【 11月7日火曜日 13時 side美琴 】
 お腹空いたな。やっとお弁当食べれる。呪文みたいに聞こえる古文の授業で寝かけたけど何とかなったし。
弁当を片手に奏ちゃんが席を立った。いつもどこで食べてるんだろう?
「奏ちゃん奏ちゃん。一緒にご飯食べてもいい?」
「お、いいぞ」
てっきり断られるかと思ったのに二つ返事で快諾してくれた。教室を出てズンズン進む、階段を下るのかなと思ったけど違った。立ち入り禁止の紙が貼られたホワイトボードを無視して階段を上っていく。屋上に続く扉には鍵がかかってるはずだけど……。どこからか奏ちゃんは鍵を出して、扉を開けた。
「よし、行くぞー美琴」
「えぇっ!?ここ?」
驚く私をよそに言葉を続ける。
「ここなら、誰にも邪魔されないだろ?」
「まぁ、そうだけど……良いの?」
「いいんじゃないか?見つかってないし」
「そっか、ならいいかな」
会話が途切れて沈黙が続く。奏ちゃんは黙々とご飯を食べている。……なんか話してみたいな。文化祭を一緒に巡って以来全然話せてないし。
「ねぇ、奏ちゃん」
「なんだ?」
「いつも休み時間とかに勉強してるけどさ、将来何になりたいなーとか決まってるの?」
「誰かを守る仕事に就きたいなって感じかな、今のところは」
「誰かを守る仕事かぁ……良いね、将来が決まってるのって」
「美琴は決まってるのか?」
「ううん、決まってないの。だから奏ちゃんみたいに夢があるだけ素敵だなぁって」
「……あのなぁ」
奏ちゃんが少し不満そうに言う。何か悪いことでも言ったかな?
「なぁに?」
「頼むから、そろそろ名前くらい呼び捨てにしてくれよ。その方が気が楽なんだ、こっちは」
呼び捨て……できるかなぁ。幼馴染だからこの呼び方なのに。
「えー、無理」
「時間かかってもいいからやってみてくれ」
「じゃあ、頑張る」
「頑張れよ」
なんてしてたら30分の予鈴が鳴った。次は……数学じゃん!寝ないようにしないとなぁ。ぐだる私を引きずるようにして奏ちゃんと一緒に教室に戻った。




 【 同日 15時45分 】
 部活が始まる時間になった。部室に向かう途中に、射撃部で活動する奏ちゃんを見た。ライフルを構えて、微動だにしない。と、その瞬間パァンという破裂音がした後に小さなガッツポーズが炸裂した。どうやら的に命中したらしい。やっぱり奏ちゃんはカッコイイなぁ。しばらくして私に気づいたのか傍に来た。
「や、美琴。部活行かないのか?」
「今から行くところだよー。てか、私の部室この上だし」
「あー、そうだったな。じゃ頑張れよ」
「うん、ありがとね」
部室に着くともう夕凪たちと先輩たちがいた。文化祭の合唱に惹かれて入ってきた新入生も加えて、私たちの合唱部デイブレイクハーモニーズ(ちょっと恥ずかしいけど)が再始動した。
 いつものように少しふざけながらも真剣に練習をして、ついに部活終了の時間になった。
少し重いリュックを背負ってバスを待っていると誰かが私を呼んだような気がした。振り返ると奏ちゃんがいた。
「お、美琴じゃん。今から帰るのか?」
「うん、そうだよ。奏ちゃんも今終わったの?」
「いや、私は最後まで残って練習してただけ」
「奏ちゃんって射撃上手だよね。見てて惚れ惚れしちゃう」
「ふふ、そう言って貰えて嬉しいよ。練習の甲斐がある」
プシューという音がしてバスが来た。バスの中は雨が降っていたこともあっていつもよりもぎゅうぎゅうだった。バスに揺られながらやっと私たち黎明高生が降りる終点の駅に着いた。
奏ちゃんとは方向が違うから最後まで一緒にいれないのが少し寂しい。明日も会えるって分かりきったことなのに……。もうそろそろで電車が来る。改札の前で手を振った。
「じゃあまたねぇ、奏ちゃん」
「あぁ、また明日な」
さっぱりした挨拶をして奏ちゃんはバス乗り場の方へと消えていった。電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえて、私は急いでホームに降りていった。
 【 11月10日金曜日 15時35分 side奏 】
 今日は部活がないから早く帰れる、そう考えただけで少しワクワクしてきた。別に部活が嫌なわけじゃなくて家族に会えるからだから。家庭は一般的には幸せとは言えないのだろうけど、私が幸せだからそれでいい。
 トイレに行ったら、個室の前でなぜか全身びしょ濡れで泣いている美琴がいた。……何があった?明らかな異常事態に慌てながらも平静を装って美琴を傷つけないように声を掛ける。
「……美琴?」
「!奏、ちゃん……?」
いつもの朗らかな態度はどこへやら、私を見る目は恐怖に怯える子どもそのものだった。
「とりあえずこれで体拭け」
大きめのタオルを渡す。本当は雨で濡れた自転車拭くために持ってきていたけど、今はそれどころじゃ無い。
「ありがとう……」
美琴は嫌なものを払い落とすように執拗に身体を拭いている。……?あれ、これって。ふと目に止まったのは鮮やかな赤い布。去年の誕生日に渡した赤いマフラーも一緒に濡れていた。ヒドイなぁ……大切な物って分かっててやったのか?
