朝、目が覚めると部屋に先輩の姿はなかった。
 まだ七時前だったけど、荷物も無くなっているし既に職場に向かったのかもしれない。
 ゆっくりと体を起こしてみると、見慣れた部屋がやけに殺風景に感じた。

「あれだけ堂々と宣言しといて、情けないなあ……」

 そっと唇に触れると、数時間前の記憶が鮮明に蘇る。好きなだけ利用しろと言っておいて、胸の中の温もりが失われていることに心がガリガリと削り取られるような痛みを感じている。
 無理やりにでも動かないと、そのまま悲しみの中に沈みこんでしまいそうだった。
 気怠く重い足を動かしてキッチンに向かうと、ラップのされたマグカップが置いてあった。注がれているのは一杯のコーヒー。マグカップの下には一枚のメモ用紙がはさまれていた。

『珈琲の花言葉は“一緒に休みましょう”』

 お世辞にも綺麗とはいえないけど、丁寧な筆跡でそう書かれていた。
 メモを持つ手が震える。休むのが苦手で、不器用で、研究バカで。そんな先輩が誰よりも愛おしくて、だから傍にいることを諦めた。先輩に対する僕の思いは、いつか黒く澄んだ一滴のミルクのように全体を濁らせてしまいそうだから。

「一番休むの苦手な人が、いっちょ前に何言ってるんですか……」

 それでも、一緒に休もうと言ってくれるなら。

――先輩の淹れた珈琲は苦みが濃くて、いつまでも消えない温もりが残っていた。