寂しがり屋たちは、今日も手を繋いだまま秒針を回した

 自由行動が終わって宿舎に着いた私たちは、まず夕食を取った後に入浴時間がある予定だった。そしてその後、各自の部屋で消灯時間まで自由時間という流れ。私の部屋は大部屋で十人ほどの女子生徒が泊まっている。
 二人部屋や三人部屋より会話に悩むことはないが、症状が出たら大部屋はとても困る。その時丁度、お母さんから「オリエンテーションはどう?大丈夫?」と連絡が来ていることに気づいた。就寝前に一度お母さんに電話をかけようか。そうすれば、きっとお母さんも私も安心出来るだろう。
 入浴を終えた私は大部屋には戻らず、人気(ひとけ)の少ない……いや、誰もいない場所を探していた。
 宿舎の外に出れば先生に怒られるだろうが、宿舎の庭園であれば良いだろうか。街灯もあるし、宿舎が隣にあるので私自身もあまり怖くない。
 私は庭園に出た後、人目につきにくい場所を探して移動する。その時、庭園の隅でうずくまっている人影が見えた。

「わ!」

 驚いて声を上げた私にうずくまっていた人陰が動いた。

「菅谷くん!?」
「川崎さん……?」

 菅谷くんはもう顔を上げることすらやっとで、私を(おぼろ)げな視線で見ている。正直、入学式の時より調子が悪そうだった。
 私は慌てて菅谷くんに駆け寄った。

「大丈夫!?」

 その言葉を問いかけても、菅谷くんは絶対に「大丈夫」としか返さないのに。それでも、体調が悪そうな人にかける言葉なんて急に言われても「大丈夫?」しかなくて。
 菅谷くんはいつも通り無理やり笑顔を作って答えるのだ。

「全然大丈夫だよ。ちょっと疲れちゃって……川崎さんはもうお風呂終わったの?こんなところまで来て何かあった?」

 菅谷くんの質問に答えようとして、菅谷くんの質問が話題を変えるためだと気づいて胸が苦しくなった。どうしてこの人はこんなにも大丈夫なフリが上手なの?
 それでも実際、菅谷くんに頼られてもきっと私では力になれない。その事実が一番悲しかった。
 私はそっと菅谷くんの隣にしゃがんで座る。

「川崎さん……?」

 自分は隠したいことを隠して、菅谷くんには弱みを見せて貰おうなんてあまりにも都合が良すぎる。きっと私が出来ることは素直に弱みを見せることだけだ。でも、その勇気すら持てなくて。
 それでも、隣を見れば今にも倒れそうな真っ青な顔で無理やり笑顔を作っている菅谷くんがいる。


 「助けたい」と思わない方が無理だった。


「菅谷くん、私ね。『頻発性哀愁症候群』っていう病気なの。『寂しい』っていう感情に振り回される変わった病気」


 菅谷くんは私の言葉にしばらく何も言わなかった。それでも、しばらくしてポツポツと言葉を吐き出してくれる。

「川崎さんさ、入学式の日に俺に会ったこと覚えてる?」
「うん……」
「あの日、川崎さんは『最近寂しくて、おかしい』って言った俺にその病名を呟いたんだ。俺はその病気を知らなかったけど、家に帰って調べて『あ、絶対これだ。俺はこの病気なんだ』って思った」

 菅谷くんは私に向けていた視線を逸らし、下を向いてしまう。

「俺、認めたくなくて……」

 消え入りそうなその声は初めて聞いた菅谷くんの弱音だった。

「病院に行った方がいいのは分かってるのに足は動かないし、誰にも言えない。川崎さんにも相談しようって思ったけど、いざ川崎さんの顔を見るとつい無理してしまって……俺、もう癖になってるんだと思う。嘘笑いも、無理することも」

 菅谷くんは顔を上げないまま、絞り出すように声を出した。



「寂しい。死にたいくらい寂しい。俺、絶対におかしい」



 その悲痛な叫びは私の心の叫びと全く同じで。私は喉の奥がギュゥっと締まるような感覚がして、気づいたら涙が溢れていた。
 下を向いたままの菅谷くんに気づかれる前になんとか涙を拭う。



「ねぇ、川崎さん。きっと俺は寂しくて壊れるんだと思う」



 拭ったはずの涙は、もう誤魔化せないほど溢れていた。拭っても拭っても涙が溢れて止まらない。きっと私が隣で泣いていることに菅谷くんは気づいている。
 それでも、菅谷くんは下を向いたままだった。



「川崎さん、ごめん。こんな話をして。本当にごめん」



 謝る菅谷くんの言葉は震えていた。


 ねぇ私、頑張ってよ。

 何年、この病気をやっているの。

 隣で同じ症状に苦しむ人に良いアドバイスの一つもかけてあげられないの?