「誰がやった?嫌だったら話さなくていい」
「だ、だめ。話したことがバレたら……」
頑なに話そうとしなかったので聞くのは諦めた。ただ1つ、分かることがあるとすれば。美琴は、誰かからいじめられている。
……ははは、ふざけるなよ。誰かを傷つかせておいて逃げるなんて卑怯者のする事じゃねえか。犯人なんて見つけたら、そのときは絶対に……
「奏ちゃん、そんなに怖い顔しないでよ。私は大丈夫だから」
「こんなの見て大丈夫だなって言えないんだよ、私は……。……今は帰ろう」
「……うん、タオルありがとうね」
「あぁ」
手のひらが痛い、無意識に握りしめていたのか。昔からそうだ。私は感情がすぐに態度や顔に出るんだった。
「私ね、奏ちゃんには言ってなかったけどいじめられてたんだ」
「……うん」
「最初は無視とかされるだけだったんだけど、最近は物を隠されるようになって……」
「……」
「でも、今日みたいな事は初めてで……。だから怖くて……」
そこまで話してから美琴は泣き出した。泣き止むまでずっと手を握っていた。いじめる奴も許せないけど、それよりも弱い自分が許せなかった。
「話聞いてくれてありがとうね、なんか気持ちがスッキリしたよ」
「……あぁ、ならいいんだよ。それなら……」
重い話はもうやめーた!なんか話そう?と言って美琴はまるで何事も無かったかのように笑った。他愛のない話をしながら家に帰った。美琴は笑っていた方がかわいいなんて思いながら。美琴は図書館に用があるからと行ってしまった。でも、私はまだ知らなかったんだ。美琴は、いじめだけに耐えているわけでは無かったのだと。



 【 同日 18時半 美琴の家 】
 私が草花に詳しいのはここで本を読み漁っていたからなのかもしれない。図書館に入り浸って本を読むのが私にとって至高の時間だ。孤独を感じなくなるから、知識が増えればきっと両親(悪魔たち)から逃れる術が見つかるはずだから。でも時間というものは有限だ。あっという間に閉館の時間となってしまった。
はぁ、帰りたくない。なんで帰るのが嫌なのか?まぁ、家庭が荒れているのが一番の理由なんだろう。
 家には既に父さんがいた。部屋が酒臭い、また負けたのか。
「あ?美琴か。響子じゃないんだな、クソッ期待させやがって」
開口一番にこれか。父さんは私に何を期待しているの?私にお金をたかったところで、パチンカスにやるお金は無いのにね。父は賭け事、特にパチンコにハマっている人間の底辺。今は仕事でいない母さんは、他の男に身体を売っている。いわゆる娼婦ってやつ。私の親がろくでもない人間だから、私もそうなんだ、きっと。蛙の子は蛙って言うくらいだし。
「まぁいい、早く飯を作れ」
「わかった」
父はいつもそうだ。自分の思い通りにならないとすぐに怒り出す。だから私は、父には逆らわない。そうしないと殴られるから。でも、それは私のせいなの?私が悪い子から殴られるの?わからない……けどきっと私のせいだ。
「あ?なんだこれは!ふざけてんのか!」
「え?」
父は私が作った料理を食べた瞬間、激昂した。何がいけなかったんだろ?味は大丈夫だと思うんだけど……。
「なんで味噌汁がこの味付けなんだ。響子の作るのじゃなきゃ駄目だよ!」
「ご、ごめんなさい」
口を開く度に響子響子って馬鹿じゃないの。私は、母さんなんかじゃないのに。
「もういい、自分の作った不味いメシでも食ってろ」
「……分かった」
父さんは油でギトギトの髪もそのままに外に出かけていった。コンビニでも行くのかな?興味無いしいいや。
一人残された私は黙々とご飯を食べる。なんだ、不味く無いじゃん。私なんていない方が父さんは嬉しいんじゃないの?……あぁ、そっか。私なんかいても邪魔なだけか。なら、いなくなっても問題ない、よね?
