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「最近仕事はどうなの?」
「そこそこ慣れてきたよ」

 柊は転勤後、食品メーカーの営業マンをやっているそうだ。それなりに忙しいが、福利厚生は手厚い会社で、職場の雰囲気も悪くないらしい。
 いいなぁ、と思う。
 私の方は転職したばかりだ。仕事がなかなか決まらなくて、知り合いに不動産屋の営業事務を紹介された。

 時期によっては残業がかなり多く、体力的にも精神的にもキツい。正直言って辞めたいけれど、紹介してくれた相手にも悪いし、なかなか踏ん切りがつかなかった。
 逃げ場も癒しもない生活。何もかもに疲れ切って歩いているいるところに、雨が降ってきた。

 傘なんて持ってない。ファストフード店なんかに入って時間を潰せばいいというのはわかっていた。大人なんだから、自分が損をしないように対処をしないといけない。
 でも今夜の私はとにかく疲れていたし、「私って可哀想だな」って気分に浸っていたかった。だから、雨に濡れたままとぼとぼ道を歩いていたのだ。

 ――詩織?

 そこへ、車で通りかかった柊が声をかけてきた。
 本当に久しぶりの再会で――別れてから、二年経つ――幻でも見てるんじゃないかと思った。

 ――うちに寄っていきなよ。風邪ひくよ。

 何でそんなこと、言うんだろう。
 私、知ってるんだよ。同じ大学だった子から聞いた。新しい彼女がいるって。

 このまま柊の部屋にあがらせてもらったら、私は悪い女になってしまう。
 浮気は嫌い。誰かの男を盗るような女は、大っ嫌い。

 けれど、私は柊の車に乗ってしまった。
 助手席に座って、運転する柊の横顔を見て、学生時代の頃を懐かしく思い出した。

 こうして部屋に招かれても、柊が甘い雰囲気を作る気配はない。私はソファーに腰かけて、柊はキッチンの近くの壁に寄りかかっている。
 私は少し、仕事の愚痴を聞いてもらった。柊は優しくそれを聞いてくれる。

 ――ありがとう、元気出た。もう大丈夫。

 そう言って、帰らなくちゃ。いつまでもここにいたらいけない。もう別れたんだから、柊の好意に甘えちゃいけない。
 柊はいつも優しくって、困っている人を見捨てられなくて。

 だからこれは。
 私のことが好きなわけじゃなくて。