爽やかな鳥の声が聞こえる昼下がり、私は渾身の力を込めて、義妹のコルセットを締め上げていた。

「うぐぐぐ、もっときつく! もっと! もっとよ!」

 イエローのドレスに身を包み、鏡の前で金切り声をあげているのは私の義姉、メアリーだ。
 しゃくれ気味の顎がトレードマークの彼女は、20年ぶりに開かれる皇帝舞踏会に参加するためボディメイクに余念がない。

(すごい根性ね……私とは大違い)

 洋服なんて楽で動きやすいのがベスト。メイド服が一番のお気に入りというナチュラリストな私はメアリーのリクエストに応えながらも、つい、本音をくちばしってしまう。

「ねえ、もうこれでストップすべきじゃない? 内臓が外にはみ出しちゃいそうよ」

 義姉の体調を案じての助言だったが、メアリーはたちまち信じられない、というような表情を浮かべた。

「贅肉がベルトからはみ出てるですって?」
「そうそう、ぜい肉が……ん?」
「ひどいっ! ひどいわ! エラ!」

 メアリーは憎々し気な目で私を睨み、コルセットを引き剥がして私に投げた。
 さっと避け弁解する私。

「あのね、メアリー、聞き間違いよ。いつもの空耳シリーズだわ」
「んまああああああっ! ぜい肉はみ出し気味な嘘つき女ですって?! あんまりだわ。ぎゃーっ」

 メアリーは駄々っ子のように地団駄を踏み始めた。
 こうなったメアリーは手が付けられない。いわば最終形態のようなものである。

「どうしたの。私の可愛い三日月ちゃん」

 メイク中だった義母のサマンサが振り向き、独特なあだ名でメアリーを呼んだ。
 多分顎からきているネーミングだと思うが耳にするたび「それってどうなのよ」と感じてしまう。

「エラが言ったの! 『あなたなんか王子のパートナーに選ばれるわけない』って!」
「え……」

 私はメアリーのセリフに凍りついた。

(そんなこと言ってない……わよね?)

 うん。多分、大丈夫だと思う。
 メアリーならではの空耳だ。
 だけど……。

 一瞬ビクッとしてしまったのは、半分図星だったから。

 自慢ではないが私は超前向きだ。その前向きさは自分にだけでなく他人にも発揮される。
 だから、本当はメアリーにも『未来なんて誰にもわからないわよ』と言ってあげたい。
 でも、言えない。口が裂けても。
 あまりにも白々しくて。

 継母はふっ、と微笑みながらメアリーを宥めた。

「許してあげなさい。エラはきっとあなたの美貌に嫉妬してるのよ」
「嫉妬?」

 メアリーの涙がピタリと止まる。

「ええ。王宮舞踏会に招待されるのは見目麗しく心優しい淑女だけ。その証拠にエラには招待状が来ていないでしょう。あまりにも貧相で性悪だから、リストから外されたのよ。この女は論外、って」
「へえええ。メアリーは呼ばれたのにエラは呼ばれてないんだ。へえええ」

 メアリーはにたあ、と意地悪そのものな笑みを浮かべる。

「エラって……かーわいそ」
「こんな性悪娘に同情してあげるなんて……私の三日月ちゃんはなんて優しいの」

 継母はうっとりと目を細めた。
 メアリーは私の顔を覗き込んでくる。

「ねえねえ、今、どんな気持ち? 1人でお留守番、どんな気持ち?」
(ううう、これ、絶対に喜んでるよね……)

 人の不幸は蜜の味。
 そんな格言が自然と浮かんできてしまうような笑顔である。
 私は心の中でため息をついた。

(申し訳ないなあと思ってるわよ……! ずっとね!)

 メアリーも義母も、王子のお妃になる日をこんなに楽しみにしているのだ。
 ウエストをぎゅうぎゅうにしぼって、苦しいのも多分我慢して。
 そこまでがんばっているのに、報われないと知ったら。
 ショックははかり知れないと思う。

 メアリーは王子のお妃さまにはならない。
 隠そうとしていたんだけど、顔色に出てしまっていたなら申し訳ない。
 結果を知っているなんてフェアじゃないよね。
 でも、仕方ないの。

 なぜならここは童話「シンデレラ」の世界。

 そして私=エラ=シンデレラなのだ。

 そう。
 私は誰もが知っている恋物語のヒロインで。
 今夜王子に見初められるのは、この私なのだった。

 ◇

 今から8年前。
 私は、中世ヨーロッパに似た、この物語世界にやってきた。
 それまでの私は日本の地方都市に住む女子高生。
 どこにでもいる平凡な、小説を読んだり書いたりするのが大好きな典型的文学……いいや、オタク少女だった。
 そんな私はある日の夕方、トラックにはねられて……多分、そのまま死んでしまい、気がつけば10才の女の子、エラになっていた。
 父親は亡くなり義理の母娘に牛耳られた屋敷で、エラは朝から晩までこきつかわれていた。

(って、設定がそのまんま「シンデレラ」じゃない! そういえばエラってシンデレラの本名だよね)

 最初はかなり動揺した。
 地味で目立たないオタクの私が、王道恋愛物のヒロインに抜擢(?)されたなんて信じられない!
 それに、物語の筋を知っているだけに、王子と出会うまでの苦境を乗り越えられるのか不安にもなる。
 でも、私がこの世界に来たのには何か理由があるはずだ。

(そう言えば、トラックにはねられ空中を舞う数秒間の間に、『恋がしたかった』なんて思ったっけ)

 ずっと図書館にこもりきりだった私は、青春らしい青春を過ごしていない。
 そんな暇があれば物語の世界に埋没していたかったからだ。

(ど、ど、どうしよう。なんてもったいないことを!)

 事切れる前の強い思念が神様に届き、シンデレラワールドという、ヒロインの恋を中心に繰り広げられる舞台が私に用意されたのかも。
 ありがたいような、残念なような。

(そんなことなら、ドラゴンスレイヤーになりたかった……)

 でも、さすがに贅沢よね。
 当時はただの後悔でしかなかったのだもの。

 納得してからの私は迷わなかった。
 異世界ものの小説は大好きだったから、大まかな流れは頭の中に入っている。
 まず、未来に向けて計画を立てた。
 その結果、『18までは準備期間。舞踏会からが本番!』という指針ができあがった。
 セミって、地中で何年も過ごすんだっけ。私もそれをまねることにする。
 本番がくるまで、予定調和に合わせること以外しない。息切れしないよう、ペースを保ちつつクライマックスに全力を注ぐのだ。
 正直なところ、地味で目立たない普通すぎるほど普通な私にシンデレラだなんて大役、荷が重すぎる。
 でも、それでも。
 運命がその責務を私に課したのだとすれば。

 私は全力を尽くす!

 そしてあっという間に8年間が過ぎ、物語のメインイベント、舞踏会の日を迎えたのだ。