 【 11月15日 昼休みの屋上 】
「ねぇ、奏ちゃん。その……これからちょっとヘンな事言うけど、だいじょぶかな?」
美琴が、少し頬を赤らめながらそう言う。……なんかいつもと様子が違うような?
「何だ?何も気にしないから、言ってみろ」
「……その、わ、私!奏ちゃんの事が、す、好きなの!!」
突然のその発言に、私は飲みかけたお茶で盛大にむせ込んだ。
「ゲホッゲホッ、は?私の事が、好き、だと?」
驚きと疑問で頭がいっぱいになったが、平然を装って答える。咳き込んだせいで、喉がジンワリと痛い。
「あ、そ、そうなんだけど……。奏ちゃん、大丈夫!?」
「あぁ、大丈夫。それで……何かの罰ゲームじゃなくて、お前は純粋に私のことが好きなのか?」
顔が真っ赤にした美琴がこくこくと首を縦に振る。
「そうか・・・」
まさかとは思っていたが、美琴が私のことを好きだったとは。まだ信じられない、しかし私で良かったんだろうか。普通の”愛”を知らない私が、君の傍にいてもいいんだろうか。
「奏ちゃんが嫌なら、今の事は忘れちゃって、いいから」
「い、嫌なわけないだろ。てか何も変じゃないし」
「え……?」
「好きなものを好きと言って何が悪いんだ、好きなものが周りと違うだけで思う気持ちは本物なんだろ?」
「……うん、本当だよ」
「ならいいんだ。……こんな私でいいなら」
そう言いながらも、顔が熱くなるのがよく分かった。薄々気づいていたんだ、美琴が私に対して普通の友達には向けないであろう気持ちがある事に。
「いつか美琴に話さないといけない大事なことがあるけれど、その時はちゃんと受け止めてくれるかい?」
「もちろんだよ、奏ちゃん」
あぁ、この時私はどんな顔をしていたのだろう。嬉しくて泣きそうになっていた?それとも不安そうな顔をしていた? いや、今はどうでもいい。
私はそっと美琴を抱き寄せた。長い髪からふわりといい匂いがした。
「わ、奏ちゃん・・・?」
「私はもう1人じゃないんだな。私のことを好きと言ってくれる人がいる。こんな幸せを感じられるなんて思っていなかった」
「……私も受け入れてもらえるなんて思ってなかったよ。ありがとう奏ちゃん、ありがとう……!」
不器用な私でもいいのかい?君はずっと私のそばにいてくれるかい?美琴にとっての私もそうだといいなと思うけれど……。いつか君にはバレる時が来るんだろう、私もまた君のように"普通"では無いんだよ。
 【 11月19日日曜日 11時 】
 駅に着いた頃にはもう奏ちゃんが時計台の下で待っていた。今日は待ちに待った日。予定は全部自分で組んだんだ、あれこれ楽しみにしながら。
「おはよ!奏ちゃん」
「よっ美琴、お前にしては遅かったじゃないか」
「えぇー、奏ちゃんが早すぎるだけだよ」
「じゃ、そろそろ電車来るし行くか」
「そーだね」
こうして二人切りで会うのは、修学旅行の時くらいかも。ホームで電車を待ってる間に奏ちゃんが話しかけてきた。
「そういえば今日観に行く映画ってどんなの?」
「えーっとねぇ、『ワスレナグサの咲く頃に』ってのみたい」
「……どんな内容なんだろうな」
「うん、楽しみだね!」
電車が到着したアナウンスがして、私たちは電車に乗り込んだ。
 目的の駅で降りた後、軽く昼ごはんを済ませてから映画館まで歩いた。
「奏ちゃんは映画観る方?」
「うーん、あんまり見ないかも。父さんに連れられて弟と一緒にアニメ映画を観たっきりかな?覚えてるのは」
「そうなんだー。私は1人でよく行ってる」
「1人で、なのか?」
「うん、1人で。私お母さん達とそんなに仲が良くないから」
