「僕、これで四年連続なんですよ。初めて出たときは前半飛ばしすぎて後半に地獄見て、二度と出るかって思ってたはずが、はまっちゃって」
「今まさに二度と出るかって思ってるんですけど、そんなものですか?」
「一回目の結果に納得いかなくて、一回だけリベンジと思ったら、もうズルズルと」

 城所さんが照れたように笑う。二十五時の夜道を知らない男の人と歩くなんて考えてもいなかった。だけど、城所さんは真夜中を歩いていると思えないくらい底抜けに明るくて、そんなことはすぐに気にならなくなった。聞くところによると、城所さんも今の私と同じ歳の時に初めてこのイベントに出たらしい。

「でも、私もそんな感じかもしれません。元陸上部だからってペースが速すぎました」

 40kmくらいまでは前を歩く人たちをどんどん抜きながら歩いていた。陸上部時代も前半型ではあったけど、今回はもう少し慎重になるべきだった。一人反省していると、隣を歩く城所さんは小さく目を見開いている。

「僕も元陸上部です。大学まで5,000mが専門でした」

 引退して太っちゃいましたけど、と城所さんは笑うけど、80km以上歩いてきて座り込んでいた私を気遣ったり、ニコニコと笑いながら歩いている姿を見るとすんなり納得できた。

「私、中距離で800mやってました」
「あ、確かに六川さん強そうですよね。イメージ湧きます」
「それ、褒めてます?」
「中距離選手への強いは誉め言葉ですよ!」

 陸上選手として強かったかはさておき、昔から家族や友人から「愛梨は気が強いから」と言われることが多かった。城所さんが私のどこを見て強そうと思ったかは気になったけど、変に質問して気まずい空気を作りたくなくて一つ頷いておく。

「ちなみに六川さん。足は大丈夫ですか?」
「えっ?」

 どうしてそれを。城所さんにはちょっと休憩していたとしか伝えていないはずだけど。

「右足、ちょっと引きずってる感じがあったんで。もしかしたらと」
「特に怪我してるわけじゃなくて、疲労がたまってる感じで……すごい、見ただけでわかるんですね」
「三年前、僕も同じことやらかしてますからね」

 頭に手を当てた城所さんが再び照れ笑いを浮かべる。つられて自分の表情が緩むのを感じた。さっきまで感じていた寒さも心細さもいつの間にかなくなっていた。夜空を吹き抜けていく風は冷たいはずなのに、今は不思議と気にならない。

「でも、だいぶよくなりました」

 今も歩くたびに疼くような痛みが顔を見せるけど、もう一歩も歩けないと思ってしゃがみこんだ時からするとずっと症状は穏やかだった。気持ちの方も今は頑張って歩こうと思えている。
 そうやって歩いているうちに「チェックポイントまであと1km」と書かれた看板を持って立っているスタッフの人と出会った。

「おっ、あともう少しですね」

 スタッフの人に会釈しながら城所さんは笑みを浮かべた。
 さっきまでもう歩けないと思っていたし、もう一度歩き出したときもチェックポイントまで歩けたらリタイアしようと思っていた。実際、いつ歩けなくなるかわからないくらい疲労は積み重なっている。
 だけど、今はチェックポイントが近づくことを寂しいと感じていた。せっかくここまで歩いてきたということもあるし、何より城所さんと出会ってからの5kmは久しぶりに無邪気に笑うことができたと思う。
 でも、城所さんからしてみれば私は足手まといだろう。一人だったらとっくにチェックポイントに到着していたはずだ。

「そうだ、次のチェックポイントは針を打ってもらえますよ」
「針……って鍼灸ですか?」

 確かに、パンフレットには最終チェックポイントでは鍼灸師による針治療を受けられると書いてあった記憶がある。

「私、針って今まで受けたことないんですけど、そんなに効くんですか?」
「僕もこのイベントで初めて受けましたけど、嘘みたいに疲労が抜けるので、騙されたと思って試してください!」

 城所さんは得意げな笑みを浮かべる。いまいち針が効く原理がわからなくて信用していなかったけど、城所さんがそこまで言うなら試してみてもいいかもしれない。
 そこから十分弱歩いて、私たちはチェックポイントに辿り着いた。スタッフにゼッケンのバーコードを読み取ってもらった後は給食を受け取る。あくまでチェックポイントは100km歩く上での通過地点ではあるけど、参加者が休憩できるようにベンチやテントが用意してあった。

 城所さんに案内されて針治療を受けられる場所に向かう。簡易テントの下に施術スペースが設けられていて、思っていたより本格的だった。それに、ストーブが設置してあるのもありがたい。
 問診表などを書いていると、すぐに順番が回ってきた。痛みや疲労がたまっている部分を鍼灸師さんに伝える。疲労がたまっているのは右足だったけど、針は腰に打つらしい。不思議な感じがしたけど、腰の疲労が原因で足の方にまで影響しているらしい。

「じゃあ、打ちますね。痛かったら言ってください」

 鍼灸師さんの言葉に頷く。
 針が差し込まれた瞬間、ずぶりという痛くすぐったい感覚に思わず腰が跳ねる――だけならよかったのだけど。

「ぴゃああっっ!?」

 今まで経験したことがない感覚に、反射的にすごい悲鳴が溢れ出した。