「――……」
朝の光が眩しい。
結局昨夜は途中で疲れ果ててしまい、何かを聞かれていた気もするが適当に返事をしながら寝落ちてしまった。
体に不快感は無い。おそらく、終わった後の処理はメイズがしてくれたのだろう。
「起きたか。体は大丈夫か?」
しれっと声をかけてくるメイズに、奏澄は無言でばしばしと体を叩いた。
「なんだ」
「こっちの台詞。なにあれ」
「良かっただろ?」
悪びれもせず聞いてくるメイズに、奏澄は口を噤んだ後、絞り出すように小さな声で答えた。
「よ、かった、けど」
耳まで真っ赤にした奏澄に、メイズは満足そうに笑って髪を梳いた。
言いたいことは無いではないが、ここで意地を張ってもメイズの努力を無駄にする。
知らなかった。自分の体は快楽を拾いづらいのだとばかり思っていたが、相手の技術が高ければ達することもできるのか。
しかしやられっぱなしなのは悔しい。いつかやり返してやりたい。
問題なのは、奏澄は男娼に教わるわけにもいかない、というところか。女が娼館に行っても娼婦に相手をしてもらえるだろうか。技を教えてほしい。
「ほら」
「ありがと」
水を渡されて、奏澄は体を起こしてカップに口をつけた。
全身がだるい。毎回これでは身がもたない。
「メイズ。セーフティワード決めよっか」
せっかくの甘い空気を壊す響きの単語に、メイズが露骨に嫌な顔をした。
「なんだそれは」
「本気で無理な時に言う言葉を決めておくの。今回は、本当に、ぎりぎり言わないように気をつけたけど。無理とかって言葉咄嗟に出がちだし、相手も本気に取らないことがあるから。なるべくセックスの時に出ないような単語で、それを言ったら絶対止めるってルール作っておくの」
「却下」
「なんで!?」
予想外の反応に奏澄は驚いた。嫌な顔をしつつも、こういうルールは呑んでくれると思っていた。
「説明から察するに、それは命や身体の危機に関わるような特殊なやり方をする時に用いるものなんじゃないか」
奏澄は目を逸らした。当たりだ。例えば緊縛を行う場合は、縛り方によっては神経麻痺の危険性があるし、首絞めなどはフリに留めないと脳に後遺症が残る危険がある。そういう危険行為を、やっている側がエスカレートして力加減を誤ってしまわないよう、やられている側が自分の体の具合に合わせて申告するものだ。
けれど別に普通のセックスにだって用いないことはない。片方が夢中になって我を忘れるようなら、止めるための手段は必要だ。
「途中で止める手段は必要だと思うんだけど」
「本当に無理かどうかは見てればわかる。お前の場合は、そういうものを用意するとぎりぎりよりだいぶ手前で使うから嫌だ」
「そっ……んなことはない……よ?」
いやあるな、と奏澄は自分のことながら思った。
提案するのに、わざわざ『ぎりぎり』と強調したのは、今回だけ特例ということにしたかったからだ。嫌だとは思わなかったが、もう無理だと思う場面は何度かあった。今回耐えられたのだから次回も耐えられるだろうが、なるべく手前で止めたいと思った気持ちがうっかり出てしまっている。
奏澄の元来の特性として、安全な道を選びがちだから、多分ギブアップ札が手元にあると、無理と判断したら即上げてしまう。
マラソンであと一周だけ、と言われた時。その一周に単位がかかっていれば、ぎりぎりまで頑張れるだろう。しかし、特にデメリットがなければ、しんどいから脱落を選ぶ。現代っ子だから根性論には慣れていない。達成感とか別にいい。限界のその先とか無いし、限界は限界だ。誰に迷惑をかけるわけでもないのなら、そのあたりのジャッジは割と甘い。
「加減はできる。今だって、声も出てるし、体も自力で起こせてるだろう」
「それは当たり前のラインだと思うよ」
「それに俺がお前の様子に気を配れないところまでいってたら、多分そのセーフティワードとやらを言ったところで聞こえない」
「こっわ! ちょっと、唐突に恐怖発言しないで!」