「そうなのか……」
話してから、やってしまったと軽く後悔した。奏ちゃんは何かを察したのか少し声のトーンが落ちた。
「でもね、一人で見るのも楽しいんだ」
「……二人ならもっと楽しいんじゃないのかい?」
「そっか……そうだね!」
そんな会話をしているうちに映画館に着いた。映画の予告ポスターには、あの春を忘れないと書かれていた。
「あ、もう時間だ!早くチケット買わなきゃ!」
「え?もうそんな時間なのか?」
「うん!ほら、行くよ!」
私は奏ちゃんの手を引っ張って、チケット売り場に急いだ。チケットを買ったあと私は映画が始まるまでまだ少しあるからと、売店でポップコーンとジュースを買ってきた。奏ちゃんの右隣の席に着いた。ポップコーンセットを席に取り付ける。
「おまたせ〜」
「お、ポップコーン買ってきたのか」
「うん!奏ちゃんも食べる?」
「じゃあ、お言葉に甘えて。お、そろそろ始まるみたいだな」
映画が始まった。映画は、親に虐待を受け心に傷を負った女の子と、ある新興宗教が起こした事件で母親を亡くした男の子が出会って互いの過去を知りながらも惹かれていく……といった内容だった。二人の過去へと繋がる構成がとても素敵だった。
けど、女の子の過去が私が経験したことにとてもよく似ていた。嫌な思い出の数々がフラッシュバックした。胸に込み上げてくる酸っぱいモノを我慢する。自然とポップコーンを食べる手が止まった。
映画の場面は変わって男の子の過去が描かれていた。チラリと奏ちゃんを見ると、いつもの気怠げな感じはどこに行ったのか何かを堪えるような顔をしていた。その瞳の奥に少しの憎しみを感じたような気がした。……奏ちゃんも、やっぱり辛いのかな。
映画は、女の子が男の子に勿忘草を渡した後どこかの窓の傍に飾られたその花のカットで幕を閉じた。いつもより長く感じた映画が終わった。


 【 同日 15時10分 喫茶店 】
 奏ちゃんの意見で気分転換にと喫茶店に行くことにした。私は砂糖多めのカフェラテ、奏ちゃんはストレートのブラックコーヒーを頼んだ。甘いはずのラテが少しだけ苦く感じた。見終わってから終始黙ったままの私を心配してなのか、奏ちゃんが声を掛けてくれた。
「大丈夫か?美琴」
低めの声が心を落ち着かせる。心なしか吐き気も無くなった。よしっ、大丈夫。
「うん、大丈夫だよ」
「……ならいいんだよ」
「映画の感想言ってもいいー?長くなるけど」
「いいぞ、私聞いてるだけになるかもだけどな」
「えっーとね、話したいのは2つ。1つはタイトル詐欺ってこと、も1つが2人の過去が辛すぎることかな」
「うんうん、どんなところがだい?」
「タイトルがさぁ、『ワスレナグサの咲く頃に』じゃない?あれは多分、勿忘草の花言葉の『私を忘れないで』の意味を込めてると思うんだ」
「そうなんだな、……花言葉かぁ。全然考えてなかったよ」
「そうなの花言葉。あれがキーになってるのは分かってたんだけど、まさかあんな形で描かれるとは思わなかったよ」
「1つ目はそんな感じかい?」
「ううん、まだちょっとだけ。タイトル詐欺だーって思ったのは、二人の恋愛を描いたのだとワクワクしてたら、あったのはただの二人の復讐劇じゃない!あれを恋愛ものって謳うのは筋が違うんじゃないのかなって思ったよ」
「まぁ、確かに。それに、あの殺り方は規制かかっててもおかしくないグロさだよな」
「うんうん、見てて吐きそうになったし」
「1つ目はそんな感じかい?」
「そ、終わり。でね、もう1つが…………」