 なんで泣いているの。

 泣きたいのは菅谷くんの方なんだよ。

 私が泣く場合なんかじゃないんだよ。

 早く、泣き止んで。

 早く、菅谷くんを助けてあげて。

 
 かけたい言葉は沢山あっても、溢れるのは涙だけで。やっと顔を上げてくれた菅谷くんに見せることが出来たのは、涙でぐちゃぐちゃになっている私の顔だけだった。
 私のぐちゃぐちゃの顔を見て、菅谷くんが優しく微笑む。

「なんで川崎さんが泣いてるの。俺は大丈夫だから」

 先ほどまで弱音を吐いていた菅谷くんがまた「大丈夫」と言うのだ。
 それがあまりに苦しくて、私は気づいたら菅谷くんの手を掴んでいた。

「川崎さん……?」

 驚いている菅谷くんを無視して、私は菅谷くんの右手を両手で包み込むように握る。
 涙でぐちゃぐちゃでも、この言葉だけはかけてあげたい。この言葉だけが今の私たちを救ってくれる。



「菅谷くん、大丈夫。大丈夫だよ。寂しくないから。全然寂しくない」



 私が絞り出した声に返事はなくて。
 
 菅谷くんの方に視線を向けると、菅谷くんの頬に涙が伝っていた。

 そうか。菅谷くんは今まで誰にも「寂しくない」と言葉をかけられたことがないんだ。だって菅谷くんが病気を周りに明かしていない以上、菅谷くんに「大丈夫だよ」と言ってくれる人はいないだろう。
 菅谷くんは周りに心配をかけないためだけに、無理をするためだけに「大丈夫」を使ってきたのだ。
 私は菅谷くんの手を握る両手に力を込める。


「菅谷くん、大丈夫だよ」


 どうか、この「大丈夫」が菅谷くんの「安心」になりますように。それだけを願いながら、私は菅谷くんの手を握り続けた。
 
 どれくらい経っただろう。しばらくして、菅谷くんが立ち上がった。

「ありがと、川崎さん。もう大丈夫。本当に!」

 菅谷くんのその「大丈夫」は何故か信じられた。

「ねぇ、川崎さん。また俺の話聞いてくれる?」

 菅谷くんのその言葉が……菅谷くんが頼ってくれたことが嬉しくて、私はすぐに頷いてしまった。

「さ、そろそろ部屋に戻ろ」

 そう言って、私の前を歩き始める菅谷くんの後ろ姿はまだ弱々しいのに、私はそれ以上菅谷くんに何も声をかけることは出来なかった。
 翌日、オリエンテーション二日目。最終日。
 二日目は宿舎の近くの公園でスポーツ活動という名のほぼ自由行動だった。自由時間は二時間ほどで、あとはバスで帰るだけの日程。

「菅谷、何する?先生がサッカーボールとかバドミントンの道具を持ってきてくれてるらしいぞ!」
「草野は何してーの?」
「うーん、サッカーは部活でしてるからバドミントンかな。あ、でも菅谷はサッカーしたい?」

 その時、菅谷くんがほんの少しだけ苦しそうな顔をした気がした。

「俺、中学の部活引退してから全くボールに触れてないから、めっちゃブランクあるかも」
「あはは、菅谷がめっちゃ下手になってたら笑ってやるわ!」
「うるせー!お前は大人しくバドミントンしてろ!」
「いや、菅谷の下手なサッカー見たいからサッカーにするわ!」
「うわ、うぜ」

 草野くんがサッカーボールを先生のところに取りに行こうとして、私と美坂さんの方を振り返る。

「っていうか、美坂さんと川崎さんもサッカーしない?」

 草野くんの問いに美坂さんが慌てている。

「私、運動全然出来ないよ……!」
「大丈夫!別にこれ試合じゃないし!折角だし班の皆んなでやろーぜ。川崎さんもそれで大丈夫?」
「大丈夫だけど……私も運動得意じゃないし足引っ張るかも……」
「あれ?川崎さんも文化部だっけ?」

 草野くんの質問に私は出来るだけ、空気が重くならないように軽い感じで過去を話す。

「私は高校は部活入ってないの。中学では美術部だったけど、途中で辞めちゃって……運動は全く得意じゃないから……」
「じゃあ、俺チームと菅谷チームで別れようぜ!人数足りないから、他の奴らも誘ってくる!」

 すると、草野くんが公園にいる生徒に聞こえるように大きな声で「サッカー出来るやつ集合ー!」と叫んでいる。
 男子生徒がぞろぞろと集まり始め、簡単に一試合分の人数が集まった。ほとんど男子生徒が集まったので、結局男子生徒が試合をしているのを女子生徒が隣で見ていることになった。
 女子生徒の中には自分が運動するより、観戦している方が好きな生徒も多かったのか、すぐにギャラリーが増えていく。
 公園の中心で始まった試合を見ながら、女子生徒が好きなチームを応援している。
 私はほとんど知ってる男子生徒が少ないので、菅谷くんと草野くんを目で追っていた。

