黒い弦が踊り、あっという間に木が木材の形になる。その光景を目の当たりにして、マリアはあんぐりと口を開けた。

「これでいいのか」
「す……っごーい! 便利! わたしの努力はいったい……」

 むしろ今まで何をやっていたのか。一向に進んでいなかった家づくりに、フランツは呆れ顔だった。

「次どうすんだ」
「あ、えーっとね」

 記憶を頼りに覚束ない指示を出すマリアに、フランツは疑わしげにしながらも弦を操った。人間の住居のことなど知らない。正解がわからないのだから、とりあえず言う通りにするしかない。
 なるべくなら魔力は温存しておきたかったが、黒い弦はフランツの手足の延長にあるほど慣れた力だった。それほど大掛かりなことをしなければ、消耗は最小限に抑えられる。

「それにしても、急に家づくりを手伝ってくれるなんて、どういう風の吹き回し?」
「家が無いと死ぬんだろ、人間は」
「そのくらいじゃ死なないけど」

 死にそうだったくせに。思ったけれど、言わなかった。彼女を心配しての行動だと思われたら(しゃく)だ。

「でも嬉しい。ありがと」

 にひ、と子どもっぽく笑うマリアが、ちかりと光った。

 それからフランツは、気まぐれにマリアを手伝うようになった。いつも共にいるわけではないが、食事は一緒にとるようになった。会話が増えて。接触が増えて。マリアには、笑顔が増えた。
 二人で過ごすことが自然になった頃。ついに、家が完成した。

「や……った~! 長かった!」

 感激した目で家を見つめるマリア。簡易なログハウスなので、快適さはさほどない。まだ内部は改良の余地があるだろうが、最低限の機能は果たすだろう。

「ありがとう! フランツ! ほんっとうにありがと~!」
「大げさなんだよ」

 両手をとってぶんぶんと振ってみせるマリアに、フランツは体を引いた。

「これで一緒に住めるわね!」
「住まねェよ」
「えっ!? なんで!?」
「そろそろ出てく」

 マリアは、先ほどまでの興奮が嘘のように、一瞬で表情を変えた。
 何かを言おうと口を開いて、空気だけを吐き出して、俯いて唇を噛んだ。
 再び顔を上げた時には、眉を下げながらも、笑顔をかたどっていた。

「そっか。元々、出てくって言ってたものね。家ができるまで居てくれて、ありがとう」

 フランツは顔を逸らした。その通りだ。本当は、もっと早くに出ていけた。けれど、家が完成するまでは、と。ここに残ったのは、フランツの意志だ。それを見透かされたことが、なんだかきまりが悪かった。

「たまには、会いに来てくれる?」
「アホか。そうひょいひょい来れる場所じゃねェよ、ここは」
「あはは、だよねぇ。だって、フランツ以外、誰も……来ないものね」

 寂しそうに笑ったマリアに、フランツはじりじりとした居心地の悪さを感じていた。
 もう用は無い。義理も無い。地上に戻れば、人間は山ほどいる。マリア一人を気にかける必要など、ありはしないのに。
 自身の中に渦巻く感情を追い払うように、大きく舌打ちした。

「おい。『がらくた箱』漁んぞ」
「え、え?」

 『がらくた箱』とは。マリアが、砂浜から拾い集めた物を詰め込んだ箱のことだ。この島には、人間はマリアしかいない。しかし、時折どこからか流れ着いた物が砂浜に打ち上げられていた。この島の周囲の海は、直接外界とは繋がっていない。つまり、この島への漂着物は、どこか異界から紛れ込んだものだということになる。明らかに文明の違う物、理解のできない物、壊れて直せない物。それらを、何かに使えるかもしれないと、マリアは見つけては保管していた。

「これでいいか」

 フランツは一つの壊れたコンパスを手に取った。文字は擦り切れて、何の印もない。けれど、媒体は何でも良かった。(しるべ)となりさえすれば。
 ぐっと握り込み、それに魔力を込める。

「手出せ」

 疑問符を浮かべるマリアの手をとって、フランツはマリアの指先にコンパスの磁針を刺した。

「いったぁ!」
「うるせェ」

 じわじわと、磁針がマリアの血を吸って赤く染まる。マリアの手を離すと、今度は磁針の反対側にフランツが指を刺した。同じように、磁針がフランツの血を吸っていく。
 さっぱりわけのわからないマリアに、フランツはコンパスを手のひらに乗せて見せた。

「これが、俺とマリアを繋ぐ。マリアの血を辿って、居場所がわかる」
「……くれるの?」
「なんでだよ」

 物わかりが悪い、とフランツは顔を顰めた。マリアはこの島から動けないのだから、道標は必要無い。

「俺が。これを辿って、会いに来る」

 絶対の保証は無いが、一度通った道だ。標と、フランツの魔力があれば。再びこの島へ訪れることは、できるはずだ。

「会いに、きて、くれるの?」
「だからそう言ってんだろ」

 照れ隠しからか、苛立ったようにそう告げたフランツに。
 マリアは、涙を浮かべて、満開の笑顔を見せた。