「……なるほど、な。その状況なら、確かにオレたちに共闘を持ちかけるのは納得だ。前に嬢ちゃんには、黒弦を潰す気があると言ってあったしな」

 言いながら、キッドは考えるように顎をさすった。

「ただ、その話には一つ大きな懸念がある」
「なんですか?」
「嬢ちゃんは、人を殺せるのか?」

 真っすぐに射抜くキッドの視線に、奏澄は逃げ出したい気持ちに駆られた。
 それをこらえて、睨むように力を込めてキッドを見返す。

「人ではありません。相手は悪魔ですから」
「悪魔だろうとなんだろうと、人の形をした生物(いきもの)だぞ。話を聞く限りじゃ、オレたちがどれだけ力を尽くしたところで、とどめは嬢ちゃんしか刺せないんだろう。それができないなら、前提が全て崩れる」
「できます」

 食い気味に言い切った奏澄に、視線が集まった。

 できる。それが正義なら。
 人を殺すのは悪だ。そうだと法で定められている。そうだと倫理を教え込まれる。
 しかしそれが逆転する時がある。
 戦争だ。
 戦時は、人を殺すことが正義だと説かれる。あれは一種の洗脳なのだ。そしてそれは、平時でもやろうと思えばできることである。
 顕著なのが、加害者への私刑(リンチ)だ。相手に罪がある時、人はそれを糾弾する自分を正義だと思い込む。正義の暴力は心地良い。酒よりも容易く自分を酔わせてくれる。大義名分がある。同調する仲間がいる。そこに罪悪感などは存在しない。正義ほど人を簡単に暴力へ走らせるものもない。自分が正しいと思った時、人はどこまでも残酷になれる。

 人は心を騙す手段をいくつも持っている。
 ある刑務官は言った。死刑執行は、ゲームと同じなのだと。
 死刑執行時は、誰が実際に殺したのかを判別できないよう、複数あるボタンを一斉に押す。どれが作動したのかはわからない。そうすることで、手を下した罪悪感を軽くさせる。
 相手は罪人だ。正義は刑務官にある。死刑の執行はただの仕事だ。それでも心を病む人がいるから、考えられたシステムだ。
 奏澄はこの刑務官の言葉を聞いた時、眉を顰めた。人の死をゲームだとは、なんという言い草かと。
 しかしそれなりに人と交流を重ねれば思い至る。あれは、心も守る術なのだということが。
 人の命を奪う刑務官。人の命を握る医者。人の人生を左右する教師。誰かに強く影響を与える、あるいは誰かに深く踏み込む職業の人たちは、ひどく冷たく感じることがある。あれは、そうでなければ自分が壊れてしまうからだ。全ての感情をまともに受け取っていたら狂ってしまう。全ての人に正面から向き合っていたら潰れてしまう。
 だから、心を殺す。それは無にして鈍感にすることだったり、最低限の関りにして距離を取ったり、ゲームなどと設定を作ってわざと事象を軽いものと思いこませたり。方法は様々だが、皆それぞれに脳を騙し、心を騙し、自分を騙して職務に励んでいる。

 そしてそれは、奏澄にもできる。心を殺し、感情を鈍らせ、自分を騙すことが。
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 だから問題は無い。悪魔は大罪人だ。誰もが彼を悪だと断じている。悪魔を排除することに異を唱える者はいない。
 世界にとって必要なことであり、仲間を救うために必要なことだ。奏澄にしかできないことなのだから、奏澄がやらなくてはならない。大義名分は十分だ。これは正義の行いだ。
 だからできる。

「――できます」

 静かに、しかし強い決意でもって繰り返した奏澄に、メイズは息を呑んだ。
 その瞳を正面から見ていたキッドは、舌打ちでもしそうな顔で小さく零した。

「今度は嬢ちゃんが危ういのかよ」

 その言葉が聞き取れず、難しい顔をするキッドを見て、奏澄は首を傾げた。
 複雑そうな表情で髪をかき混ぜたキッドは、大きく息を吐いて、表情を切り替えた。

「目的は同じだ。オレたちじゃフランツを討ち取れないとわかった今、嬢ちゃんが協力してくれるんなら玄武としても願ってもない。ただ、共闘という形をとるなら、お互いの信頼関係が必要だ。命を預けるわけだからな。それは、わかるな?」
「……はい」

 玄武の言い分はもっともだ。元は敵対関係にあったメイズ。たんぽぽ海賊団の乗組員も、一度は敵対視して戦闘になりかけている。互いに背中を預けるのなら、何か信頼の証を要求されるだろうことは覚悟している。あの白虎でさえ、船医を貸し出すのに担保を必要としたのだ。
 緊張しながら次の言葉を待っていると、キッドはメイズに視線を向けた。

「メイズ。お前、どうして黒弦を抜けた」

 突然水を向けられたメイズは瞠目した。そして少し逡巡して、口を開く。

「船長と、意見が対立した」
「あの船は長かっただろ。なんで急に船長に逆らう気になった。何があった?」

 嘘を許さないキッドの瞳に、メイズは視線を逸らして押し黙った。最低限は答えたが、詳細は語りたくないのだろう。
 はらはらしながら二人を見守っていると、今度は奏澄に問いかける。

「嬢ちゃんは、何があったか聞いてるか?」
「いえ、私も、詳しくは」
「そうか。だろうな、そういう感じだ」

 どういう感じなのか、と奏澄が戸惑っていると、キッドは厳しい目でメイズを見やった。

「答える気が無いなら、オレたちにまで全部を語れとは言わねぇ。ただ、嬢ちゃんには話せ。お前がどうして黒弦にいたか、あそこで何をしていたか、そして何故離れることになったのか」
「キッドさん、それは」
「オレだって、船長が何もかもを知っている必要があるとは思わねぇよ。恋人でもだ。ただ、こと今回に限っては、必要なことだと思うぜ。なんせフランツを殺すなら、もう二度と向こうから話を聞くことはないんだからな」

 そうだ。奏澄は、ずしりと肩が重くなった気がした。
 殺すということは、相手の口を塞ぐということだ。二度と、何も語られることはない。争いでは、双方の言い分を聞くのが定石だ。なのに、双方どころか片方の言い分すら聞くことなく、人物像だけで悪を断罪しようとしている。
 しかし、それこそが今回の討伐に必要なことだ。奏澄はメイズを信じている。何が語られても、それが揺らぐことはない。例えフランツの側に何らかの言い分があったとしても、悪魔と話し合いができるとは思わないし、下手に会話などしようものなら、相手が人間であるかのように錯覚してしまう。それは駄目だ。決意が鈍る。
 何も聞かなくていい。何も知らなくていい。ずっと、そう思ってきた。メイズが知られたくないのなら。
 けれど、これは一つの転機なのかもしれない。きっと、今、必要なこと。

「嬢ちゃんが話を聞いた上で、オレたちがメイズと肩を並べて戦えると信じられるなら、その時はもう一度声をかけてくれ。暫くはこの島に留まる」
「……わかり、ました」

 席を立ち、頭を下げて、奏澄はメイズと酒場を出た。
 宿までの道は、二人とも終始無言だった。