 昨日、辛そうな顔をしていた菅谷くんが楽しそうに公園を走っている。その事実が無性に嬉しくて。

 菅谷くんがいつから「寂しい」という症状に悩まされているのかは分からなかったが、きっと高校で部活を諦めたのは症状が主な理由だろう。
 私も頻発性哀愁症候群になってから、我慢することや諦めることが増えた。実際にこのオリエンテーションだって参加を諦めていた可能性も高かった。そんな生活を送るからこそ、同じ症状に悩む菅谷くんが楽しそうに笑ってくれていることが嬉しかった。
 
 試合は盛り上がって、すぐに二時間は過ぎて行く。

「全員集合ー!そろそろ帰るぞー!」

 先生の言葉に生徒たちが帰る準備を始める。一日目より二日目の方が時間は何故か早く感じるもので、帰り支度を終えると私たちは帰りのバスに乗って帰路につく。
 バスに乗ってすぐに眠っている生徒がポツポツといた。その時、美坂さんが小声で私に話しかけた。

「川崎さん、これ前に言ってたクッキー。昨日は時間はなくて食べられなかったから」

 美坂さんがクッキーの袋を開けてこちらに向けてくれる。私は袋から一枚クッキーを取った。

「美味しい」
「でしょ!これお気に入りなの。スーパーとかにも売ってるからオススメ!」

 美坂さんが嬉しそうにクッキーの袋をリュックにしまっている。

 それからしばらくすると、眠っている生徒が段々増えていく。隣の席を視線を向けると、美坂さんも眠ってしまっていた。周りは寝ている生徒ばかりなのに、私は何故か眠ることが出来なかった。
 きっと無事に新入生オリエンテーションが終わったことが嬉しかったのだと思う。私の体調が悪くなったり、菅谷くんの苦しみも知ったオリエンテーションだった。それでも、振り返れば「楽しかった」と言えるオリエンテーションだった。それが無性に嬉しくて。
 オリエンテーションに行くとお母さんに伝えた時、私はこう言った。

「お母さん、ちゃんと『楽しかった』って言えるように頑張ってくる」

 その言葉を叶えられるなんて本当は思っていなくて、ただお母さんを安心させたくて出てきた言葉だった。隣で眠っている美坂さんに視線を向ける。私はきっと恵まれ過ぎているくらいに優しい人に囲まれている。それでも、まだ自分が関わることで周りの人に迷惑をかけることが怖かった。


「ねぇ、川崎さん。きっと俺は寂しくて壊れるんだと思う」


 昨日の夜の菅谷くんのその言葉に私は返事が出来なかった。その気持ちが分かりすぎるからこそなんて言えばいいのか分からなかった……ううん、違う。本当は私なんて寂しくて壊れてしまえばいいと思っている。死んでしまえばいいと思っている。

「でも、周りの人を私のせいで壊したくはないの……」

 そう小さく呟いた自分の声が耳に響いた気がした。

 オリエンテーションから帰って、家の扉をあけるとすぐにお母さんがリビングから飛び出してくる。

「おかえり。大丈夫だった……!?」

 オリエンテーションの一日目の夜、菅谷くんと話していて結局お母さんに電話は出来なかった。寝る前にメッセージは送ったが心配してくれていたのだろう。
 心配そうなお母さんに私はニコッと笑顔を作った。

「ただいま!『楽しかったよ』!」

 その時のお母さんの泣きそうなほど嬉しそう顔を私は一生忘れない気がした。
 オリエンテーションが終わって、二週間。夜八時頃、自室で勉強していると私のスマホに菅谷くんから連絡が入っていた。
 オリエンテーションで班になった時に四人で連絡先を交換したが、グループで連絡を取ることはあっても菅谷くんから個別で連絡が来たのは初めてだった。

「俺、病院に行こうと思う」

 その一文を送るのにどれだけ勇気がいったのだろう。私では想像もつかないほど悩んだに決まっている。
 なんて返すのが正解か分からないまま、私は「そっか。話を聞くことは出来るから、いつでも頼ってね」と文字を打っていく。私はそのまま送信ボタンを押そうとしたが「頼ってね」を最後に「頼ってほしい」に変えて、送信ボタンを押した。
 そんな小さな語尾の違いなんて何も変わらないことは分かっている。それでも、「頼ってほしい」と思ったのだ。菅谷くんの力に少しでもなりたかった。
 しばらくして、スマホがピコンっとなった。私はすぐにスマホを開いた。

「ありがと。今週の土曜日に病院に行くからまた連絡するかも」

 私はなんて返すかしばらく悩んだが、無難な「OK」と書かれているスタンプを送った。だってきっとどんな文字を送っても、今の菅谷くんを助ける言葉はかけられない。この後また私に連絡するかは菅谷くんが決めることだ。
 私は机にスマホを置いて、勉強を再開した。