映画の感想を語る内に熱々だったラテも冷めてしまった。何となく見たスマホの時計は15時30分を指していた。ってもうこんな時間じゃん……!私は冷めきったラテを流し込み、席を立った。そろそろ行こっかと声を掛けて、私たちはお店を出た。
 【 11月19日日曜日 16時 映画館近くのゲームセンター 】
 やろうとせがんで一回だけならと奏ちゃんは、流れてくる音符を叩くリズムゲームを一緒にやってくれた。
「奏ちゃん!次は絶対負けないからね」
「フフ、勝てると良いね」
次は次はと言いながらもう五回くらい遊んでいる。……お金足りるかな?何をやっても奏ちゃんは私より上手で悔しい。運動神経抜群でゲームでも負けて……ああ、もどかしい。もやもやした気持ちを察されたのか、奏ちゃんはトイレに行ってくると言ってしまった。
 私1人、何しよう?そうだ、クレーンゲームでかわいいのがあったから取ってみよう。お金がまた溶けるかもだけど。奏ちゃんにクレーンゲームのコーナーで遊んでるとだけチャットで伝えておいた。すぐに既読がついた。


よし、掴めたと思ったけど落ちたー!やっぱりぬいぐるみは難しいなぁ。あとちょっとでいけそうなんだけど。奏ちゃんまだかな?
「お嬢さん、ちょっといいですかね?」
「はい、なんですか?」
私が熱中している間にいつの間にか居た厳つい見た目の男の人に声を掛けられた。スタッフの人かな?でも、私の見解は見事に外れる。
「君かわいいね、モデルとか興味ない?」
「え?えっと……?」
「こういうスカウトとかさ。どう?」
名刺を渡され見てみる。どれどれと、よく分からない……。って、これはもしや良くない状況?
「あ、あの……その……」
私があたふたと慌てていると、落ち着いたそれでいてドスの効いた低い声が耳に飛び込んできた。
「……おい、アンタ。一人の女の子に何してやがる」
男の人では無い。誰なの?その人は、男の人に隠れて姿も顔も分からない。
「コイツは()の彼女だ。手を出すんじゃねぇ」
「連れがいたのか、クソッタレ。分かったよ、消えればいいんだろ消えれば」
負け惜しみにも聞こえる言葉を残して男の人は足早に去っていった。
男の人の影に隠れて見えなかった人の正体は、奏ちゃんだった。
「……私が目を離したのが悪かった。大丈夫だったか?」
「奏ちゃん……!ありがと、うん。もう大丈夫だよ」
「そうか、良かった」
奏ちゃんは私の頭をそっと撫でてくれて、心配してくれてるのが伝わってきて嬉しかった。それに私が彼女だって言われたことも……。
「奏ちゃんって、やっぱりかっこいい」
「え?私がか?」
「うん。怖い人に立ち向かう姿がかっこいいなぁって」
「……っ、お前にそんな風に言われるとちょっと照れるな……」
気まずい沈黙が流れる。よし、話題を変えよう。
「ねぇねぇ!プリクラある!せっかくだし一緒に撮ろうよ」
「お、おい。いきなり引っ張るな……分かったから」
私の駆け足で奏ちゃんを困らせてしまったかもしれない。けど助けてくれて嬉しかったのは本当だ。
私は奏ちゃんの手をぎゅっと握りしめてプリクラのブースまで引っ張っていった。
「2人で撮るから寄らないとだねー」
「うぅん、こういうのはやり方が分からないな……」
「じゃあ奏ちゃん、ポーズとろう」
「どういったやつなんだ?」
「えぇっとね、手でハートを作るんだよ」
奏ちゃんはプリクラが初めてっぽい。いつもは落ち着いていてクールな奏ちゃんが戸惑ってる姿が意外で可愛い。
「よし、これで後は待つだけだね」
「……なんか色々と凝ってるんだな」
「ね、すごいよね。……あ!全部終わったみたい」
「どんなふうになったんだろ?」
「見てみよう……わぁ!」
