13年。
幼馴染の咲と過ごした年数だ。
異性との幼馴染関係でそれだけ長く続いていたのは稀なケースだろう。
幼稚園から始まったその関係。
当然のように小学校、中学校、高校と同じ学校だった。
その日々はとにかく楽しかった。
家族ぐるみで仲が良かったのでふと気が付くと家の中に咲が居る。
咲の姿を発見するといつも安心感を覚えていた。
朝起きるのが苦手な僕はいつも咲に起こされていた。
代わりに料理が苦手だった咲の為に僕がいつも弁当を作ってあげていた。
苦手な所を補い合うギブアンドテイクの関係。
喧嘩なんかもしたことはなかったと思う。
学校ではいつも僕らの関係を冷やかされていた。
仲が良かったのは自他ともに認めている。きっと咲もそうだっただろう。
だけど恋人関係であったわけではない。
そういう関係に憧れていなかったわけではない。
でも『仲が良い幼馴染』という関係が心地良くて……
それ以上の関係に発展する必要はないのかなと思っていた。
高校3年生になったある日、咲から進路について話をされた。
「光里、私ね、来年東京の大学にいく」
青天の霹靂とはこのことをいうのだろうか。
頭に強い衝撃を与えられたようなショックを受けたのをはっきりと覚えている。
僕が地元の大学へ進学を考えていることは以前から話をしていた。
当然のように咲も同じ進学先を選んでくれるのだと思っていた。
——思い込んでいた。
「ど、どうして……?」
僕の進学先を知って尚、咲は違う大学への進学を決めようとしている。
都会への憧れ?
東京でしか学べない何かがあるのだろうか。
様々な思考が脳裏にグルグルと渦巻いている。
「光里と……離れる為だよ」
意味がわからなかった。
分からなかったけど、目の前が真っ暗になるくらいの衝撃を受けていた。
「光里と一緒にいると心が温かくなる。ずっと一緒に居たいなって思っちゃう。でも、私達もう18歳だよ? 大人だよ。いつまでも……共依存していちゃ駄目なんだと思う」
共依存。
僕と咲の関係を示すのにこれ以上相応しい言葉はない。
心地良さの沼はハマりきってしまうと抜け出せなくなってしまう。
だから咲は僕との距離を離れる道を選んだ。
「そんな……突然そんなこと言われても……」
だけど僕は咲とは別の考えを持っていた。
沼から抜け出せなくても別にいいのだと思っていた。
どうして心地良い沼から脱出する必要があるのだと。
「光里のお弁当美味しいよ? 光里と遊ぶの楽しいよ? だけど……だけどさ……」
咲は泣きそうな——いや、実際に泣いているのだろう。
かすれた声で意を決したように言う。
「私……光里以外の人とも遊びたかったんだよ……苦手な料理にも自分で挑戦してみたかったんだよっ!」
「……っ!?」
それは枷だった。
幼馴染という関係の枷。
以前、放課後にこんな光景を見たことあったのをふと思い出す。
『ねえねえ。咲ちゃん。たまには一緒にカラオケいかない?』
『う、うん!』
『あー、駄目よ。幼馴染くんが焼いちゃうかもしれないでしょ? 私たちのことは気にしないで光里くんと過ごしてきてね』
『あっ……』
僕の存在が咲の交友関係に枷を掛けていた。
僕と咲の仲の良さは当然クラスにも伝わっている。
故に、枷が与えられる。
幼馴染は幼馴染としか過ごすことは許されない。
クラス中にそんな異質な空気があったことは確かだった。
「ご、ごめん……ごめんよ……咲……」
僕という幼馴染が居たせいで咲に友達が出来なかった。
僕という幼馴染が居たせいで咲に恋人が出来なかった。
僕という幼馴染が居たせいで咲は自由に過ごせなかった。
今さらながら犯していた罪を自覚し、半ばパニックになりながら咲に頭を下げる。
「私の青春は光里との思い出でいっぱいだよ。本当にありがとう。そして青春はまだ終わりじゃないと思う。大学で4年間という長い時間をお互い別々に過ごしてみよ?」
「…………」
何も答えられなかった。
反論する資格なんてないのだと思った。
想像する。
僕の知らない地にて咲が交友関係を広げていく。
咲は可愛いし、性格も最高に良いからすぐに彼氏ができるだろう。
今まで僕に向けていた笑顔を僕以外の人にたくさん向けるだろう。
咲の社交性ならばそれが容易く出来てしまう。
対して僕はどうだ?
今まで咲に起こされていた僕。
一人で起きられず、昼前くらいから惰性で大学に通う僕。
友達も作れず、一人ぼっちで講義を受け、サークルにも属さず、授業が終われば家に帰ってぼーっと過ごして1日が終わる。
そんな地獄が容易に想像できた。
いやだ。
僕には咲が必要だ。
咲という光を失った僕に何が残るというのだ。
僕は咲と違い、色々と要領が悪い。
だから僕には幼馴染が必要だった。
それでも今の僕には……
『どうか行かないでくれ』だなんて言えるはずもなく……
目の前で涙を溜めている咲を抱きしめることもできなかった。
咲は大人になろうとしている。
自立して一人でなんでも熟せる格好良い大人に。
今まではスタート地点というぬるま湯でただ安楽の日々を過ごしていた。
——いや、違う。
僕がいつまでもぬるま湯から出てこないものだから咲をそれに付き合わせていたに過ぎない。
彼女はずっと最初の一歩を踏みだそうとしていた。
だけどそれは僕を置いていってしまう行為となるわけで。
優しい咲はこの瞬間まで僕と一緒にスタートラインに居てくれた。
でも高校最高学年になって。
成人という大人の烙印を捺されて。
彼女は僕を突き放す決意をした。
まって。
待ってよ。
僕をここに置いていかないでよ。
一人にさせないでよ。
僕も——
僕もキミと一緒に最初の一歩を踏み出させてよ!