 その週の土曜日は朝からどこか落ち着かなくて、スマホを何度も開いてしまう。
 時計の針が11時半を過ぎた頃。菅谷くんからメッセージが入った。

「頻発性哀愁症候群だった」

 その短い一文を見ただけで、私は息が苦しくなるのが分かった。
 言葉は見つからないのに、菅谷くんの話を聞きたくて……ただの私の自己満足かもしれないと分かっているのに気のきいた言葉を探してしまう。
 それでも言葉が思いつかない。菅谷くんが今、何を考えているのか分からない。何を感じているのか知らない。
 既読をつけたまま、しばらく返信を返せない私より先に菅谷くんから次のメッセージが届く。

「川崎さん、今何してる?」

 菅谷くんの言葉の意図が分からないまま、私は「家でゆっくりしてた」と返した。

「今から川崎さんの家の近くに行ったら、会える?」

 空気が読めて、周りを気遣ってばかりの菅谷くんが「急に会いたい」と誰かに言うことは珍しいだろう。それほどまでに今は苦しいのだろうか。
 私はすぐに「会える」と返して、家の近くの公園を集合場所に指定した。
 菅谷くんが来るまでまだ時間はかかると分かっているのに、私は気づいたらすぐに家を飛び出していた。

 公園につくと、日陰に置かれているベンチに座る。スマホで時間を潰しながら菅谷くんを待とうと思っていたのに、集中出来なくて画面を閉じてしまう。
 どこか心が落ち着かないまま菅谷くんを待っていると、私が思っていたより早く菅谷くんが公園に走ってくる。私はすぐに立ち上がって菅谷くんの元へ駆け寄った。

「ごめん、川崎さん!待った?」
「全然待ってないよ。走ってきたの?」
「そんなに走ってないから大丈夫」

 そんなに走っていないという菅谷くんの額や首には汗が流れてきている。きっといつも通り相手を気遣って嘘をついてくれている。
 菅谷くんは走って乱れている息を整えながら、私の座っていたベンチに腰掛ける。

「……川崎さんも座ろ。急に呼び出してごめん」
「ううん、全然」

 菅谷くんの隣に腰掛けたが、上手く言葉が出てこない。菅谷くんは少しだけ私の顔に視線を向けた後、ゆっくりと今日のことを話してくれる。

「……三日前くらいにさ、この病気のこと親に話したんだよ。両親は驚いてたけど、その日にすぐに色々調べてくれた……それで、今週末に病院に行こうって言ってくれて。今日、母親と病院に行ったら……あとはさっき送ったメッセージの通り」

 先ほどの菅谷くんからの短いメッセージが頭をよぎる。

「頻発性哀愁症候群だった」

 菅谷くんは公園を走り回る小学生を眺めながら話を続けた。

「母親は覚悟が出来てたみたいで、先生に色々聞きながらこれからのことを考えてた。それで、俺に『これからどうする?少し学校をお休みする?』って聞くんだ。何にもおかしなことは言われてないのに、なんか苦しくて……俺の方が覚悟出来ていなかったんだと思う」

 私は菅谷くんの話をただ静かに聞くことしか出来なかった。

「なんかさ、馬鹿みたいだけど俺は無理が当たり前になってたから、人に気遣われることに慣れてなくて……なんて言っていいか分からないけど、覚悟出来てたつもりだったのに……いざ病院で先生に言われたら苦しかった」

 こんなに苦しい話を菅谷くんは表情を変えずに話していく。
 それでも、菅谷くんは私を呼んでくれた。それはきっとそれだけ苦しかったということだろう。

「……ああ、これからどうしたらいいんだろうって分からないくて……気づいたら俺の症状のことを知ってる川崎さんに連絡を送ってた」

 菅谷くんが私の方を見て、申し訳なさそうに笑う。

「本当にごめんね。こんな意味分からないことで呼びだして」

 「菅谷くんが謝ることじゃない」とか「気にしないで」とか色んな言葉が頭をよぎるのに、どの言葉が正しいのか分からなくて……結局何が正しいか分からないまま、言葉を選んだ。

「私は……連絡をくれて嬉しかった……」

 絞り出した言葉が合っているか分からないけれど、菅谷くんの顔が少し柔らかくなって、そのことにとても安心した。

「ねぇ、川崎さん。川崎さんは症状が出た時、どうやって収めてる?」
「……私はお母さんに手を繋いでもらうのが一番安心する。でも高校とかじゃそんなこと出来ないから、基本的にはぬいぐるみと手を繋いでる。あと、一番は『寂しくない。大丈夫』と心の中で唱えることかな……でも、人それぞれだから菅谷くんもゆっくり自分に合った方法を探していけばいいと思う」
「そっか。ありがと」

