☕️
大晦日、稲荷神社は来年以上に混んでいる。
この神社には『王子の狐火』という大晦日になると関東全域の狐たちが一本の大きな榎の下に集まり、官位を求めて参殿するという民話がある。
付き合ってはじめての年末、彼女の家にはご両親が遊びに来ている関係で1月4日まで会えない。
毎年福岡の実家で家族と年を越すのが決まりらしいのだが、今年に限っては違った。
すでに家族のいない俺にとっては地元の友達や親友と会うくらいしか選択肢がない。
でもみんな家族との時間があるので忌憚して誘わないようにしている。
夜中に待ち合わせるのははじめてなので新鮮な気分だが、時間になっても彼女の姿が見えない。
連絡もなく遅刻するなんて珍しい。
場所を伝え間違えたのかと不安になり送った内容を確認するが、たしかに駅前の改札前で合っている。
既読はついているが、返事はてんでない。
眠ってしまったのか、それともなにか事故にでも巻き込まれたのではないかと不安になっていると、息を切らしながら猛ダッシュしてくる人の姿があった。
「本当ごめん」
両手を顔の前で合わせて申し訳なさそうか顔をしている。
「気にしないで。水とか飲む?」
「ううん、大丈夫」
少し遅れたくらいで怒らない。
それよりも気になるのは彼女のファッションだ。
キャスケットを目深に被り、ワンピース、チェスターコートにミニブーツというハイセンスなコーデだ。
それに比べて俺はその辺にあったものを取って着たかのような無地のパーカーにデニム姿というシンプルな恰好。
「じゃあ行こっか」
いつもどおり手をつないでゆっくり神社に向かう。
「寒いなか会ってくれてありがとね」
「私、けいくんの彼女やもん」
なんだこのどうしようもなく可愛い反応は。
キャスケット越しに笑う口元に魅了されつつ、なかなか目を合わせようとしないことに少しだけ違和感を覚えた。
「今日やけに目深に被ってるね」
たまに帽子を被ってくる彼女を見るたびにドキッとするが、今日は芸能人くらい目深に被っている。
誰かにバレたらまずいことでもあるのだろうか。
「うん……」
ものすごく反応が薄い。
「どうした?」
「……察して」
機嫌を損ねてしまったようだが原因がさっぱりわからない。
こういうときの女心はいつになっても謎だ。
「ごめん、理由がわからない」
「今日メイク薄いけん顔見られるの恥ずかしいだけ」
「なんだ、そんなことか」
大した理由じゃなかったと思って安心したのも束の間、
「そんなことって何?こっちは毎回服装が被らないようにどんなファッションで行こうかすっごく迷って、飽きられないようにって思いながら工夫しとるんよ?男の人って小さな変化には気づかない生きものやけん、そこは期待しないようにしとるのに、それでもけいくんはいつもファッションとか髪型とかネイルとか褒めてくれるけんもっと可愛くなろうって、もっと綺麗になろうって頑張っとるのにそんなことって何?
今日だって本当は朝から一緒におりたかったんよ?三ヶ日も一緒におりたかったけどさ、わざわざ親が来てくれとるけんそうもいかんし、それでもけいくんが少しでも一緒にいたいって言ってくれたことがばり嬉しくて。
でも起きたらもう待ち合わせの時間で、頑張って来たけどメイク全然間に合わんくて……」
涙目になりながら訴えるように怒っている姿にデリカシーのないことを言ってしまったと反省した。
夜とはいえ女性にとってメイクやファッションは自身を飾る上で重要なもの。
そんな初歩的なことをわかってあげられない自分に腹が立った。
現に、首元には誕プレであげたハーデンベルギアのネックレスをしてくれている。
「ごめん、気がつかなくて。でもありがとう。こんなに想ってくれてる人が彼女なんて俺は幸せだよ」
「ずるいよ」
「えっ?」
「そんなこと言いよったらさっきまで怒ってた私バカみたいやん」
「俺はどんな紫苑も好きだから」
彼女の泪を指で拭き取り、そのまま顔を近づける。
しかし、右手で口元を抑えられて拒まれた。
神社のすぐ近くまで来ていたのだ。
「もうすぐ神様の前やし、バチ当たるよ」
恋人同士のキスはバチが当たるのか?と疑問に思ったが、彼女の機嫌が戻った様子だったのでそのまま行列に並んだ。
思ったよりも人は多くなかなか前に進まない。
夜風が身に沁みる。
左側を見ると彼女も寒そうだ。
念のため持ってきていたホッカイロを右ポケットから取り出す。
「ありがとう。でもこうした方があったかいけん、大丈夫」
そう言って彼女は俺の左ポケットの中にある指に自分の指をからめてきた。
指先から全身に体温が伝わってくる。
他愛ない話で盛り上がっていると、拝殿の前に着いた。
二礼二拍手し、願いごとをして一礼する。
(紫苑がずっと健康で笑顔でいられますように)
願いごとを心の中で言い終えて、彼女に質問する。
「紫苑は何をお願いしたの?」
「言ったら神様にお願いした意味ないやん」
笑いながら言われたがたしかにそうだ。気にはなるけど心の奥に閉まっておこう。
御神籤を引いた。
「末吉か」
「私は吉だった」
お互い微妙な運勢だった。
「けいくん、いま何時?」