ぬるま湯から出ていき、咲はゆっくりと歩みを進めだす。
咲の後ろ姿は凛々しく輝いており——
その神々しさに僕はずっと見惚れ続けていた。
咲の後ろ姿が完全に見えなくなってしまうまで……
それから数ヶ月。
僕と咲は徐々に疎遠になっていった。
それが逆に良かったのかもしれない。
咲が旅立った後のダメージがいくらか軽減できたのだから。
長かった幼馴染関係は恐らくあの日に終焉を迎えたのだろう。
僕は幼馴染に頼らず、これから一人で生きていかなければならない。
だからこの数ヶ月で僕は一つの決意をした。
『咲に見合う男になろう』
キミの幼馴染はちゃんと自立しているんだよ。
キミの幼馴染は前を向くことを決めたんだよ。
キミの幼馴染は実は出来る男なんだよ。
そう胸を張って言えるように……
遥か先へと歩みを進めてしまったキミを追いかける。
僕は生まれ変わる必要があるのだ。
家から十分通える距離ではあったのだけど僕は大学近くで一人暮らしを始めることにした。
——『咲は知らぬ土地で一人暮らしを始めているんだ。ならば僕も』
幸い自炊スキルはあったので思ったより苦労はなかった。
朝起きるのだけは苦手だけど目覚まし4個掛けの秘奥義で毎日ちゃんと早朝に起床する。
——『咲は毎日この時間には起きていた。ならば僕も』
気が付けば夜更かしの習慣が消え失せて、完全に朝型の生活を送っていた。
勇気を出して、隣で講義を受けている人に話しかけてみた。
——『きっと咲も友達作りを頑張っているに違いない。ならば僕も』
最初は結構空回りしていたけれど、僕の周りにはどんどん人が増え続けていった。
唯一の趣味であった料理を伸ばす為、僕は料理サークルに参加することにした。
——『咲の社交性ならきっと何らかのサークルに属するはず。ならば僕も』
料理サークル故に男は僕一人だけだったけど、優しい先輩方が丁寧に接してくれたおかげで徐々に打ち解けていった。
今まで無頓着だったオシャレにも積極的に手を出した。
——『咲もきっとオシャレなお店とか回って自分を磨いているに違いない。ならば僕も』
初めて髪を染めた自分を見て果てしない違和感を抱きながらも、案外悪くないのでは? と自照していた。
「やっば……飲み過ぎた……」
瞬く間に大学生活は過ぎて行き、僕は大学3年生になっていた。
二月後には最終学年に進級だ。
料理サークルの部長職を後輩に引き継いで、楽しかったサークル生活の締めくくりに宴会が行われた。
周りが女の子だらけの環境故に遠慮して隅っこの方でちまちまビールを飲んでいたのだが、意外にも僕は後輩に慕われていたようで、次々お酌されて限界まで飲まされてしまった。
二次会に参加する体力も残ってなく、一次会終了と共に僕は帰宅することにした。
千鳥足で家へ向かうが、思うように足が動かない。
僕は近場の公園に足を運び、ベンチで思いっきり横たわってしまった。
頬を撫でる夜風が火照った身体を冷ましてくれる。
寝転がりながら澄んだ夜空を見上げると美しく散りばめた光明に目を奪われた。
「そういえば、この公園って……」
そうだ、ここは咲と最後に会話したあの場所なんだ。
幼馴染という呪縛から咲が解放されたあの場所。
咲。
僕はキミに追いつけたのかな?
それとももう背中も見えないくらい遠くに行っちゃったのかな?
会いたいな——
もう一度だけ——
「——ひか……り?」
会いたいという願いが俺に幻聴を齎した。
そう——幻聴。
遠くに行ってしまった咲がこの場所にいるはずが——
「光里……やっぱり光里だ……」
酔いというものは不思議なものだ。
誰かが近づいてきている気配まで齎されるのだから。
「ねえ! 光里!」
幻聴のはずである声は——
幻覚であるはずの姿は——
僕の肩を揺らして必死に呼びかけていた。
「……えっ!?」
さすがに肩を揺らされたら酔っていても飛び起きる。
声の方向を視線で辿ってみると……
「さ、咲!?」
「光里!!」
まさに3年以上ぶりとなる幼馴染が瞳に涙を溜めながら立っていた。
夢ではない。幻覚でもない。
咲だ。
僕が追いかけている遠い存在の幼馴染。
3年ぶりに見た幼馴染の咲は——
3年前と変わっていなかった。
『3年前と全く変わっていなかった』のだ。
「ど、どうして咲がこっちに!?」
東京に行ったはずだ。
地元に居るはずがない。
「光里、私ね。地元に帰ってきたの」
「……えっ?」
「光里に一刻も早く再会したくて……戻って来たんだよ?」
咲は頬を紅潮させながら恥ずかしそうに言葉を投げてきた。
そのいじらしさにほんの少しだけドキッとしながらも、やはり僕の胸中には戸惑いが先行している。
懐かしさを覚えるその姿が高校時代の咲と重なり過ぎている為だ。
「戻ってきたって……お前、東京の大学は?」
「……大学なんてどうでもいい。ねっ、久しぶりに再会できたんだよ? 光里は嬉しくないの?」
嬉しくないわけなんてない。
でもそれ以上に咲の口から『大学なんてどうでもいい』という言葉が出てきたことが信じられなかった。
「単位が充分だから就活でこっちに戻ってきたのか?」
「……そんなとこ」
違うな。
幼馴染だからこそわかる微妙な表情の変化。
咲にとって都合が悪くなることを聞いてしまったのだと悟った。
「咲……お前……もしかして、大学で上手くいっていない……のか?」
頼む。
違うと言ってくれ。
そんなことないと言ってくれ。
そうじゃないと……俺は……っ!
