平凡な毎日。
 毎朝同じ電車に乗り登校する。
 僕には友だちと呼べるような人なんていない。電車の中でも学校でも、すみっこに一人ぽつんと座ってるようなやつだ。
 あ、次、降りないと。
 人にのまれる前に、ドアの近くに立っておこうと思い、すっと体を伸ばした。
「あ、あの!」
「え?」
「春流高校の方ですよねっ!?私、転校生なんですけど、次の駅で降りるんですか?」
 色白な肌に、赤く染まった頬。薄いピンク色の、小さく震えている口からでてきた声は鈴のようにきれいだった。パッチリとした目や、スっとした鼻筋をみるに、彼女は美少女と呼ばれるような人間なのだろう。
「は、春流高校に行くなら、次の駅で降ります……」
「わあっ!よかった、ありがとうございます!えと、実は私、寝坊しちゃって!同じ制服の人が降りるタイミングで降りようと思ってたら全然いなくて焦ってて!」
 まあ、この時間の電車にのると、遅刻ギリギリになってしまうから、ほとんどの生徒はこれよりも前の電車に乗っているだろう。
「は、はあ……、そう、ですか……?」
 前にも言ったように、僕には友だちがいない。こんなかわいい女の子と話す機会なんてほとんどなかったんだ。気の利いたことなんて、言えるはずがなかった。
「はいっ!だから、勇気だして声かけてよかったです。同じ学校だし、自己紹介しませんか?」
「あ、はい。大丈夫です」
 もう終わったと思っていた会話が続けられ、少し声が上擦ってしまった。恥ずかしい。
「私、百瀬一桜って言います!高一です」
 高一で転校?めずらしいな。転勤族と言うやつなのだろうか。
「あなたは?」
「えっと、僕は、雨野冬李です。高校二年生」
「じゃあ十七歳!?同い歳なんだね」
「え、は?」
 いやいやいや、高一だろ?絶対歳下だろ、アホなのか?
 驚いた顔で彼女を見ると、彼女は青ざめた顔をしていた。
「……あー、実は私、いろいろあって去年高校行けてないんだよね」
 いろいろ……?
「これ、他の人には内緒にしてね。留年してるだなんて知られたら距離置かれちゃうかもしれないから」
 「私と冬李くんの秘密だよ」と微笑む彼女はかわいかった。
「はい、わかりま……」
「あーーー!」
「うおっ」
 彼女が急に叫びだすもんだから、思わず声がでてしまった。
 いくら人が少ないからといって大声だすなよ、迷惑だろ。
「冬李くん、私と同い歳……、いや先輩でしょ!タメでいこ!」
 うわあ、めんどくさいな……。
「う、うん?」
「ちなみに私のことは一桜って呼んでね。一桜さんじゃなくって一桜だからね!」
 いや要求多いな。ほんとに初対面か?めんどくさい彼女を持った気分だ。
「わかったから、少し静かにして」
「あ、ごめん。つい……」
「うん。それじゃあ僕、先に行くから。さよなら」
「え、一緒に行かないの?あ、もしかして誰かと待ち合わせとかしてた?」
「いや、別に」
 そんな相手いないし……。
「ならいいじゃん!一緒に行こ?」
 「ねっ?」と少し圧のようなものをかけられた僕は、断ることなんてできなかった。

 誰かと一緒に登校するなんていつぶりだろう。小学校での集団登校ぶりだろうか。
 何を話したらいいのかわからず、なんとなくそわそわしてしまう。
「冬李くんってやさしいよね」
「え?」
 まんまるとした目はまっすぐ、僕の目を見据えていた。
「私のわがまま聞いてくれるし、私が去年……、何あったのか聞いてこないし」
「あ、あー。うん」
「まあ冬李くんの場合、ただ単に私に興味無いから聞かなかっただけかもだけど。どんな理由であれ、うれしかったんだ!」
 やさしくて、うれしい。
 そういえば昔、似たようなことを誰かに言われたような気がする。


 僕は小学四年生の頃、遥という友だちがいた。
 遥は同じクラスの七乃結衣という人が好きだった。
 そのため、僕は彼からどうやったら彼女に好きになってもらえるかなどの相談を受けていた。
 僕は彼女と一、二回しか話したことはないのに、遥が彼女のことをペラペラと話すから、彼女のことはよく知っていた。
 気の強くて少し怖いところもあるけど、意外と強がりで、あと怖がりらしい。よく笑うところとか、全部がかわいく見えて、遥はだんだんと惹かれていったらしい。