1枚には『二人はずっと一緒』と書かれていた。私が落書きした方だ。ずっと一緒に居られたらいいって約束の思いを込めて。
「これは……ちょっと恥ずかしいかも……」
「別にいいんじゃないか?美琴らしくて私は好きかな」
「そうかな……?奏ちゃんがそう言うなら良いけど」
もう1枚は、私と奏ちゃんの名前とLoveのスタンプが書かれたシンプルなものだった。
「こっちが、私のか。もう少し可愛くしても良かったのかな……」
「シンプルなのも私は好きだよ、私こういうのだと盛り過ぎちゃうからもっと簡潔にしたいな」
「盛れるのも1つの技なんじゃないかな?いいと思うよ、私にない所を美琴は持ってるんだから」
奏ちゃんはいつもそうだ。マイナスなことを言ってもすぐにポジティブな言葉に言い換えてくれる。裏を返した褒め言葉が、私の心を温かくする。
「ありがとうね」
奏ちゃんはたまに口調が変わる。今みたいな名前呼びだったり、さっきみたいな荒っぽい感じだったり。いつもと違うかっこいい一面を見れてすごく嬉しいな。
私たちはプリントされた写真を半分に切ってそれぞれの手帳に挟んだ。一段と大切な宝物になった気がする。一緒にいられて嬉しいし楽しいけれどもう帰る時間だ。
「美琴、そろそろ帰ろうか」
「……そっか、もうこんな時間なんだね」
「すごく楽しかったな、今日は。機会があったら……またどこかへ遊びに行きたいな」
「!じゃあさ……大学受験が終わった春か夏に、ここで一番有名な庭園に行かない?」
「お、良いじゃないか。美琴は花が大好きだもんな、終わった頃に行ってみようか」
「やったぁ!」
大丈夫、私たちの時間はまだまだこれからなんだ。
 【 11月20日月曜日 放課後の教室 side奏 】
  思わぬ時にバレるとは思いもしなかった。美琴と帰ろうとして、それで。美琴が掴んだ私のシャツの袖がめくれて、手首の傷跡が見えたんだった。
「え?」
美琴はすっかり固まっている。好きな人にこんな傷跡があるんだ、理解が追いつかないのも当然だな。
「奏ちゃん!これ、どうして……」
「……何も知らなくていいんだよ、美琴は」
「駄目だよ、こんなの!!わけを教えて、なんでこうなったかをちゃんと。私も知りたいの、奏ちゃんのこと」
どこか必死な様子が変に感じる。こんなに焦った様子は見たことが無い。
腕に残る傷跡の数々がこれまでの私を物語っている。……もう話すべき時が来たのか。できれば隠しておきたかったんだけどな。
「なんで、隠してたの?」
「……言いたくなかった」
「なんでなの?」
「……美琴を心配させると思っていたから」
「…………馬鹿」
泣き出しそうなのを堪えている美琴は、らしくないことを言った。馬鹿か、確かにそうだな。私は変わらない過去をずっと悔いている。
「じゃあ、話してもいいかい?」
「……何をよ」
「私がこうなってる訳、いや過去と言った方がしっくりくるか」
「それって辛い話?」
「まぁまぁ。人によるかもな」
「なら、大丈夫だと思う」
「そうか、じゃあ話させてもらうよ」
たぶん私は美琴に自分をもっと知ってほしいと無意識に感じているのかもしれない。きっとそうなのだろう。


「それじゃ、話そうか。聞いてくれるだけで構わないよ」
 奏ちゃんはため息をついてから私にひとつ質問をする。
「美琴。『慈愛の光』っていう宗教団体を知っているか?」
「知ってるよ、確か結構な社会問題になったよね」
「あぁ、そうだ」
名前を聞いてわかった。数年前に『慈愛の光』は爆破テロを起こした。それがニュースで大々的に報じられていたのを今でも鮮明に覚えている。……もしかして奏ちゃんは?