石段の近くで彼女が慌てながら聞いてきた。
つないだままの左手を顔の近くまで持ってきて腕時計で時間を確認すると、年を越していた。
つないでいた手を離して向かい合う。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
お互いお辞儀をしてツーショットを撮った。
そろそろタイムリミットだ。
これ以上時間が経ったら彼女のご家族に申し訳ないので駅に向かった。
駅に着くといつも見ている音無親水公園が少し儚げに見えた。
「今日はありがとな」
「うん」
「送ってくよ」
「ここで大丈夫」
「危ないから近くまで送る」
「でも、お家から遠くなっちゃうよ」
気遣ってくれているのは嬉しいけれど、こんな夜中に彼女を1人で放置させるわけにはいかない。
過保護と言われたとしても当分会えなくなるからギリギリまで一緒にいたいと思った。
「いや、送ってく」
年末年始とはいえ都電は特別運行をしていないので地下鉄で帰ることにした。
飯田橋で乗り換え、東池袋で降りる。
いつもながら駅の周りは静かだった。
彼女の家が見えたところで足が止まった。
「送ってくれてありがとう。気をつけて帰るんよ」
「おう」
「お家着いたらちゃんと連絡してね」
「おう」
別れ際はいつも寂しいが、こういうときは彼女の方が大人だなといつも思う」
「じゃあそろそろ行くよ」
「うん、また」
お互い小さく手を振り、踵を返そうとする。
「……なぁ紫苑」
「ん?なに?」
我慢できずに抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、けいくん」
彼女は急なことで驚いた様子だったが、その反応が愛おしくてさらにギュッと抱きしめると、それに呼応するように抱きしめて返してくれた。
冷たい夜風に靡く長い髪が俺の理性を煽るかのように全身を刺激していく。
どうしても間近で顔が見たくなって、目深に被っていたキャスケットのつばを上げると、恥ずかしそうに、
「ダメ」
と言いながら目を逸らす。
半ば強引に唇を運ぶと優しく受け入れてくれた。
元旦のキスは甘い味がした。
大晦日、稲荷神社は来年以上に混んでいる。
この神社には『王子の狐火』という大晦日になると関東全域の狐たちが一本の大きな榎の下に集まり、官位を求めて参殿するという民話がある。
付き合ってはじめての年末、彼女の家にはご両親が遊びに来ている関係で1月4日まで会えない。
毎年福岡の実家で家族と年を越すのが決まりらしいのだが、今年に限っては違った。
すでに家族のいない俺にとっては地元の友達や親友と会うくらいしか選択肢がない。
でもみんな家族との時間があるので忌憚して誘わないようにしている。
夜中に待ち合わせるのははじめてなので新鮮な気分だが、時間になっても彼女の姿が見えない。
連絡もなく遅刻するなんて珍しい。
場所を伝え間違えたのかと不安になり送った内容を確認するが、たしかに駅前の改札前で合っている。
既読はついているが、返事はてんでない。
眠ってしまったのか、それともなにか事故にでも巻き込まれたのではないかと不安になっていると、息を切らしながら猛ダッシュしてくる人の姿があった。
「本当ごめん」
両手を顔の前で合わせて申し訳なさそうか顔をしている。
「気にしないで。水とか飲む?」
「ううん、大丈夫」
少し遅れたくらいで怒らない。
それよりも気になるのは彼女のファッションだ。
キャスケットを目深に被り、ワンピース、チェスターコートにミニブーツというハイセンスなコーデだ。
それに比べて俺はその辺にあったものを取って着たかのような無地のパーカーにデニム姿というシンプルな恰好。
「じゃあ行こっか」
いつもどおり手をつないでゆっくり神社に向かう。
「寒いなか会ってくれてありがとね」
「私、けいくんの彼女やもん」
なんだこのどうしようもなく可愛い反応は。
キャスケット越しに笑う口元に魅了されつつ、なかなか目を合わせようとしないことに少しだけ違和感を覚えた。
「今日やけに目深に被ってるね」
たまに帽子を被ってくる彼女を見るたびにドキッとするが、今日は芸能人くらい目深に被っている。
誰かにバレたらまずいことでもあるのだろうか。
「うん……」
ものすごく反応が薄い。
「どうした?」
「……察して」
機嫌を損ねてしまったようだが原因がさっぱりわからない。
こういうときの女心はいつになっても謎だ。
「ごめん、理由がわからない」
「今日メイク薄いけん顔見られるの恥ずかしいだけ」
「なんだ、そんなことか」
大した理由じゃなかったと思って安心したのも束の間、
「そんなことって何?こっちは毎回服装が被らないようにどんなファッションで行こうかすっごく迷って、飽きられないようにって思いながら工夫しとるんよ?男の人って小さな変化には気づかない生きものやけん、そこは期待しないようにしとるのに、それでもけいくんはいつもファッションとか髪型とかネイルとか褒めてくれるけんもっと可愛くなろうって、もっと綺麗になろうって頑張っとるのにそんなことって何?