「無いと思うが、万が一そうなったら刺してでも止めろ」
「無茶苦茶言う……」
「剣の方使うなよ。ナイフ使え」
「ねぇ現実味が増すアドバイスやめて」
剣のくだりはもしかして冗談だろうか。本気で言っているようにしか見えないメイズに、奏澄は体を震わせた。そんなことがこの先起こらないことを祈るのみだ。
「なんていうか、さ。メイズは……そんな、したい?」
ここに切り込むのは避けてきたが、こんな物騒な話題を出されたら聞いておきたい。メイズにとって、体の関係はそこまで重要なことなのだろうか。
聞かれたメイズは、言いにくそうに口を動かした。答えはあるが、言い淀んでいる様子だった。ややあって、観念したように吐き出した。
「俺だけが、お前の特別だと思えるから」
どういうことか、と奏澄が首を傾げる。
「お前は、内側の人間に対する許容範囲が広いだろう。色々なことを、許すから。俺だけが、許されている行為が、これしかない」
メイズからこぼされた本音に、奏澄はあんぐりと口を開けた。まさかそんなことを考えていたとは。
「他にもいっぱいあるでしょ! 一緒に寝てるのだってメイズだけだし、キスだってメイズとしかしないでしょ!」
「そのくらいなら恋人じゃなくてもするだろ」
「しないけど!?」
どうも謎の劣等感を抱えていたらしい。特別感が欲しかったとは。
元々メイズは特別だ。しかし、それが逆に彼の疑心を呼んだのかもしれない。
恋人になる前から、メイズは特別だった。つまり、恋人関係になる前に彼に許してきたことを、メイズは自分でなくても許容される行いだと思っている。
それは間違いではない。間違いではないのだが、そうではなく。なんとももどかしい。
「いいだろ別に。今後も無理強いはしない。ちゃんと同意は取る」
「ああうん、それはありがたいけど」
「要はお前がしたくなれば同意は取れる」
「うん……?」
「その気にさせるのはいいんだろ?」
にぃ、と笑ったメイズに、奏澄は背筋が寒くなった。
朝の光が眩しい。
結局昨夜は途中で疲れ果ててしまい、何かを聞かれていた気もするが適当に返事をしながら寝落ちてしまった。
体に不快感は無い。おそらく、終わった後の処理はメイズがしてくれたのだろう。
「起きたか。体は大丈夫か?」
しれっと声をかけてくるメイズに、奏澄は無言でばしばしと体を叩いた。
「なんだ」
「こっちの台詞。なにあれ」
「良かっただろ?」
悪びれもせず聞いてくるメイズに、奏澄は口を噤んだ後、絞り出すように小さな声で答えた。
「よ、かった、けど」
耳まで真っ赤にした奏澄に、メイズは満足そうに笑って髪を梳いた。
言いたいことは無いではないが、ここで意地を張ってもメイズの努力を無駄にする。
知らなかった。自分の体は快楽を拾いづらいのだとばかり思っていたが、相手の技術が高ければ達することもできるのか。
しかしやられっぱなしなのは悔しい。いつかやり返してやりたい。
問題なのは、奏澄は男娼に教わるわけにもいかない、というところか。女が娼館に行っても娼婦に相手をしてもらえるだろうか。技を教えてほしい。
「ほら」
「ありがと」
水を渡されて、奏澄は体を起こしてカップに口をつけた。
全身がだるい。毎回これでは身がもたない。
「メイズ。セーフティワード決めよっか」
せっかくの甘い空気を壊す響きの単語に、メイズが露骨に嫌な顔をした。
「なんだそれは」
「本気で無理な時に言う言葉を決めておくの。今回は、本当に、ぎりぎり言わないように気をつけたけど。無理とかって言葉咄嗟に出がちだし、相手も本気に取らないことがあるから。なるべくセックスの時に出ないような単語で、それを言ったら絶対止めるってルール作っておくの」
「却下」
「なんで!?」
予想外の反応に奏澄は驚いた。嫌な顔をしつつも、こういうルールは呑んでくれると思っていた。
「説明から察するに、それは命や身体の危機に関わるような特殊なやり方をする時に用いるものなんじゃないか」