「ねぇ、奏ちゃんは……」
「私はあんなの信じてないから心配しないでいい」
「そうなんだね」
杞憂だった。あれ、でも。この話をしたってことは、奏ちゃんは違っても誰かがそうだったのかな。
「でもさ、なんでこんなことを聞いたの?」
「本題から逸れるところだったな、単刀直入に言おう。私が片親なのはな、母さんがそれを信じていたからだ」
奏ちゃんは、私の目をしっかりと見てから言った。衝撃が少し遅れてやってくる。
「少し休憩するかい?」
「ううん、大丈夫」
私はその話を黙って聞くことしか出来なかった。
「じゃあ、続きを話そう。繰り返しになるが母さんが信じきっていたのは『慈愛の光』というモノだ。私が小さいころによく『慈愛の光』の話を聞かされた、教祖様を信仰するだけで幸せになれるってな。いつからかは覚えていないが、母さんはその考えに固執し始めた」
「えっ、それってどうして?」
少し考え込んでから奏ちゃんは答えた。
「これはあくまで、父さんから聞いた話だけれども。母さんが固執し始めたのは生まれるはずだった私の妹が死産になったかららしい」
「もしかしてそれが……」
「あぁ、そうだ。母さんはそこからおかしくなった」
奏ちゃんはどこか辛そうに笑った。
「そこから私は、母さんから『慈愛の光』という存在を嫌という程教えこまれて育ってきたんだ」
奏ちゃんが軽く言う。
「それをよく思わなかったのが、うちの父さんだ。一度父さんは母さんに猛反発した。それでも母さんが引き下がらなかったから父さんは、私と楽を連れて別れたんだ」
そこで奏ちゃんは一息つくと、持ってきていた水筒の水を飲む。
「聞いてくれてありがとな」
「どいたしまして」
「あと一つだけ聞いてほしいんだけど、大丈夫かな?」
「全然平気だよ」
なんというか、私の家庭環境とは比べられないような違うベクトルの辛さがある。
「それならよかった、あとこの話を他の奴らには話さないでくれよ」
「うん、もちろんだよ」
奏ちゃんは私の返事に安心したようだった。


「じゃあ、もう一つだけ話させてもらおう。腕の傷跡の事だな」
「さっき私が見たものだよね?」
「……そうだな。本当に隠していて悪かった」
奏ちゃんは腕を見せた。さっき見たものと同じ傷跡が残っている。
「何があってそうなったの?」
奏ちゃんは少し口ごもる。言いたくないような内容なのかな?話したくないような事なんだろう、でも私がいるじゃない。
「大丈夫、どんな事があっても私は奏ちゃんの味方だよ。ゆっくりでいいから話してね」
「……この傷はな、自分でつけたんだ」
「え?」
予想外の返答に私は面食らう。傷をつける事に意味があるのかな?
「どうしてそんな事をしたの?」
「精神を病んでたからだ。一時なんにも考えられなくなって死のうとしたんだ」
「そうだったの……」
「ただ弟に病院行け!って言われて精神科に連れていかれたら鬱病と統失を患っていますねと医師に告げられた」
「統失?」
「統合失調症のことだ。まぁ簡単に言えば不眠症、幻覚、妄想等が引き起こされる病気のことだな。私は特に妄想が酷い」
奏ちゃんは自分の事を話そうとしている。でも私は止めるべきなのかな?これ以上無理に話す必要はないのかもしれない。だけど奏ちゃんは自分から話すと言ってくれたんだ。私に止める権利なんてない。
「それで、その病気は治ったの?」
「何とか。統失も鬱も薬で抑えられるくらいになった」
「そうなんだね」
私は精神を病んだことがないから想像がつかない。ただ辛く苦しいという事だけは分かる……かも。
「……苦しかったんだね」
それしか言えない自分が情けなく惨めに感じる。
「あぁ、辛かったし死ぬ事しか考えられなかったよ。でも今は大丈夫だ、楽や美琴がいるからな」
サラッと私の名前を出してくれた。そっか、私は奏ちゃんにとっての大切な存在なんだ。良かった……!