 菅谷くんはそう言って、立ち上がった。

「今日はごめんね。急に呼び出して」

 その菅谷くんの言葉はきっと解散の言葉で……分かっているのに、心配で離れることが出来ない。

「川崎さん?」
「あ、あの!私、今日一日とっても暇だから!」

 私の勇気を出した言葉に菅谷くんは「ありがと」ともう一度お礼を言う。
 違うよ。私、何もお礼を言われることをしていない。何も菅谷くんの力になれていない。

「ごめん、菅谷くん」
「え……?」
「いや、私、全然役に立ってないから……」

 私がそう小さく呟くと、菅谷くんが私に一歩だけ近づいた。

「川崎さん、俺が一番症状が辛かった日、いつだと思う?」
「……?」
「オリエンテーションの一日目の夜、川崎さんと宿舎の庭で会った日。あの日、川崎さんがいてくれたから、あの後に部屋に戻っても眠ることが出来たんだ」

 菅谷くんはそう言って、いつもクラスの中心にいる時のような明るい笑顔を見せてくれる。

「川崎さんは役に立ってるよ。大役立ち」

 菅谷くんに元気をあげたいのに、いつも私ばかり元気を貰ってしまう。今だって、結局私が嬉しいと思う言葉を菅谷くんはくれるのだ。

「こちらこそありがとう、菅谷くん」

 言えることはお礼だけで、それが無性に悲しく感じた。
 公園を出て菅谷くんと解散した後も、その日は菅谷くんのことが頭から離れなかった。
 どれだけ菅谷くんの心配をしても、私の症状も酷くて自分のことだけで手一杯になってしまう。そんな自分が歯痒いのに、実際私が菅谷くんに出来ることなんてなくて。
 次の学校の日も、私はクラスの中心で笑っている菅谷くんを目で追うことしか出来ない。

「今日の五限はオリエンテーションの振り返りだから覚えておくように」

 朝のホームルームで先生が今日の予定を説明していく。その日の昼休みも菅谷くんは沢山の友達に囲まれていた。

「なぁ菅谷、今日の放課後遊ばね?」
「何すんの?」
「決まってない。ていうか今月お小遣いピンチなんだよな」
「俺もー」

 明るくて優しい菅谷くんはまさに理想の高校生だろう。でも、きっと今も菅谷くんは心のどこかで症状を我慢しているのかもしれない。
 このクラスで菅谷くんの秘密を知っているのは私だけなのに、何も出来ない自分が歯がゆかった。偶然、私が菅谷くんと同じ病気だっただけで、菅谷くんが私を信頼しているのかすら分からない。

 五限目が始まって、オリエンテーションの班で集まった。まず班でオリエンテーションの振り返りの紙を書いた後に、個人でオリエンテーションの感想を一枚提出する予定だった。
 草野くんが班で提出する紙を読み上げてくれる。

「まずオリエンテーションで学んだことだってさー……そんなのある!?遊んだ記憶しかないんだけど!」
「草野は玉ねぎの切り方を学んだだろ?」
「菅谷、お前馬鹿にしてるだろ!」
「あはは、草野は馬鹿だろ」

 草野くんは菅谷くんの頭をペチンと叩きながら、私と美坂さんに視線を向ける。

「美坂さんと川崎さんは何か思いつく?」

 美坂さんがオリエンテーションのしおりを見ながら、「うーん、協調性の大切さとかかな?どの班もかくかもだけど……」と案を出している。

「美坂さん、天才じゃね!?」
「草野は馬鹿だよな」
「菅谷は一旦黙って!」

 いつも通りの菅谷くんを見ると、昨日の出来事が嘘のように感じてしまう。

「じゃあ、この欄は協調性の大切さを上手く文章にする感じでおっけー?」
「上手くってなんだよ」
「なんか分からねぇけど上手くだよ!菅谷頼んだ!」
「やだよ、草野が書けよ」
「俺、国語の新入生テスト、下から二十番には入るぞ」
「頭わる!」
「黙れ、菅谷!」

 菅谷くんと草野くんが言い争っているので、見兼(みか)ねた美坂さんが「私が書こうか?」と名乗り出てくれる。

「え、いいの?美坂さん、もしかして国語得意?」
「国語が得意ってわけじゃないけど、字は綺麗な自信ある……!」

 美坂さんはわざと冗談めかして、草野くんと菅谷くんが頼みやすいように話してくれる。美坂さんだけに頼むのが申し訳なくて、つい「私も手伝ってもいい……?」と言ってしまう。

「いいの!?じゃあ、この欄は私と川崎さんで書こ。菅谷くんと草野くんは次の欄の『一番印象に残った出来事』を考えておいて貰ってもいい?」
「おう」

 菅谷くんと草野くんが次の欄に何を書くかを笑いながら話している横で、美坂さんと提出用の紙に内容をまとめて書いていく。
 菅谷くんが無理をしていないか、たまに視線を向けても菅谷くんの本当の気持ちを読み取ることは出来なくて。
そんなことを考えている内にグループ提出用の紙が書き終わり、それぞれ自分の机に戻って個人の感想を書いていく。
 オリエンテーションの四百字程度の感想にまとめる課題だった。こういう感想を書くのは苦手じゃない。ありきたりな言葉を並べれば、四百字を埋めることはそんなに難しくない。