「……やっぱり光里にはお見通しなんだ」
俯き加減でポツリと言葉を漏らす幼馴染。
咲の口から彼女の大学生活の模様が語られる。
東京に出た咲は、自分が思い描いた理想とは大きく掛け離れた現実に直面していた。
知り合いが誰も居ない異境の地。
自分は社交性がある方だと思っていたけど、それは認識違いであったのだとすぐ悟ることとなる。
元々咲は『誰かから話しかけてもらう』立場であることが多く、自分から誰かに声を掛けることに全く慣れてなどいなかった。
その社交性の無さは行動力の絶無にも繋がっており、咲は大学のサークルに入ることもできず、誰とも関わることのない孤独な日々を過ごしていたという。
女という武器を用いても彼女は異性から声を掛けられることすらなかった。
その理由は見た目の装いにある。
目の前にいる咲の私服は『俺も知っている』物を着用していた。
似合ってはいるがオシャレとは程遠い質素な服。
悪い言い方をすれば、田舎感丸出しの装い。
更に言えば咲は装飾類で自分を飾ろうともせず、髪色も黒のまま。髪型も高校時代と何ら変わっていなかった。
対人関係で上手くいかなくともせめて勉強くらいは頑張ろうと励むが、孤独感というものはやる気すら奪っていってしまうもので……
結局咲は勉学でも後れを取ることになる。
「あはは……私、このままだと……もう1回3年生をやることになっちゃいそう……」
もう止めてくれ。
眩かった頃のキミのままでいてくれよ。
「光里。あの時突き放してごめんなさい。向こうにいって、光里の存在の大きさにようやく気づけたの」
「……咲」
「私、一人じゃ何もできなかった。何もできない私を光里はいつも救い上げてくれていたんだね」
違う。
あの時の僕は間違いなく咲にとって足枷でしかなかった。
一人じゃなにもできなかったのは僕の方だったはずだ。
なのに今はどうしてこんなにも……
こんなにも……咲が小さく見えるんだろう?
「私には……幼馴染が必要だったんだ」
涙をこぼしながらポツリと漏らす言葉はとても弱弱しく……
その姿は高校時代の自分と重なって……
つい僕は咲のことを思いっきり抱きしめていた。
あの日、咲は確かに僕を置いて一歩を先に踏み出した。
僕も追いかける様にスタート時点のぬるま湯から脱出し、それなりに自分を変えることが出来たという自覚もある。
一歩ずつ、一歩ずつ。それは亀のように緩やかなスピードではあったけど着実に前へ向かって歩み出すことが出来ていた。
でも咲は——
ずっと先に行ってしまったのだと思い込んでいた咲は——
初めの一歩を踏み出した地点でずっと立ち止まっていた。
遥か後方で僕の背中を悲しげに傍観し続けていたのだった。
「ね、光里。今から一緒に遊ばない?」
「い、今から? こんな遅い時間に?」
「うん。駄目かな?」
「い、いや、別に大丈夫だけど。えと、でも何をして……?」
つい了承してしまったが、今の僕は満身創痍だ。
潰れるほど飲んでしまっているし、幼馴染の悲惨な現実を聞かせれて動転してしまっている。
本当は心身ともに整理する時間が欲しかった。
でも遊びを提案する咲の瞳は悲しげで、そんな彼女を放っておくなど僕にはとてもできなかった。
「あのブランコ! 昔みたいにさ。靴飛ばししようよ!」
子供の頃、咲が僕を誘ってあのブランコに乗ってよく靴を飛ばす遊びをやっていた。
脚力は僕の方があるはずなのに、なぜか咲の方が靴を遠くに飛ばせるのだ。
それが悔しくて日が暮れるまで夢中で遊んでいた幼い日々。
懐かしい。
「光里~! 早く早く~!」
ブランコの前で手を振って僕を呼ぶ姿は幼き日のあの頃を思い起こされる。
懐かしさに吸い込まれるように僕は軽快にブランコの前に駆け寄った。
「うぉ!? ブランコちっさ!」
「ふふ。本当だね。でもブランコマスター咲ちゃんの実力は健在だよ!」
「そんな称号初めて聞いたわ!」
豪快にブランコを揺らし、アッという間に半円を描く地点に到達する。
「てい!」
力強い蹴撃と共に咲のスニーカーが上方に飛んでいく。
『前方』ではなく『上方』。
「あ、あれ?」
「ぷ……あははは! 真上に飛ばしてるじゃん! 見てろ! 『靴飛ばしーナ』と呼ばれた僕の実力を!」
「二つ名ダサすぎないかな!?」
咲の軽快なツッコミに懐かしさを覚えながら僕も大きくブランコを揺らして最高加速度時点にすぐ到達する。
後は思いっきり前へ蹴り出すだけ!