私は奏ちゃんの秘密を知ってしまったけど、嫌う気になれない。寧ろ前よりもっと好きになった気がする。もちろんこの秘密は自分だけの物にするんだ。
 そうして今日、私は奏ちゃんの過去を知った。私なんか比べ物にならないくらいに悲しくて辛いものだった。
「……長々と話して悪かったな。これで全部だ、最後のは要らなかったかもな」
奏ちゃんは自嘲するように笑った。
確かに、奏ちゃんは精神を病んでいた。今までもそういう一面はあったけど今回ので知れて良かったと軽く思った。あぁ違う違うそうじゃないの、奏ちゃんは一つだけ忘れていることがあるじゃん。
「奏ちゃん。奏ちゃんはどうして一人で抱え込もうとするの?」
「それ……は」
言葉に詰まる奏ちゃんに優しく伝える。かつての私に声をかけてくれた時ように、私の心を救ってくれた言葉を。
「言ってくれたじゃない?『私たちは友達なんだ。ひとりで抱え込んむんじゃない』って。私はそれで救われたんだよ……!」
「こんな事は話したところでどうにもならないんだよ」「なんでそんな事言うの?」
「話したところで過去は変えられない」
確かに、奏ちゃんの言う通りだった。きっとこの傷も愛されなかったことも、その事によってできた心の傷も。全部を話しても、それはただの自己満足にしかならないのかもしれない。でもさと私は言う。
「過去は変えられなくてもこれからの未来は変えられるじゃん?だからこれからを楽しく生きればいいんじゃない、私も似たような境遇でここまで生きてきたから」
「……そう、だな。変えられない過去に縋っても何も無いか」
「それとあと1つ、私は奏ちゃんの味方だから」
少しキョトンとした顔をしてから、奏ちゃんは笑った。
「はは、そんな事言われたの初めてだ。美琴だけだよ、私をこんな風に言ってくれんのは」
「え?そうなの?」
私でも力になれたのかな?こんなちっぽけな私でも奏ちゃんの力になれてたらいい……な。
 【 11月21日 16時30分 神代宅 side楽 】
 「ただいまー、お姉ちゃん。あれ?お姉ちゃん?」
帰ったらいつもおかえりと返してくれるお姉ちゃんの声がしない、なんか変な匂いもするし。なんか変だな?部屋を見てもいないしベランダにもいない。洗面台の近くに短い髪の毛が落ちていた。姉ちゃんのだ。そこに行くと、突っ伏してぐったりとした姉ちゃんの姿があった。近くには血で赤くなったカミソリが無造作に置かれていた。
「うわぁっ!お姉ちゃん!?」
急いで駆け寄ると、まだ微かに息があった。姉ちゃんは救急車で病院に運ばれていった。……また、なんだね。僕には、姉ちゃんの気持ちなんて分かったことは一度もない。何に苦しんでいるの?何が辛いの?どうして、僕に何も教えてくれないの?僕は姉ちゃんの弟なのに……。


 【 同日 17時 暁第一病院 side奏 】
 ここはどこだ……?薄らとする薬品の匂いから多分病院なのだろう。ズキリと痛んだ手首に目をやると、何重にも包帯が巻かれていた。……助かったのか?何で生かすんだよ、生きてても何の意味の無い私を。
ぼんやりとした輪郭がはっきりと形を作った。(がく)だった。
「……!姉ちゃん!!」
「うわ、楽……」
「生きてる……!姉ちゃんが生きてる!」
これまで見てきたことが無いくらいに楽はボロボロと泣いていた。そうだった、私は。いつものように死のうとしていたんだ。この生まれなかった方がまだマシな辛い現実にもういたくなかったから。空っぽに生きるくらいならあの日に死んだほうが良かったのに。……美琴のことに何も気づけなかった私なんか。
「あ、そうだ。姉ちゃんこれ、見てよ」
楽が持ってきていたらしいバックから私のスマホを取り出す。ピカピカと通知を知らせるランプが光っていた。
「ん?なんだ……って、美琴から?」
私のスマホには、おそらく事情を何も知らないであろう美琴からたくさんの通知が来ていた。
『奏ちゃん、今どこにいるの?』
『生きてる?』
『大丈夫?これ見たら返信して』
そんなメッセージが何件も来ていた。
「姉ちゃん、返信してあげた方がいいよ。心配しているだろうし」
「……分かった」
『生きてる。今病院』
それだけ打って送信した。するとすぐに既読がついて、返事が来る。
『良かった!今から行くね』
「美琴ちゃん来るって?」
「あぁ」
それから少しして、息を切らした美琴が病室に駆け込んできた。包帯を巻かれた私の姿を見た途端、美琴はその場に崩れ落ちた。
「……っよかったぁ……」
「ごめん美琴……心配かけて」
「ううん、いいの。生きてて本当に良かった……!」
顔を上げた美琴の目には涙が溜まっていた。私が死んだら悲しむ人なんていないと思ってたのに。美琴のその姿を見て涙腺が緩むのを感じた。
あぁ、やっと。やっと分かったよ……、私が生きている意味。美琴と出会って幸せに生きる為に、私は生きているんだ。