奏澄は目を逸らした。当たりだ。例えば緊縛を行う場合は、縛り方によっては神経麻痺の危険性があるし、首絞めなどはフリに留めないと脳に後遺症が残る危険がある。そういう危険行為を、やっている側がエスカレートして力加減を誤ってしまわないよう、やられている側が自分の体の具合に合わせて申告するものだ。
けれど別に普通のセックスにだって用いないことはない。片方が夢中になって我を忘れるようなら、止めるための手段は必要だ。
「途中で止める手段は必要だと思うんだけど」
「本当に無理かどうかは見てればわかる。お前の場合は、そういうものを用意するとぎりぎりよりだいぶ手前で使うから嫌だ」
「そっ……んなことはない……よ?」
いやあるな、と奏澄は自分のことながら思った。
提案するのに、わざわざ『ぎりぎり』と強調したのは、今回だけ特例ということにしたかったからだ。嫌だとは思わなかったが、もう無理だと思う場面は何度かあった。今回耐えられたのだから次回も耐えられるだろうが、なるべく手前で止めたいと思った気持ちがうっかり出てしまっている。
奏澄の元来の特性として、安全な道を選びがちだから、多分ギブアップ札が手元にあると、無理と判断したら即上げてしまう。
マラソンであと一周だけ、と言われた時。その一周に単位がかかっていれば、ぎりぎりまで頑張れるだろう。しかし、特にデメリットがなければ、しんどいから脱落を選ぶ。現代っ子だから根性論には慣れていない。達成感とか別にいい。限界のその先とか無いし、限界は限界だ。誰に迷惑をかけるわけでもないのなら、そのあたりのジャッジは割と甘い。
「加減はできる。今だって、声も出てるし、体も自力で起こせてるだろう」
「それは当たり前のラインだと思うよ」
「それに俺がお前の様子に気を配れないところまでいってたら、多分そのセーフティワードとやらを言ったところで聞こえない」
「こっわ! ちょっと、唐突に恐怖発言しないで!」
「無いと思うが、万が一そうなったら刺してでも止めろ」
「無茶苦茶言う……」
「剣の方使うなよ。ナイフ使え」
「ねぇ現実味が増すアドバイスやめて」
剣のくだりはもしかして冗談だろうか。本気で言っているようにしか見えないメイズに、奏澄は体を震わせた。そんなことがこの先起こらないことを祈るのみだ。
「なんていうか、さ。メイズは……そんな、したい?」
ここに切り込むのは避けてきたが、こんな物騒な話題を出されたら聞いておきたい。メイズにとって、体の関係はそこまで重要なことなのだろうか。
聞かれたメイズは、言いにくそうに口を動かした。答えはあるが、言い淀んでいる様子だった。ややあって、観念したように吐き出した。
「俺だけが、お前の特別だと思えるから」
どういうことか、と奏澄が首を傾げる。
「お前は、内側の人間に対する許容範囲が広いだろう。色々なことを、許すから。俺だけが、許されている行為が、これしかない」
メイズからこぼされた本音に、奏澄はあんぐりと口を開けた。まさかそんなことを考えていたとは。
「他にもいっぱいあるでしょ! 一緒に寝てるのだってメイズだけだし、キスだってメイズとしかしないでしょ!」
「そのくらいなら恋人じゃなくてもするだろ」
「しないけど!?」
どうも謎の劣等感を抱えていたらしい。特別感が欲しかったとは。
元々メイズは特別だ。しかし、それが逆に彼の疑心を呼んだのかもしれない。
恋人になる前から、メイズは特別だった。つまり、恋人関係になる前に彼に許してきたことを、メイズは自分でなくても許容される行いだと思っている。
それは間違いではない。間違いではないのだが、そうではなく。なんとももどかしい。
「いいだろ別に。今後も無理強いはしない。ちゃんと同意は取る」
「ああうん、それはありがたいけど」
「要はお前がしたくなれば同意は取れる」
「うん……?」
「その気にさせるのはいいんだろ?」
にぃ、と笑ったメイズに、奏澄は背筋が寒くなった。