……が、予め靴を半分脱いだ状態だった為、靴を飛ばす前に足元にポロっと落ちてしまった。
「ああっ!」
「はい私の勝ち―! んん? 靴飛ばしーナの実力も大したことないねー」
「今のなし! もう一回! もう一回な!」
「いいよ。ブランコクイーン咲ちゃんは何度でも挑戦を受けてあげます」
「称号変わっとる!?」
完全に童心に返っていた。
酔いつぶれていたことなど忘れてしまうくらい僕らは夢中になって楽しんだ。
靴は泥だらけになり真っ黒になっている。
衣服の汚れなどまるで気にしていなかったあの頃に戻ったみたいだった。
靴飛ばしだけでは飽き足らず、砂場で山を作ったり、ジャングルジムの頂上に登ってみたり、シーソーを揺らしてみたりと子供の頃僕らを夢中にさせていた遊具を一通り楽しんでしまっていた。
最後の向かったのは滑り台だった。
子供の頃、滑り台の階段を上るのが怖かったはずなのに、今は軽々と登りきることができる。
咲も僕に続くように滑り台を登ってくる。
昔は高いと思っていた滑り台の頂上も今は全然恐怖を感じない。
むしろ咲と二人でこの場にいると狭っくるしく、自然と距離も近くなってしまう。
息遣いが聞こえるほどの距離につい赤面してしまう。
「「……」」
1メートル弱の滑り台のてっぺん。
たったそれだけの高さなのに、先ほどより星空が随分近くに思えた。
眩い星々が放つ光筋が隣にいる咲の顔を照らし映してくれる。
僕に負けないくらい真っ赤にさせている幼馴染の顔。
視線が絡み合う。
熱を帯びた視線が意識を朦朧とさせる。
「光里。変わったんだね。とっても格好良くなった。あとちょっとお酒臭い」
「……うん。咲を追いかけて僕は変わることが出来たんだ。だから、ありがとう」
「私は何もしてないよ。突き放しただけ。突き放して、足踏みして、そして、私は『後進』して戻って来た」
「後進?」
「……私ね、あの頃に戻りたかったんだ。あの居心地の良かった子供時代に。光里と一緒に笑いあって楽しんだあの頃に」
一歩踏み出した咲は、その地点で立ち止まってしまい、そして一歩下がってスタート時点にまで戻って来た。
「私、勝手に光里を置いて東京に行っちゃったけど、私にはここしかないんだって改めて思った。光里、一人にさせちゃってごめん。これからは……また私と一緒に遊ぼ?」
僕を突き放した後悔。
ここに僕が居るという安心感。
その双方が感情が交じり合い、彼女の表情を激しく揺れ動かしていた。
僕は——
「咲、今夜は、楽しかった?」
「う、うん! とっても!」
「じゃあ……もう終わりにしよっか」
「……えっ?」
僕も久しぶりに咲と遊べて楽しかった。
子供の頃に帰れたみたいで嬉しかった。
咲はこうして僕と二人で遊び続ける関係を望んでいる。
慣れ親しんだこの場所で……いつまでも……いつまでも……遊び続ける——
そんな——『現実逃避』に。
「僕達はもう大人なんだ。ブランコもシーソーも……僕らの大きな身体を支えられるように出来ていない。僕らはこんな所で遊んでいていい年齢じゃないんだよ」
僕も咲も21歳。
来年には就職をしなければいけない。
大人は働かなければいけないんだよ。
「分かってる……分かってるよ! でも私はもう……もう……限界なんだよ」
「それでもだ。僕は前に進めたよ? 一人暮らしして、サークルに入って、飲み会にも参加して」
「それは光里だから出来たんだよ! 私は……光里が思っているほど強くない! 光里が傍にいないと何もできないの!」
「そんなことはない。だって先に一歩を歩んだのは咲なんだよ? あの頃の僕に出来ないことをキミは先に行った。たぶんさ、キミは新天地で本来の実力を発揮できていないだけだと思うんだ。僕の知っている咲は——キミが思っているよりずっと強い」
「そんな……そんなこと」
ポタポタと涙を堕とす咲。
その涙が精神が幼いから流れ出ているものではないことを僕は知っている。
変われなかった自分が悔しかったから——
そして、懐かしいこの場所に、もう僕が居ないのだと知ったから。
「咲。今日は本当にありがとう。この夢のような一夜は僕にとって大きな一歩となった。だからキミも……一歩を踏み出せるようになることを祈っているよ」
僕は短いすべり台を滑り降り、彼女を背にして公園の出口へと歩み出す。
あの頃、咲は僕を置いて先へ進む選択をした。
ならば今度は僕がその選択をする番だ。
張り裂けそうな切なさを胸に抱えたまま、僕は幼馴染と決別をする。
子供の遊具の上でポツンと残された咲が……再び歩めることを祈りながら。
「——光里……ひかり!!」
「えっ?」
ふと後方から咲の声が聞こえてきた。
彼女は滑り台を駆け下り、去ろうとする僕の前に回り込み、正面から抱き着いた。
そして——
「~~~~っ!」
迷うことなく、彼女の唇が僕の口を塞いできた。
それだけではない。
ぬるっと柔らかい未知の感触が口内に侵食している。
「さ、咲……っ!」
僕に喋らせまいと更に勢い増して口を塞いでくる咲。
子供時代に取り残された少女のものとは思えない大人の行為だった。
「ぷはぁ!」
「ぷ、ぷはぁじゃないよ!? い、いきなり、な、なな、なに!?」
「お酒臭かった」
「それは本当にごめんね!?」
突然過ぎる大人のキス。
これが意味することは——
「私、光里を追いかける! ずっとずーっと先に行った貴方を追いかける! このチューは、私なりの最初の一歩です!」
「う、うん」
僕の予想ではしばらく咲はすべり台の上から動けないのだろうと思っていた。
でも違った。
咲は自分の意思で子供時代と区切りをつけ、大人への一歩を踏み出したのだ。
その最初の一歩がこれなのは予想外過ぎたけど。
でもさすが咲だ。
これこそが僕がずっと追い求めてきた強い幼馴染。
僕はこれからも憧れの存在を追うことが出来るんだ。
「光里!」
咲はクルッと身体をこちらに回し、口元に人差し指を当てながら妖艶な笑みで一つの宣言を行った。
「私が光里に追いついたその時は、今のチューよりもっと凄いことしようね!」
「もっとすごいこと!? そ、それって?」
「それは内緒。ふふん。足踏みしたくなったでしょ~?」
「うっ……!」
なんてズルいんだこの幼馴染は。
そんなこと言われたら、僕一人で前へ進むなんてしたくなくなっちゃうじゃないか。
「進むか止まるかは光里自身に任せるよ。どちらにしても絶対に追いついてみせるからね! おぼえてろ~!」
「おぼえてろ!?」
それだけ言い残すと、咲は駆け足でこの場から走り去ってしまった。
はは……結局置いて行かれるのはいつも僕の方だ。
でもあの頃のような鬱蒼とした気持ちは微塵も感じていない。
今はただお互い歩みを進めることができた事実が嬉しかった。
「それにしても……」
このキスによって……いや、今日の再会によって、幼馴染としてしか見ていなかった咲を別の意味で意識するようになってしまった。
幼馴染離れできたと思っていた大学の3年間は一夜の出会いと共に一瞬で霧散させられた。
どうやら僕には幼馴染が必要だったみたいだ。
そのことを改めて認識させられた。
まるで嵐のようで、そして夢のような時間だった公園でのワンナイト。
その夢の続きを見ることが出来る日はそう遠くないのかもしれない。
幼馴染の咲と過ごした年数だ。
異性との幼馴染関係でそれだけ長く続いていたのは稀なケースだろう。
幼稚園から始まったその関係。
当然のように小学校、中学校、高校と同じ学校だった。
その日々はとにかく楽しかった。
家族ぐるみで仲が良かったのでふと気が付くと家の中に咲が居る。
咲の姿を発見するといつも安心感を覚えていた。
朝起きるのが苦手な僕はいつも咲に起こされていた。
代わりに料理が苦手だった咲の為に僕がいつも弁当を作ってあげていた。
苦手な所を補い合うギブアンドテイクの関係。
喧嘩なんかもしたことはなかったと思う。
学校ではいつも僕らの関係を冷やかされていた。
仲が良かったのは自他ともに認めている。きっと咲もそうだっただろう。
だけど恋人関係であったわけではない。
そういう関係に憧れていなかったわけではない。
でも『仲が良い幼馴染』という関係が心地良くて……
それ以上の関係に発展する必要はないのかなと思っていた。
高校3年生になったある日、咲から進路について話をされた。
「光里、私ね、来年東京の大学にいく」
青天の霹靂とはこのことをいうのだろうか。
頭に強い衝撃を与えられたようなショックを受けたのをはっきりと覚えている。
僕が地元の大学へ進学を考えていることは以前から話をしていた。
当然のように咲も同じ進学先を選んでくれるのだと思っていた。
——思い込んでいた。
「ど、どうして……?」
僕の進学先を知って尚、咲は違う大学への進学を決めようとしている。
都会への憧れ?