「このオリエンテーションのグループ活動を通して私は-----------------」

 いつも通りありきたりな言葉を並べていく。嘘ではないけれど提出するために内容を難しめに書いたような言葉。それでも、書いていると楽しかった思い出が頭の中によぎるのだ。
 私は草野くんや菅谷くん、美坂さんに直接「楽しかった」とは言えなかった。それはきっと心の中心に「誰かと親しくなれば、その人に迷惑をかける」と思っているから。
 それでも、この紙にくらい少しだけ本心を書いて良いだろうか。どうせクラスの誰にも読まれない。先生が求めていそうな頭の良さそうな文章ではなくなるけれど……私は感想の最後の方に一番の本心を混ぜた。

「このオリエンテーションはとても楽しく、思い出に残るイベントだった」

 文字にすると何処か嘘っぽくなるけれど、これが本心だった。
 私は感想の紙を教卓の前に座っている先生のところに持っていく。それから自分の机に戻る時に、ちらっと菅谷くんに視線を向けた。
 菅谷くんは感想を書きながら、後ろの席の男子生徒に小声で声をかけられている。声は聞こえないのに、二人の笑い声を堪えようとする表情に楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
 そうやって友達と笑っている菅谷くんは本当に楽しそうで、その笑顔が全て無理をしているとは思えなかった。

「勝手に心配しすぎるのは良くないよね……」

 誰にも聞こえないほどの声でそう呟いてしまう。

 それから私は自分から声をかけず、菅谷くんから声をかけられるのを待っていた。隠し事が上手な菅谷くんは私から声をかけても「大丈夫」としか言わないと思っていたから。

 でもそれからしばらく経ったある日、私はその判断をとても後悔することになる。
 その日は、五月の中旬にしては蒸し暑い日だった。その日の午後は、オリエンテーションの振り返りを兼ねた学年集会が行われていた。体育館で学年主任の先生がマイクを持って話している。

「……新入生オリエンテーションも終わり、六月の半ばには中間テストもあります。テスト前に焦るのではなく、今から予習復習をしながらテスト勉強を……」

 きっと生徒の多くが「早く終わらないかな」と思っているような耳が痛くなる話。早く終わって欲しいと思っている生徒は多いだろうけれど、きっと私と同じ理由で終わって欲しいと思っている人はいないだろう。
 学年集会でスクールバッグを持ってくる人なんていない。つまり、いつもバッグに入れているぬいぐるみも持ち込めない。
 オリエンテーションの時に持って行った手のひらサイズのぬいぐるみを制服のポケットに入れようと思ったが、手のひらサイズでも学年集会でぬいぐるみを握りしてめいたら隣の人にバレてしまう。
 学年集会などの静かな場所は症状が出やすいのに、目立つのが嫌な私には一番出て欲しくない場所。



 寂しい。



 顔を出しそうになる感情をなんとか押さえつけながら、心の中で何度もいつもの言葉を唱える。


「大丈夫。寂しくない。寂しくないよ」


 私は症状をなんとか抑えようとしながら、菅谷くんのことが頭をよぎった。
 菅谷くんが大丈夫か心配なのに、出席番号順に並ぶ学年集会では菅谷くんは私の後ろ側になってしまう。菅谷くんに視線を向けたくても、振り向くことは出来なくて。
 そんな心配をしながらも、私は自分の症状を抑えることで精一杯だった。
 だから、きっと……そんな最低な私は菅谷くんに学年集会の始まる前にも声をかけなかった。
 菅谷くんから相談されるまで待っていた。菅谷くんもあまり聞かれたくないだろうって。それが正しいと思っていた。

 全校集会が始まって三十分、静かな体育館に大きな音が響き渡る。



 ドン。



 生徒たちがザワザワし始めて音のする方を振り返ると、私のクラスの列で人だかりが出来ている。

「川北先生!木本先生!すぐに保健の先生を呼んできて!それと救急車!」

 ゾッ、と身体が芯から冷えたのが分かった。身体は動かないのに、心臓だけドクドクと聞いたことがないくらい早く鳴り響いている。



「菅谷!」



 人だかりの中の菅谷くんの友達の焦った声が体育館に響き渡った。
 人だかりのせいで倒れている人物を確認することは出来ない。それからの先生たちの対処は早くて、すぐに倒れた生徒は運び出されていく。

 何が起こっているの?

