「よ……良人……」
「傷自体は大した事はない! すぐに治してやる!」
わ、わっちの……わっちのせいだ!
わっちは二人を守るためにいてるのに……シチ見て逆上、二人そっちのけで攻撃しちゃ――
あれ? そうだっけ?
あ、違うか。若い娘だからって不用意にいきなり近付いてった賢哲さんが悪いんじゃないかなぁ――なんてぼんやり考えてたら――
「兎どの! 少しの間その者を頼みます!」
――良庵せんせの声にビクッとしちゃったよ。
バカみたいな事考えてる場合じゃないね、任せといて!
兎の姿のままで人のような姿に変化します。背丈は小さめ、子供の大きさだけどきちんと二足歩行。
わっちが睨む前方、シチの奴は余裕の素振りで佇んでる。
「ワタシの左目……やられちゃった。でもね、怒ったりなんてしないわ」
わっちが抉った左目を片手で押さえるシチだったけど、痛そうにするどころか微笑んでそんなこと言ってる。はっきり言ってちょっとキショい。
対して後ろはばたばたと、袂から新たに取り出した呪符をせんせが賢哲さんの胸に押し当ててるんだけど、賢哲さんがびくんびくんと体を跳ねさせるもんだから上手くいかない様子。
賢哲さん……妖魔になっちゃうのかな……
なっちゃうんだろうな……
でも平気!
良庵せんせが呪符使ってど突けば治るんだから! 昨日のオイナリおじさんの時みたいに!
「うふふふふふ。もうお止しなさいな。その禿頭の男前、たとえ傷が治ったところで妖魔になるのは――」
「賢哲! 傷は癒えたぞ! しっかりしろ!」
いやらしく喋るシチを遮るように良庵せんせの檄が飛びます。けれど気にせず喋り続けるシチ。
「――妖魔になるのは止められないわ。その針はヨル様特製。人の悪意を戟へと変えて人を妖魔足らしめる、ヨル様の特別な呪が籠められてるんだもの」
妖魔になったって平気だもーん!
こっちにゃ良庵せんせの巫と呪符があるもーん!
シチのばーかばーか!
なんてわっちは安易に考えてたんだけど、ちょっと思ってたのとは違う展開になったんだ。
「賢哲! しっかりしろ! 菜々緒さんが帰ってくるんだろ!」
「……う、うる……うるっせぇなバカ! 耳元でぎゃんぎゃん言うな!」
……あ、あれ? しれっといつも通りの賢哲さんだよ?
「賢哲? なんともないのか?」
「なんともあったっての。凄え痛かった。けど良人が治してくれたんだろ?」
何事もなかったかのように、ぱんぱんぱんっと僧衣についた砂埃を手で払いながら、普通に賢哲さんが立ち上がっちゃった。
なんで? お坊さんには効かないとか、なんかそんなの?
「――ばかな! そんな訳が……そんな……そんなちゃちな術で阻止なんて……!」
少し大きく叫んだあと、シチがまたなんかぶつぶつ言ってるのを盗み聞き。わっち耳が良いウサ。
間違いなく針に呪は籠められていた……だとか。
その身に入ったヨル様の呪が散らされる筈がない……だとか。
まさか悪意を全く持たない人なのか……だとか。
いやぁ、わっちは賢哲さんに限ってそんな事ないと思うなぁ。なんか別の理由があるんだよきっと。
けど、どうせだったら乗っかっとこっか。
『お嬢さんよ。この町一番の美僧にして高僧、賢哲さんを……この賢哲さんを舐めるんじゃねぇ! この俺に悪意なんざぁ一欠片もありゃしねえ! そんなちゃちな呪効くわきゃねぇんだ!』
コレわっちです。賢哲さんの声音で叫んでやりました。
身に覚えのない自分の声にきょろきょろ辺りを見回した賢哲さんが少し首を捻ったあと、腕を組んでふんぞり返ってシチを睨め付けました。
賢哲さんのそういうとこ、ノリが良くってわっちは好きだよ。
シチの目前にはわっち、そして木刀を構えた良庵せんせ。
さらにその後ろ、調子に乗ってふんぞり返る賢哲さん。
尻尾巻いて逃げ去るか、それとも破れかぶれで向かってくるかと思いきや、シチのやつってば挙動不審に視線を彷徨わせ、賢哲さんで視点を止めるといきなり怯える様に頭抱えて蹲っちゃいました。
「シチ悪くないもん! あんた達が――あの女狐が悪いんだぁぁ! ヨル様に……ヨル様に嫌われちゃうじゃないかぁぁぁ!」
…………思ってたんと違うなぁ……
蹲ったシチは小さな子供がするように、えぐっえぐっと鼻を啜ってはビエェェっと泣き、ひぃっと息を蓄えまたビエェェェっ。
なんかこっちが悪いことしてる気がして男二人を見遣るとおんなじ様に困惑顔。
うん、ここは大人に任せよ。
わっちは無言で前足に姿を変えて、良庵せんせの腰に戻ってぶらぶら揺れとくから。ごめんけどよろしくね。
「あ、おいウサちゃんずるいぞ――……ま良っか、働いて貰ったしな」
「助かりました。兎どの、ありがとう」
木刀を逆手に持ち替えた良庵せんせが逆の手でわっちをひと撫で。ぞくぞくしちゃうね。
「で、だ。どうする良人?」
「放っておく訳にもいかないだろう。連れて帰るしかないな」
「だよなぁ」
泣き止む様子のないシチに向かって歩み寄った二人だったけど、罠だとしてもわっちが飛び出すから大丈夫だよ。いつでも噛み付ける様に覚悟してるからね。
「なぁお嬢さん……お嬢、さ、ん? お嬢ちゃん?」
賢哲さんの不思議そうな声も当然だよ。シチのやつ、いつの間にか小さな女の子になってるんだもん。
わっちが化けた人の姿みたいでなんだか急に親近感湧いちゃうなぁ。
「ほら立って。いい加減に泣き止んでくれよ」
シチの手を引き立ち上がらせて優しくそう言う賢哲さんとは対照的に、良庵せんせは厳しい顔付きでシチへ手を差し出し言いました。
「出しなさい」
けっこう怖いです。良庵せんせのこんな声聞いたことないもん。
実はシチのやつ、悪意が全くない賢哲さんに対して本能的に怯えてたらしいんだけど、今は良庵せんせに怯えてるみたい。
「な、なにを……?」
「さっきの針! 全部出しなさい!」
口を固く引き結び、タレ目を精一杯吊り上げてるつもりらしい良庵せんせが言いました。そんなに吊りあがってないのが可愛いよね。
「だ、だってこれ……ヨル様の――」
「そんな顔してもだめ。それは危ないんだから。全部出しなさい」
渋々といった感じのシチが袂を弄って、取り出した数本の針をせんせに手渡しました。
針を受け取ったせんせも袂から一枚の呪符を取り出し、それで針を包んで袂に戻しちゃいました。
「これで良い。上手く戟が散ってくれると良いんだがな」
「おうおう、ほんといっぱしの妖魔退治じゃねえの」
「茶化すなって。そんな事より予備の提灯を頼むよ」
いっけね、なんて言いながら、賢哲さんが燃え尽きそうな提灯へ駆け寄ったんだ。