東京でしか学べない何かがあるのだろうか。
様々な思考が脳裏にグルグルと渦巻いている。
「光里と……離れる為だよ」
意味がわからなかった。
分からなかったけど、目の前が真っ暗になるくらいの衝撃を受けていた。
「光里と一緒にいると心が温かくなる。ずっと一緒に居たいなって思っちゃう。でも、私達もう18歳だよ? 大人だよ。いつまでも……共依存していちゃ駄目なんだと思う」
共依存。
僕と咲の関係を示すのにこれ以上相応しい言葉はない。
心地良さの沼はハマりきってしまうと抜け出せなくなってしまう。
だから咲は僕との距離を離れる道を選んだ。
「そんな……突然そんなこと言われても……」
だけど僕は咲とは別の考えを持っていた。
沼から抜け出せなくても別にいいのだと思っていた。
どうして心地良い沼から脱出する必要があるのだと。
「光里のお弁当美味しいよ? 光里と遊ぶの楽しいよ? だけど……だけどさ……」
咲は泣きそうな——いや、実際に泣いているのだろう。
かすれた声で意を決したように言う。
「私……光里以外の人とも遊びたかったんだよ……苦手な料理にも自分で挑戦してみたかったんだよっ!」
「……っ!?」
それは枷だった。
幼馴染という関係の枷。
以前、放課後にこんな光景を見たことあったのをふと思い出す。
『ねえねえ。咲ちゃん。たまには一緒にカラオケいかない?』
『う、うん!』
『あー、駄目よ。幼馴染くんが焼いちゃうかもしれないでしょ? 私たちのことは気にしないで光里くんと過ごしてきてね』
『あっ……』
僕の存在が咲の交友関係に枷を掛けていた。
僕と咲の仲の良さは当然クラスにも伝わっている。
故に、枷が与えられる。
幼馴染は幼馴染としか過ごすことは許されない。
クラス中にそんな異質な空気があったことは確かだった。
「ご、ごめん……ごめんよ……咲……」
僕という幼馴染が居たせいで咲に友達が出来なかった。
僕という幼馴染が居たせいで咲に恋人が出来なかった。
僕という幼馴染が居たせいで咲は自由に過ごせなかった。
今さらながら犯していた罪を自覚し、半ばパニックになりながら咲に頭を下げる。
「私の青春は光里との思い出でいっぱいだよ。本当にありがとう。そして青春はまだ終わりじゃないと思う。大学で4年間という長い時間をお互い別々に過ごしてみよ?」
「…………」
何も答えられなかった。
反論する資格なんてないのだと思った。
想像する。
僕の知らない地にて咲が交友関係を広げていく。
咲は可愛いし、性格も最高に良いからすぐに彼氏ができるだろう。
今まで僕に向けていた笑顔を僕以外の人にたくさん向けるだろう。
咲の社交性ならばそれが容易く出来てしまう。
対して僕はどうだ?
今まで咲に起こされていた僕。
一人で起きられず、昼前くらいから惰性で大学に通う僕。
友達も作れず、一人ぼっちで講義を受け、サークルにも属さず、授業が終われば家に帰ってぼーっと過ごして1日が終わる。
そんな地獄が容易に想像できた。
いやだ。
僕には咲が必要だ。
咲という光を失った僕に何が残るというのだ。
僕は咲と違い、色々と要領が悪い。
だから僕には幼馴染が必要だった。
それでも今の僕には……
『どうか行かないでくれ』だなんて言えるはずもなく……
目の前で涙を溜めている咲を抱きしめることもできなかった。
咲は大人になろうとしている。
自立して一人でなんでも熟せる格好良い大人に。
今まではスタート地点というぬるま湯でただ安楽の日々を過ごしていた。
——いや、違う。
僕がいつまでもぬるま湯から出てこないものだから咲をそれに付き合わせていたに過ぎない。
彼女はずっと最初の一歩を踏みだそうとしていた。
だけどそれは僕を置いていってしまう行為となるわけで。
優しい咲はこの瞬間まで僕と一緒にスタートラインに居てくれた。
でも高校最高学年になって。
成人という大人の烙印を捺されて。
彼女は僕を突き放す決意をした。
まって。
待ってよ。
僕をここに置いていかないでよ。
一人にさせないでよ。
僕も——
僕もキミと一緒に最初の一歩を踏み出させてよ!