 ある日の放課後、僕は七乃さんに呼び出されていた。
 ……なんの用だろう。
 四時に校舎裏に来てほしいと書いてある手紙をもらったから来たのに、彼女の姿は一向に見えなかった。
 七乃さんの悪戯だったのだろうか、そんなことを考えていたら、彼女が申し訳なさそうに歩いてきた。
「えっと……、待たせちゃったよね。ごめん、友だちにちょっと捕まってて」
 彼女の髪を見て、どういうことか納得する。
 彼女の髪は、いつになく煌びやかだったのだ。きっと、友だちにやってもらったのだろう。
「それで七乃さん。僕になにか用事?」
「え、えと……。えへ、あのね……」
 顔が赤いのを隠すためか、彼女は俯いていた。
「あ、あたしは冬李くんのことが好きです!だ、だから、あたしと付き合ってほしいの」
 七乃さんが僕のことを好き?
 ……なんで、僕?
 彼女の僕の間には特にこれといった思い出なんてなかった。それに彼女は僕のクラス以外にも仲のいい男子がたくさんいるし、まさか僕を好きになるなんて思いもしなかった。
「な、なんで僕を好きになったの?」
「え!?えー、だって冬李くん前にあたしのハンカチ拾ってくれたでしょ?あれお気に入りだったし、うれしかったの!あとあと、クラスのアホたちと違って落ち着いてるし、かっこいいから!」
 やさしくて、かっこいい?
 それなら遥の方がそうだろう。落ち着いてはいないけれど……、遥は僕が困っていたら必ずと言っていいほど助けてくれる。それに顔も整っていて男の僕でもかっこいいと思うほどだ。
 遥は彼女のことが好きだし、彼女が遥のことを好きになればお互い好き同士でハッピーエンドだろう。
「僕じゃなくても、かっこよくてやさしい人はたくさんいるよ。例えば、遥とか……」
「……ぅぁっ、うわあぁぁあぁあぁあぁああん」
 僕が言い終わる前に、彼女は泣き出してしまった。
 嗚咽を漏らしながら、大声で泣いている。
 なんで、彼女は泣いてるんだろう。
「ね、ねえ、大丈夫?」
 彼女の方に触れようとしたら振り払われてしまった。
「勝手に触んないでよ!気持ち悪い!勇気出して、好きって言ったのに!最低!」
 彼女は走ってどこかへ行ってしまった。
 さっきまで好きと言っていた相手に、気持ち悪いって……。やっぱり女の子は難しい。僕とは相性が悪い生き物なのかもしれない。
 なんてことを考えながら僕は家に帰った。

 次の日、僕が教室に入ると、一瞬だけ時間が止まったような気がした。
 教室に入るとみんな三秒だけ僕の方を見て、その後は何も無かったかのように過ごす。
 いつもなら、みんな挨拶してくれるのに……。
 僕、何かしたっけ。
 そうだ、遥に聞いてみよう。遥はクラスのムードメーカーでみんなと仲が良く、噂話には目がないような奴だからきっと何か知っているだろう。
「遥、おはよ……」
 僕が言い終わる前に、遥は僕の横を通り過ぎていった。まるで、僕なんて見えないかのように。
 遥まで、どうして……?
 僕がぐるぐる考えてるうちに、七乃さんが登校してきた。
 七乃さんが教室に入ってくると、静かだった教室の空気が一変した。
 みんな、七乃さんの元に駆け寄っていった。
「昨日は大丈夫だった?」
「あんな奴気にしないで!」
 みんな彼女を慰めている。
 昨日……?
 ああ、僕が昨日、彼女を泣かせてしまったからこうなったのか。
 僕は昨日、どうするべきだったんだ?
 遥を裏切って、七乃さんと付き合えばよかったのだろうか。
 僕はただ、遥かに幸せになって欲しかっただけなのに。
 それから僕は、人からの視線が怖くなって前髪を伸ばした。
 自分が相手を守りたくても相手が自分を守ってくれるとは限らない。
 ……今回の事件で僕が学んだことだった。


 ああ、思い出してしまった。
 昔、必死に忘れたというのに、昔の努力が無駄になってしまったじゃないか。
 やっぱり無理言ってでも一人で登校するべきだったのだろうか。
 好きな音楽を聴きながら登校できなかったし、嫌なこと、思い出しちゃったし……。
「冬李くん?なんだか顔色悪いよ?体調、良くないの……?」
「え……、ああ、大丈夫。ちょっと考え事してただけ」
「それなら、いいんだけど……」
 口ではそう言ってるが、本当は納得していないんだろう。僕を見つめる一桜の目には心配が残っていた。
「冬李くん、今から私の一歩前にいて」
「え、なんで?」
 もしかして、僕の横を歩きたくないのだろうか。
「なんでって、冬李くんが倒れそうになった時支えるために決まってるでしょ?」
 決まってるって……。
「大丈夫だよ、そんな簡単に人は倒れたりしないって」
「そんなのわかんないよ!」
 一桜は怒ってるような、いや、子供が泣き出す直前のような表情をしていた。
 僕は何も言えずに、ただ呆然と立っていることしか出来なかった。

はあ、なんだったんだ?彼女……。
学校が終わって、家に帰ったら真っ先にベッドに飛び込んだ。
学校ではほとんど人と話さないとはいえ、さすがに多少は疲れて帰ってくる。
でも、今日はいつも以上に疲れていた。
同じ学校の人と、あんなにたくさん話したのはいつぶりだろう。そもそも、あの事件からまともに人と話してない気がする。彼女も僕の根暗さに嫌気がさしてもう話しかけて来ることは無いだろう。

……そう思っていた。