 そう心の中で問いかける自分がいるのに、心のどこかでは何が起こったのかを理解していた。
 学年集会は倒れた生徒が運び出されると、続きが再開される。それでも生徒たちが集中できていないのは先生も分かっているようで、すぐに学年集会は終わり生徒たちは自分たちの教室に戻っていく。

「菅谷倒れたんだって!」
「なんで!?」
「熱中症じゃねーの!」
「五月は早すぎない?」
「でも、今日めっちゃ暑いじゃん!」

 ザワザワとクラスはいつもより騒がしくて、菅谷くんの名前が飛び交っている。私は自分の席に座りながらも、心臓は早く鳴り響いたままだった。
 その時、川北先生が教室に入ってくる。

「先生!菅谷大丈夫なの!?」

 男子生徒がそう聞いたのを、川北先生が「今、説明するから座れ」と注意している。
 全員が席につくと、川北先生が軽く菅谷くんについて触れた。

「菅谷は倒れて病院に搬送されたが、もう意識も戻って大丈夫だそうだ」

 誰かが「熱中症ってことー?」と先生に聞いている。

「そこまではまだ分からない。それに関してはまず個人情報だしな。先生の口から説明するつもりはない」

 川北先生の言葉に生徒たちは口々に話し始める。

「絶対熱中症じゃん」
「菅谷、大丈夫かな」
「熱中症は大丈夫じゃねーだろ」

 川北先生は「静かに!」と生徒たちを注意した後、帰りのホームルームを始めた。
 帰りのホームルームが終わった後も、私は席を立つことが出来なかった。次々と教室からいなくなっていく生徒たちを呆然(ぼうぜん)を眺めていた。

 どうして声をかけなかったの?

 学年集会がこの病気の人には辛いって知ってたでしょ?

 自分だけが辛いとでも思っているの?

 心の中で自分を責め立てる言葉ばかりが湧き出てきてしまう。菅谷くんの病気を知っているのはこのクラスで私だけだったのに。菅谷くんを助けられるのは私だけだったかもしれないのに。
 菅谷くんから前に送られた連絡を見返す。

「頻発性哀愁症候群だった」

 その文字を見ているだけで涙が出てきそうになる。
 何とか家に帰った後はずっと菅谷くんにメッセージを送るか悩んでいた。送ったら迷惑だろうか。でも電話じゃなくてメッセージなら好きな時に見れるし……色んな考えが浮かんで上手く頭が働かない。
 その時、オリエンテーションの班のグループから通知が入った。草野くんが「菅谷大丈夫かー!?」とメッセージを送っている。
 草野くんのような素直な優しさが私にあれば良かっただけの話なのに。草野くんに続いて美坂さんも「大丈夫?ゆっくり休んでね。高校のプリントとかノートの写真欲しかったらいつでも連絡して」とメッセージを送っている。
 私もきっとこの流れでメッセージを送ればいいのかもしれない。それでも、私は菅谷くんの病気を知らなかった二人とは違う。私は菅谷くんの個人のトークルームを開く。文字を打っては消してを繰り返して、何とか文章を書き上げる。

「菅谷くん、大丈夫ですか?
 いつでも話を聞くし、何でも相談してほしい。とりあえず今はゆっくり休んで。
 クラスのみんなは菅谷くんが『熱中症』だと思っています」

 本当は「ごめんなさい」と送りたかった。謝りたかった。でも、それは私の自己満足にしかならないから。
 きっと菅谷くんはクラスのみんなに病気がバレることを一番嫌がるだろう。クラスのみんなには頻発性哀愁症候群のことはバレていないと伝えてあげたかった。
 勇気を出して送信ボタンを押す。送った後は文章を読み返さずに、すぐに携帯を閉じた。
 その日の夜はあまり眠れなくて、朝が来るまでとても長く感じた。
 次の日の朝も菅谷くんからメッセージは返って来ていなかった。メッセージが返っていないどころか既読にもなっていない。班のグループのメッセージにも菅谷くんからの返信はなかった。
 不安な気持ちが膨らむまま、高校に行ってもその日は菅谷くんはお休みで。クラスのみんなは倒れた翌日なので、あまり不思議に思っていないようだった。

 それでも、翌日もその次の日も、菅谷くんは高校に来なかった。

「菅谷、大丈夫かな?今日で休んで三日目だろ?」
「倒れたんだし仕方ねーだろ」
「明日は来るかな?」
「来週までは少なくとも厳しいんじゃね?」

 そんな声が聞こえる教室で私はそっとスマホを開いた。昨日の夜、班のグループにも個人のトークルームにも菅谷くんから返信が来た。
 班のグループには、「大丈夫!心配かけて悪い。でもしばらくは安静にして休むかも!」と送られていた。草野くんと美坂さんは菅谷くんから返信が来たことに安心したようだった。草野くんは「お見舞い行くか!?」と明るく返している。
 菅谷くんはクラスの友達にも同じようなメッセージを送ったらしく、先ほどの男子生徒の会話にもう一人加わっている。

