溺れるように洗った顔を手のひらで拭って、洗面所に座り込む。
 ひたりとしたリノリウムの床。蛇口から滴る細い水滴。神妙な顔で話す西野さんの姿が、ぼうっと浮かぶ。

 ――あの男、どう言いくるめたかわからないけど婚約者と予定通り結婚するらしいよ。いったいどういう神経してるんだろうね。

 あんなバカな男、どっかのバカな女にくれてやる。もう好きでもなんでもない。彼がどうなったって構わない――彼が岩田さんに刺された日から、ずっとそう思っていた。
 それなのに婚約者にあって私にないものがなんなのか知りたくてたまらなかった。私のなにがだめなのか知りたかった。
 私はいま、こうふくのはずなのに。今夜は三埜くんにカレーをつくってもらうのに。
 ひとつ綻んだらぜんぶがわからなくなった。
 三埜くんは私がはじめての相手だから、私への感情を勘違いしてやさしくしてくれるのかもしれない。そのうち目が覚めてさっきの女の子とつき合うのかもしれない。私みたいなバカな女は三埜くんを穢してしまうのかもしれない。
 帰りたい。今日子さんと呼んでくれた夜にいますぐ帰りたい。
 遠くから、チャイムが聞こえた。
 私は今夜、なにを話してなにを話さないべきなのか、わからなかった。






 ――了――