ぬるま湯から出ていき、咲はゆっくりと歩みを進めだす。
咲の後ろ姿は凛々しく輝いており——
その神々しさに僕はずっと見惚れ続けていた。
咲の後ろ姿が完全に見えなくなってしまうまで……
それから数ヶ月。
僕と咲は徐々に疎遠になっていった。
それが逆に良かったのかもしれない。
咲が旅立った後のダメージがいくらか軽減できたのだから。
長かった幼馴染関係は恐らくあの日に終焉を迎えたのだろう。
僕は幼馴染に頼らず、これから一人で生きていかなければならない。
だからこの数ヶ月で僕は一つの決意をした。
『咲に見合う男になろう』
キミの幼馴染はちゃんと自立しているんだよ。
キミの幼馴染は前を向くことを決めたんだよ。
キミの幼馴染は実は出来る男なんだよ。
そう胸を張って言えるように……
遥か先へと歩みを進めてしまったキミを追いかける。
僕は生まれ変わる必要があるのだ。
家から十分通える距離ではあったのだけど僕は大学近くで一人暮らしを始めることにした。
——『咲は知らぬ土地で一人暮らしを始めているんだ。ならば僕も』
幸い自炊スキルはあったので思ったより苦労はなかった。
朝起きるのだけは苦手だけど目覚まし4個掛けの秘奥義で毎日ちゃんと早朝に起床する。
——『咲は毎日この時間には起きていた。ならば僕も』
気が付けば夜更かしの習慣が消え失せて、完全に朝型の生活を送っていた。
勇気を出して、隣で講義を受けている人に話しかけてみた。
——『きっと咲も友達作りを頑張っているに違いない。ならば僕も』
最初は結構空回りしていたけれど、僕の周りにはどんどん人が増え続けていった。
唯一の趣味であった料理を伸ばす為、僕は料理サークルに参加することにした。
——『咲の社交性ならきっと何らかのサークルに属するはず。ならば僕も』
料理サークル故に男は僕一人だけだったけど、優しい先輩方が丁寧に接してくれたおかげで徐々に打ち解けていった。
今まで無頓着だったオシャレにも積極的に手を出した。
——『咲もきっとオシャレなお店とか回って自分を磨いているに違いない。ならば僕も』
初めて髪を染めた自分を見て果てしない違和感を抱きながらも、案外悪くないのでは? と自照していた。
「やっば……飲み過ぎた……」
瞬く間に大学生活は過ぎて行き、僕は大学3年生になっていた。
二月後には最終学年に進級だ。
料理サークルの部長職を後輩に引き継いで、楽しかったサークル生活の締めくくりに宴会が行われた。
周りが女の子だらけの環境故に遠慮して隅っこの方でちまちまビールを飲んでいたのだが、意外にも僕は後輩に慕われていたようで、次々お酌されて限界まで飲まされてしまった。
二次会に参加する体力も残ってなく、一次会終了と共に僕は帰宅することにした。
千鳥足で家へ向かうが、思うように足が動かない。
僕は近場の公園に足を運び、ベンチで思いっきり横たわってしまった。
頬を撫でる夜風が火照った身体を冷ましてくれる。
寝転がりながら澄んだ夜空を見上げると美しく散りばめた光明に目を奪われた。
「そういえば、この公園って……」
そうだ、ここは咲と最後に会話したあの場所なんだ。
幼馴染という呪縛から咲が解放されたあの場所。
咲。
僕はキミに追いつけたのかな?
それとももう背中も見えないくらい遠くに行っちゃったのかな?
会いたいな——
もう一度だけ——
「——ひか……り?」
会いたいという願いが俺に幻聴を齎した。
そう——幻聴。
遠くに行ってしまった咲がこの場所にいるはずが——
「光里……やっぱり光里だ……」
酔いというものは不思議なものだ。
誰かが近づいてきている気配まで齎されるのだから。
「ねえ! 光里!」
幻聴のはずである声は——
幻覚であるはずの姿は——
僕の肩を揺らして必死に呼びかけていた。
「……えっ!?」
さすがに肩を揺らされたら酔っていても飛び起きる。
声の方向を視線で辿ってみると……
「さ、咲!?」
「光里!!」
まさに3年以上ぶりとなる幼馴染が瞳に涙を溜めながら立っていた。
夢ではない。幻覚でもない。
咲だ。
僕が追いかけている遠い存在の幼馴染。
3年ぶりに見た幼馴染の咲は——
3年前と変わっていなかった。
『3年前と全く変わっていなかった』のだ。
「ど、どうして咲がこっちに!?」
東京に行ったはずだ。
地元に居るはずがない。
「光里、私ね。地元に帰ってきたの」
「……えっ?」
「光里に一刻も早く再会したくて……戻って来たんだよ?」
咲は頬を紅潮させながら恥ずかしそうに言葉を投げてきた。
そのいじらしさにほんの少しだけドキッとしながらも、やはり僕の胸中には戸惑いが先行している。
懐かしさを覚えるその姿が高校時代の咲と重なり過ぎている為だ。
「戻ってきたって……お前、東京の大学は?」
「……大学なんてどうでもいい。ねっ、久しぶりに再会できたんだよ? 光里は嬉しくないの?」
嬉しくないわけなんてない。
でもそれ以上に咲の口から『大学なんてどうでもいい』という言葉が出てきたことが信じられなかった。
「単位が充分だから就活でこっちに戻ってきたのか?」
「……そんなとこ」
違うな。
幼馴染だからこそわかる微妙な表情の変化。
咲にとって都合が悪くなることを聞いてしまったのだと悟った。
「咲……お前……もしかして、大学で上手くいっていない……のか?」
頼む。
違うと言ってくれ。
そんなことないと言ってくれ。
そうじゃないと……俺は……っ!
