よりも私がいいとすがりに来たのだろうかと、一種の期待のような、そしてプライドのようなものを抱いている自分がいた。

「まだここに住んでたのかよ。未練タラタラなんじゃないの?」

彼は、勝ち誇ったように薄ら笑いを浮かべながら言った。

「なに、そんなこと言いに来たの? 何も無いなら帰って」

ちょっとした期待さえも打ち砕かれた私がドアを閉めようとすると、右手で抑えられる。

「ちょっと待てよ」
「なに、」
「そういえば俺、お前のことちゃんと振ってなかったなと思って。まだ付き合ってると勘違いされたら嫌だから言いに来た」
「なにそれ。それはこっちの台詞なんですけど」
「はっ」

彼は小馬鹿にしたように笑った。

「まさか悔しいの? 俺が他の女のとこに行ったのが」
「……別に」

多分、彼の言うとおりなんだと思う。同棲までしていたのに浮気をされた。この事実は私の存在自体を否定してしまったようで、悔しかった。

「今だから言うけど、お前のこと家政婦にしか見れなかったわ」
「っ最低」

私は、そう言うと同時にドアを勢いよく閉めた。

その日の深夜、私は青いタイルの湯船に浸かりながら、結局彼は私を愛していなかったのだろうという事実、そしてこの先私を愛してくれる人は現れないのではないかという言い様のない空虚感に苛まれた。この広々とした浴室が、私の孤独感をより強める。
昔からだ。誰かに振られる度、この先の一人での生活を想像しては闇に落ちていくような気分になる。私が追い出したというのも、自分が捨てられたと思いたくない言い訳にすぎない。それでもこの先いい人なんか現れる気がしなくて、将来が漠然と不安になる。
悶々と考えていると、思考がどんどんマイナスな方に寄ってしまって、耐えきれなくて浴室を出た。

暖さんは私より少し遅く脱衣所から出てきた。フルーツオレをとる私の後ろから普通の牛乳に手を伸ばして、興奮した様子で私に話しかけてくる。

「マフラー、喜んでくれたで」
「本当にマフラーにしたんだ」
「当たり前やん!」

「柚季ちゃんに提案してもらったんやから」なんてこのまま飛んでいってしまいそうほど喜ぶ彼は、男の人への表現として合っているかは分からないけれど、まるで天使かと思うほど可愛らしかった。一方私は、飛んでいってしまいそうなほどの浮遊感と戦っていた。心做しかいつもより体も火照っている気がする。
そう理解し始めたとき、一瞬で世界が真っ白になった。

「あっ、ぶない」
白い光から世界が回復したとき、彼の綺麗な顔が目の前に映った。

「柚季ちゃん、ちょっと湯船に入りすぎたんちゃうか?」
「考えごとしてたら、長くなっちゃったかも」

まだ収まらないぽわぽわとした浮遊感の中で、しっかりと私の体を支える彼の意外と男らしい一面や、近づくと更に分かる香水とは違う良い匂いにドキドキしてしまうのは、私が傷心中だからだろうか。

おじいさんがバタバタと濡れたタオルを沢山持ってきてくれて、ソファに横になった私の額や首、足を冷やしてくれた。

「こんなにのぼせるなんて、どんな考えごとしてたん」
少し落ち着いてきたとき、彼は私の顔の横に腕を組んで、その上に顎を乗せた。

「私は死ぬまで1人なのかなって考えたら、キリがなくなっちゃって」
「どうしたらそんな考えになるん」
「同棲してた元彼がさ、会いに来たんだよね」
「……え、柚季ちゃん同棲してたん。一人暮らしは寂しいゆうてたやん」

彼は「騙された」とでも言いたげに驚いて見せた。

「前はね。今は寂しい一人暮らしですよ」
「まあ何言われたか知らんけど、そんな悲観せんでもええと思うよ。柚季ちゃんを好きになってくれる人はおるし絶対」
「……うーん」
「おるよ! 俺も好きやで、柚季ちゃんのこと。やから元気出して」

「な?」と彼に覗き込まれたら、元気を出さないわけにはいかない。

「猫ちゃんの写真、見せてくれたら元気出るかも」
冗談で言ったつもりが、彼は真剣に捉えてしまったようで、
「ごめん、写真はすぐには見せられへんかも」
と、眉を八の字にして謝ってきた。

「うそうそ、もう元気出たよ。ありがとう」
「ほんまに? 良かった良かった」

そう言いつつ、眠そうに目をとろんとさせる彼を、正直に言ってしまえば、私は好きになりかけていた。彼の魅力が強すぎるのか、私の切り替えが早いのか。この面食いの性質が災いを起こすことをまだ私は学習しないみたいだ。

「ごめんね、メンヘラみたいだね。こんなこと考えてのぼせるなんて」

私が自虐風に笑って言う。

「誰にでもあるよ、しょーもないこと考えてまうこと。俺にもあるもん」

彼は、相手が欲しい答えを言う天才だ。遙真も昔はこうやって寄り添ってくれる人だったし、そこを好きになった。ただ1つ違うのは、その言葉の節々にちくちくと違和感があったこと。その違和感を見逃さないでいたら、同棲した1年を無駄にせず済んだのかもしれない。
こんなこと考えても、時間は帰って来ないけど。当分は暖さんとのこの丁度いい関係を楽しんでしまおうなんて、悪い考えが浮かんだ。そうしていれば、少なくとも一人じゃないと思える気がするから。