今日だって本当は朝から一緒におりたかったんよ?三ヶ日も一緒におりたかったけどさ、わざわざ親が来てくれとるけんそうもいかんし、それでもけいくんが少しでも一緒にいたいって言ってくれたことがばり嬉しくて。
でも起きたらもう待ち合わせの時間で、頑張って来たけどメイク全然間に合わんくて……」
涙目になりながら訴えるように怒っている姿にデリカシーのないことを言ってしまったと反省した。
夜とはいえ女性にとってメイクやファッションは自身を飾る上で重要なもの。
そんな初歩的なことをわかってあげられない自分に腹が立った。
現に、首元には誕プレであげたハーデンベルギアのネックレスをしてくれている。
「ごめん、気がつかなくて。でもありがとう。こんなに想ってくれてる人が彼女なんて俺は幸せだよ」
「ずるいよ」
「えっ?」
「そんなこと言いよったらさっきまで怒ってた私バカみたいやん」
「俺はどんな紫苑も好きだから」
彼女の泪を指で拭き取り、そのまま顔を近づける。
しかし、右手で口元を抑えられて拒まれた。
神社のすぐ近くまで来ていたのだ。
「もうすぐ神様の前やし、バチ当たるよ」
恋人同士のキスはバチが当たるのか?と疑問に思ったが、彼女の機嫌が戻った様子だったのでそのまま行列に並んだ。
思ったよりも人は多くなかなか前に進まない。
夜風が身に沁みる。
左側を見ると彼女も寒そうだ。
念のため持ってきていたホッカイロを右ポケットから取り出す。
「ありがとう。でもこうした方があったかいけん、大丈夫」
そう言って彼女は俺の左ポケットの中にある指に自分の指をからめてきた。
指先から全身に体温が伝わってくる。
他愛ない話で盛り上がっていると、拝殿の前に着いた。
二礼二拍手し、願いごとをして一礼する。
(紫苑がずっと健康で笑顔でいられますように)
願いごとを心の中で言い終えて、彼女に質問する。
「紫苑は何をお願いしたの?」
「言ったら神様にお願いした意味ないやん」
笑いながら言われたがたしかにそうだ。気にはなるけど心の奥に閉まっておこう。
御神籤を引いた。
「末吉か」
「私は吉だった」
お互い微妙な運勢だった。
「けいくん、いま何時?」
石段の近くで彼女が慌てながら聞いてきた。
つないだままの左手を顔の近くまで持ってきて腕時計で時間を確認すると、年を越していた。
つないでいた手を離して向かい合う。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
お互いお辞儀をしてツーショットを撮った。
そろそろタイムリミットだ。
これ以上時間が経ったら彼女のご家族に申し訳ないので駅に向かった。
駅に着くといつも見ている音無親水公園が少し儚げに見えた。
「今日はありがとな」
「うん」
「送ってくよ」
「ここで大丈夫」
「危ないから近くまで送る」
「でも、お家から遠くなっちゃうよ」
気遣ってくれているのは嬉しいけれど、こんな夜中に彼女を1人で放置させるわけにはいかない。
過保護と言われたとしても当分会えなくなるからギリギリまで一緒にいたいと思った。
「いや、送ってく」
年末年始とはいえ都電は特別運行をしていないので地下鉄で帰ることにした。
飯田橋で乗り換え、東池袋で降りる。
いつもながら駅の周りは静かだった。
彼女の家が見えたところで足が止まった。
「送ってくれてありがとう。気をつけて帰るんよ」
「おう」
「お家着いたらちゃんと連絡してね」
「おう」
別れ際はいつも寂しいが、こういうときは彼女の方が大人だなといつも思う」
「じゃあそろそろ行くよ」
「うん、また」
お互い小さく手を振り、踵を返そうとする。
「……なぁ紫苑」
「ん?なに?」
我慢できずに抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、けいくん」
彼女は急なことで驚いた様子だったが、その反応が愛おしくてさらにギュッと抱きしめると、それに呼応するように抱きしめて返してくれた。
冷たい夜風に靡く長い髪が俺の理性を煽るかのように全身を刺激していく。
どうしても間近で顔が見たくなって、目深に被っていたキャスケットのつばを上げると、恥ずかしそうに、
「ダメ」
と言いながら目を逸らす。
半ば強引に唇を運ぶと優しく受け入れてくれた。
元旦のキスは甘い味がした。