「……やっぱり光里にはお見通しなんだ」
俯き加減でポツリと言葉を漏らす幼馴染。
咲の口から彼女の大学生活の模様が語られる。
東京に出た咲は、自分が思い描いた理想とは大きく掛け離れた現実に直面していた。
知り合いが誰も居ない異境の地。
自分は社交性がある方だと思っていたけど、それは認識違いであったのだとすぐ悟ることとなる。
元々咲は『誰かから話しかけてもらう』立場であることが多く、自分から誰かに声を掛けることに全く慣れてなどいなかった。
その社交性の無さは行動力の絶無にも繋がっており、咲は大学のサークルに入ることもできず、誰とも関わることのない孤独な日々を過ごしていたという。
女という武器を用いても彼女は異性から声を掛けられることすらなかった。
その理由は見た目の装いにある。
目の前にいる咲の私服は『俺も知っている』物を着用していた。
似合ってはいるがオシャレとは程遠い質素な服。
悪い言い方をすれば、田舎感丸出しの装い。
更に言えば咲は装飾類で自分を飾ろうともせず、髪色も黒のまま。髪型も高校時代と何ら変わっていなかった。
対人関係で上手くいかなくともせめて勉強くらいは頑張ろうと励むが、孤独感というものはやる気すら奪っていってしまうもので……
結局咲は勉学でも後れを取ることになる。
「あはは……私、このままだと……もう1回3年生をやることになっちゃいそう……」
もう止めてくれ。
眩かった頃のキミのままでいてくれよ。
「光里。あの時突き放してごめんなさい。向こうにいって、光里の存在の大きさにようやく気づけたの」
「……咲」
「私、一人じゃ何もできなかった。何もできない私を光里はいつも救い上げてくれていたんだね」
違う。
あの時の僕は間違いなく咲にとって足枷でしかなかった。
一人じゃなにもできなかったのは僕の方だったはずだ。
なのに今はどうしてこんなにも……
こんなにも……咲が小さく見えるんだろう?
「私には……幼馴染が必要だったんだ」
涙をこぼしながらポツリと漏らす言葉はとても弱弱しく……
その姿は高校時代の自分と重なって……
つい僕は咲のことを思いっきり抱きしめていた。
あの日、咲は確かに僕を置いて一歩を先に踏み出した。
僕も追いかける様にスタート時点のぬるま湯から脱出し、それなりに自分を変えることが出来たという自覚もある。
一歩ずつ、一歩ずつ。それは亀のように緩やかなスピードではあったけど着実に前へ向かって歩み出すことが出来ていた。
でも咲は——
ずっと先に行ってしまったのだと思い込んでいた咲は——
初めの一歩を踏み出した地点でずっと立ち止まっていた。
遥か後方で僕の背中を悲しげに傍観し続けていたのだった。
「ね、光里。今から一緒に遊ばない?」
「い、今から? こんな遅い時間に?」
「うん。駄目かな?」
「い、いや、別に大丈夫だけど。えと、でも何をして……?」
つい了承してしまったが、今の僕は満身創痍だ。
潰れるほど飲んでしまっているし、幼馴染の悲惨な現実を聞かせれて動転してしまっている。
本当は心身ともに整理する時間が欲しかった。
でも遊びを提案する咲の瞳は悲しげで、そんな彼女を放っておくなど僕にはとてもできなかった。
「あのブランコ! 昔みたいにさ。靴飛ばししようよ!」
子供の頃、咲が僕を誘ってあのブランコに乗ってよく靴を飛ばす遊びをやっていた。
脚力は僕の方があるはずなのに、なぜか咲の方が靴を遠くに飛ばせるのだ。
それが悔しくて日が暮れるまで夢中で遊んでいた幼い日々。
懐かしい。
「光里~! 早く早く~!」
ブランコの前で手を振って僕を呼ぶ姿は幼き日のあの頃を思い起こされる。
懐かしさに吸い込まれるように僕は軽快にブランコの前に駆け寄った。
「うぉ!? ブランコちっさ!」
「ふふ。本当だね。でもブランコマスター咲ちゃんの実力は健在だよ!」
「そんな称号初めて聞いたわ!」
豪快にブランコを揺らし、アッという間に半円を描く地点に到達する。
「てい!」
力強い蹴撃と共に咲のスニーカーが上方に飛んでいく。
『前方』ではなく『上方』。
「あ、あれ?」
「ぷ……あははは! 真上に飛ばしてるじゃん! 見てろ! 『靴飛ばしーナ』と呼ばれた僕の実力を!」
「二つ名ダサすぎないかな!?」
咲の軽快なツッコミに懐かしさを覚えながら僕も大きくブランコを揺らして最高加速度時点にすぐ到達する。
後は思いっきり前へ蹴り出すだけ!