この銭湯での関係が半年くらい続いたある日、今度は彼が酷く落ち込んだ様子で銭湯にやってきた。彼の目からはいつもの快活なキラキラとした光は消えていて、代わりにどんよりとした靄がかかっていた。

「猫ちゃんがな、出て行ってもうた」
「ええ、どうして」
「どうしてやろな。俺が構いすぎて、愛想尽かしてもうたんかも」

本当に、彼は消えてしまいそうなほど落ち込んでいた。
彼のその様子を見たとき、私は全てを理解したような気がした。今までも気がつかなかった訳ではない。薄っすら気がつきながら、見てみぬふりをしていた。なぜ猫を名前で呼ばないのか、なぜ猫にマフラーをプレゼントするのか、どうして「出て行った」と表現するのか。そしてなにより、私は猫ちゃんの写真を一度も見たことがない。

彼への気持ちが、ただの丁度いい関係だけではないものに変わっていくと同時に、私がその現実を受け入れたくなくなっていただけなのかもしれない。お互いに深く踏み込まない関係性がもどかしく感じると同時に、受け入れたくない事実が確実になることを避けていた。

つまり……
彼の猫ちゃんは、彼の「彼女」だ。

「私にもね、猫がいたんだ」

以前彼にそうしてもらったように、今度は私が彼を慰めようと思った。

「その子も出て行っちゃったんだけどね」
「……そうやったんや」

「こうやって話してても、知らんことまだまだあるな」と、彼は力なく笑う。

「一度だけ、家に帰ってきたの。でも、そのときには全然違う顔をしてた。私はもうひとりなんだって不安になったりして」
「っそんなことあらへんよ」
「暖さんは、前にも同じこと言ってくれたね」

「それって……」と何かを言いかけて、彼は口をつぐんだ。

「だからね、大丈夫だよ。猫ちゃんが帰ってきても、帰って来なくても。暖さんはひとりじゃないから」
「ありがとうな。ほな、もうちょい待ってみるわ」

彼の顔には笑顔が戻っているはずなのに、瞳の奥はより辛そうにしていて、慰め方を間違えたかと不安になった。

「また来週も、ここで待ってるね」

彼が来なくなってしまう気がして、私は予防線を張る。ああ、出会ったときは彼が次の週の約束をしてくれたんだっけ。
彼は、にこりと少し微笑んで頷いた。本当にまた会えるだろうかと、不安になる笑顔だった。
「猫ちゃん、帰ってきた!」

次の週、不安な気持ちをどうにか抑えながら銭湯に出向くと、いつもの調子を完全に取り戻した彼が私を見つけるなりぺたぺたといつもの足音を立てて駆け寄ってきた。あんなに落ち込んでいたのが嘘のような元気の良さだ。
彼の姿を見て安堵すると同時に、ちょっと悲しいような。そうか、彼女さん戻ってきたんだ。そりゃあ完全に振られた私とは違うよな。

「ふらっと帰ってきたんよ。やっぱり自分の家が一番心地ええんやろなあ」
「ふふ、良かったね」

「そうや」と、彼は思い出したようにスマホを取り出した。

「俺、猫ちゃんのことはちゃんと撮りたいからカメラで撮っててんけど、この前データをスマホに移したんよね」

「ほら」とふいに彼に見せられたのは、赤いマフラーをつけた、茶色の……

「猫だ」
「うん、猫ちゃんやで。かわええやろ?」
「……うん、かわいい」

なんだか拍子抜けしてしまった。どうやら私は飛んだ勘違いをしていたみたいだ。そう分かると、先週元彼を猫と重ねて偉そうに彼を励ましていた自分が急に恥ずかしく思えてくる。

「そのさ、なんで名前じゃなくて猫ちゃんって呼ぶの?」
「え、なんでやろ。人に紹介するときは基本猫ちゃんやな」

彼自身も分からないという様子で困惑した表情をする。

「ふっ」

彼らしいと思って、そして安心して、私は笑ってしまった。「どうしたん?」とつられて笑う彼と、2人でしばらく笑い合った。
しばらくすると、彼がこちらを見ながら言った。

「でも、柚季ちゃんが言ってたのは、猫ちゃうやんな?」
「んーどうかな」

案外鋭い彼に、もうその話は掘り返して欲しくなくて曖昧な返事をした。
それにしても、どこに隠し持っていたのだろうと思うほどギラギラとした目つきを私に向けてくる。

「俺がその猫になるってのは、どう?」
「それってどういう……」
「そのままの意味……やないな。柚季ちゃんがのぼせた日、あったやろ? あの日、柚季ちゃんを1人にさせたくないおもたんよ。この関係もな、これはこれで居心地よかったから伝えようか迷ったけど、猫と元彼重ねて諦めたみたいに辛そうにする柚季ちゃん見てたら伝えずにはいられんくて、」

彼の思いがけない気持ちの告白に、思考停止した私は彼を見つめたま言葉を発することができなくなってしまった。

「俺が柚季ちゃんの猫になるのは、あかん?」

さっきまでギラギラしていたはずなのに、今度は水分量を多くして不安そうに揺れる彼の瞳に捕らえられて、私は答えた。

「暖さんは、猫というより……犬、かな」
「え、そこなん?」

今度は彼が拍子抜けしたような表情で言った。

「それは、おっけーってことで、ええの?」

気を取り直した彼は、真剣な目をこちらに向ける。
私はゆっくり頷いた。

「私、暖さんの猫ちゃんがずっと羨ましかった」
「なんなんもう。ずるいで、それは」

そう言った彼の匂いに、私はふわっと包まれた。

「今日は、フルーツオレ飲み終わっても一緒におってな」