……が、予め靴を半分脱いだ状態だった為、靴を飛ばす前に足元にポロっと落ちてしまった。
「ああっ!」
「はい私の勝ち―! んん? 靴飛ばしーナの実力も大したことないねー」
「今のなし! もう一回! もう一回な!」
「いいよ。ブランコクイーン咲ちゃんは何度でも挑戦を受けてあげます」
「称号変わっとる!?」
完全に童心に返っていた。
酔いつぶれていたことなど忘れてしまうくらい僕らは夢中になって楽しんだ。
靴は泥だらけになり真っ黒になっている。
衣服の汚れなどまるで気にしていなかったあの頃に戻ったみたいだった。
靴飛ばしだけでは飽き足らず、砂場で山を作ったり、ジャングルジムの頂上に登ってみたり、シーソーを揺らしてみたりと子供の頃僕らを夢中にさせていた遊具を一通り楽しんでしまっていた。
最後の向かったのは滑り台だった。
子供の頃、滑り台の階段を上るのが怖かったはずなのに、今は軽々と登りきることができる。
咲も僕に続くように滑り台を登ってくる。
昔は高いと思っていた滑り台の頂上も今は全然恐怖を感じない。
むしろ咲と二人でこの場にいると狭っくるしく、自然と距離も近くなってしまう。
息遣いが聞こえるほどの距離につい赤面してしまう。
「「……」」
1メートル弱の滑り台のてっぺん。
たったそれだけの高さなのに、先ほどより星空が随分近くに思えた。
眩い星々が放つ光筋が隣にいる咲の顔を照らし映してくれる。
僕に負けないくらい真っ赤にさせている幼馴染の顔。
視線が絡み合う。
熱を帯びた視線が意識を朦朧とさせる。
「光里。変わったんだね。とっても格好良くなった。あとちょっとお酒臭い」
「……うん。咲を追いかけて僕は変わることが出来たんだ。だから、ありがとう」
「私は何もしてないよ。突き放しただけ。突き放して、足踏みして、そして、私は『後進』して戻って来た」
「後進?」
「……私ね、あの頃に戻りたかったんだ。あの居心地の良かった子供時代に。光里と一緒に笑いあって楽しんだあの頃に」
一歩踏み出した咲は、その地点で立ち止まってしまい、そして一歩下がってスタート時点にまで戻って来た。
「私、勝手に光里を置いて東京に行っちゃったけど、私にはここしかないんだって改めて思った。光里、一人にさせちゃってごめん。これからは……また私と一緒に遊ぼ?」
僕を突き放した後悔。
ここに僕が居るという安心感。
その双方が感情が交じり合い、彼女の表情を激しく揺れ動かしていた。
僕は——
「咲、今夜は、楽しかった?」
「う、うん! とっても!」
「じゃあ……もう終わりにしよっか」
「……えっ?」
僕も久しぶりに咲と遊べて楽しかった。
子供の頃に帰れたみたいで嬉しかった。
咲はこうして僕と二人で遊び続ける関係を望んでいる。
慣れ親しんだこの場所で……いつまでも……いつまでも……遊び続ける——
そんな——『現実逃避』に。
「僕達はもう大人なんだ。ブランコもシーソーも……僕らの大きな身体を支えられるように出来ていない。僕らはこんな所で遊んでいていい年齢じゃないんだよ」
僕も咲も21歳。
来年には就職をしなければいけない。
大人は働かなければいけないんだよ。
「分かってる……分かってるよ! でも私はもう……もう……限界なんだよ」
「それでもだ。僕は前に進めたよ? 一人暮らしして、サークルに入って、飲み会にも参加して」
「それは光里だから出来たんだよ! 私は……光里が思っているほど強くない! 光里が傍にいないと何もできないの!」
「そんなことはない。だって先に一歩を歩んだのは咲なんだよ? あの頃の僕に出来ないことをキミは先に行った。たぶんさ、キミは新天地で本来の実力を発揮できていないだけだと思うんだ。僕の知っている咲は——キミが思っているよりずっと強い」
「そんな……そんなこと」
ポタポタと涙を堕とす咲。
その涙が精神が幼いから流れ出ているものではないことを僕は知っている。
変われなかった自分が悔しかったから——
そして、懐かしいこの場所に、もう僕が居ないのだと知ったから。
「咲。今日は本当にありがとう。この夢のような一夜は僕にとって大きな一歩となった。だからキミも……一歩を踏み出せるようになることを祈っているよ」
僕は短いすべり台を滑り降り、彼女を背にして公園の出口へと歩み出す。
あの頃、咲は僕を置いて先へ進む選択をした。
ならば今度は僕がその選択をする番だ。
張り裂けそうな切なさを胸に抱えたまま、僕は幼馴染と決別をする。
子供の遊具の上でポツンと残された咲が……再び歩めることを祈りながら。
「——光里……ひかり!!」
「えっ?」
ふと後方から咲の声が聞こえてきた。
彼女は滑り台を駆け下り、去ろうとする僕の前に回り込み、正面から抱き着いた。
そして——
「~~~~っ!」
迷うことなく、彼女の唇が僕の口を塞いできた。
それだけではない。
ぬるっと柔らかい未知の感触が口内に侵食している。
「さ、咲……っ!」
僕に喋らせまいと更に勢い増して口を塞いでくる咲。
子供時代に取り残された少女のものとは思えない大人の行為だった。
「ぷはぁ!」
「ぷ、ぷはぁじゃないよ!? い、いきなり、な、なな、なに!?」
「お酒臭かった」
「それは本当にごめんね!?」
突然過ぎる大人のキス。
これが意味することは——
「私、光里を追いかける! ずっとずーっと先に行った貴方を追いかける! このチューは、私なりの最初の一歩です!」
「う、うん」
僕の予想ではしばらく咲はすべり台の上から動けないのだろうと思っていた。
でも違った。
咲は自分の意思で子供時代と区切りをつけ、大人への一歩を踏み出したのだ。
その最初の一歩がこれなのは予想外過ぎたけど。
でもさすが咲だ。
これこそが僕がずっと追い求めてきた強い幼馴染。
僕はこれからも憧れの存在を追うことが出来るんだ。
「光里!」
咲はクルッと身体をこちらに回し、口元に人差し指を当てながら妖艶な笑みで一つの宣言を行った。
「私が光里に追いついたその時は、今のチューよりもっと凄いことしようね!」
「もっとすごいこと!? そ、それって?」
「それは内緒。ふふん。足踏みしたくなったでしょ~?」
「うっ……!」
なんてズルいんだこの幼馴染は。
そんなこと言われたら、僕一人で前へ進むなんてしたくなくなっちゃうじゃないか。
「進むか止まるかは光里自身に任せるよ。どちらにしても絶対に追いついてみせるからね! おぼえてろ~!」
「おぼえてろ!?」
それだけ言い残すと、咲は駆け足でこの場から走り去ってしまった。
はは……結局置いて行かれるのはいつも僕の方だ。
でもあの頃のような鬱蒼とした気持ちは微塵も感じていない。
今はただお互い歩みを進めることができた事実が嬉しかった。
「それにしても……」
このキスによって……いや、今日の再会によって、幼馴染としてしか見ていなかった咲を別の意味で意識するようになってしまった。
幼馴染離れできたと思っていた大学の3年間は一夜の出会いと共に一瞬で霧散させられた。
どうやら僕には幼馴染が必要だったみたいだ。
そのことを改めて認識させられた。
まるで嵐のようで、そして夢のような時間だった公園でのワンナイト。
その夢の続きを見ることが出来る日はそう遠くないのかもしれない。