「菅谷、しばらく休むらしいぞ。安静にするって。昨日メッセージ来た」
「マジ!?しばらくってどのくらい!?」
「知るか!」

 その会話を聞いて、菅谷くんがメッセージを送ったことに安心する生徒も多かった。
 私はもう一度自分のスマホに目を向ける。スマホには菅谷くんとの個人のトークルームが表示されている。

「川崎さん、ありがと」

 菅谷くんから返ってきたメッセージは、たったその一言だけだった。菅谷くんが無理に元気を装ったメッセージを送らなくて嬉しいという気持ちと心配の気持ちがせめぎ合っていた。
 その時、後ろから「川崎さん!」と声をかけられた。

「草野くん、どうしたの?」
「ねぇねぇ、川崎さんさ。菅谷の家に一緒に高校のプリント渡しに行かない?」
「え……?」
「ちょっとお見舞いも兼ねてさ!そういえば班のグループで川崎さんが何も送ってなかったけど、なんかあった?今まで川崎さんがメッセージをスルーしたことなかったしさ!」

 確かに私は班のグループで何も発言していない。草野くんが不審に思ってもおかしくないだろう。

「あ、えっと……菅谷くんに直接メッセージ送ったから、グループでは言わなかったっていうか……」
「ああ、なるほど!了解。じゃあ、お見舞いはどうする?」

 この病気は風邪とは違う。菅谷くんは私のメッセージを「否定」しなかった。つまりきっと倒れたのは頻発性哀愁症候群のせいだ。
 お見舞いに行ったら、菅谷くんが困るかもしれない。

「菅谷くん、まだ病院に入院してるんじゃない……?」
「昨日、家帰れたらしい!それにそろそろプリントも溜まって来たからさー。もちろん菅谷に連絡取ってからだけど」

 どうしよう、菅谷くんの本心が分からないけれど……行っても菅谷くんが無理をして笑うだけのような気がした。

「休んでる時に人が来たら疲れちゃうかもだし……あ!私が菅谷くんに連絡しておくよ。今日は金曜日だから土日の間に連絡とって、もし大丈夫だったら月曜日に行こ!」

 無理やり明るめに出した声がバレていないことを願いながら笑うと、草野くんが「オッケー!任せる!」と言って自分の席に戻っていく。
 私は草野くんが席に戻っていった後、もう一度スマホの画面に視線を向けた。ゆっくりと考えながら、文字を打ち込んでいく。

「菅谷くん、体調はどう?
草野くんと月曜日あたりに菅谷くんのお見舞いに行こうって話が出てるんだけど、大丈夫かな?
嫌だったら遠慮なく言ってね」

 すると、すぐに既読がついて菅谷くんから返信が返ってくる。

「川崎さん、明日の土曜日会える?」

 それは菅谷くんのSOSな気がした。私はすぐに「大丈夫!」と返信を送った。菅谷くんからもう一つメッセージが入る。

「申し訳ないんだけど、草野にはお見舞いを断っといてほしい。病気のこと言いたくなくて」

 菅谷くんのその言葉の気持ちが痛いほど分かって胸が苦しくなる。
 病気を明かすから信頼している人な訳じゃない。だって当たり前だけれど、私より草野くんの方が菅谷くんと仲が良いに決まっている。それでも、違うの。いろんな条件とかその時の気持ちとか色んなものが合わさって、病気を明かしたり秘密にしたりしながら、何とか毎日を生きている。
 私は菅谷くんに「分かった。草野くんには上手く言っておくね」と返した。草野くんには「菅谷くんはまだ本調子じゃなくて、会えそうにない」と伝えておいた。

 その日の夜、リビングのソファでテレビを見ていた。どのチャンネルにしようか悩みながら、順番にチャンネルのボタンを押していく。見たいテレビがなくて、私は録画されている番組を確認する。その時、私の手が急に止まった。

【頻発性哀愁症候群の苦しみ】

 見出しにそう大きく書かれている番組。きっとお母さんが録画したのだろう。頻発性哀愁症候群は有名な病気ではない。だからこそ特集などはあまり見たことがなかった。
 私はつい再生ボタンを押してしまった。まず頻発性哀愁症候群という病気の説明から始まり、病気の当事者へのインタビューなどが行われている。
 その時、専門家の先生のインタビューが始まった。

「頻発性哀愁症候群は先天性と後天性があります。後天性の場合は何らかの出来事などで発症する場合があり……その出来事は本人にとって印象に残ることが……」

 気づいたらプツッっとテレビの電源ボタンを押してしまっていた。目の前のテレビの画面が真っ暗に変わる。
 私も菅谷くんも後天性の頻発性哀愁症候群である。私にだって言いたくない過去くらいある。きっと菅谷くんにだって……ううん、今はそんなことより菅谷くんの体調が第一だ。
 私は明日菅谷くんに会うためにその日は早めにベッドに入った。
 翌日の菅谷くんとの約束は10時だった。前と同じ公園で会おうと菅谷くんは言ったが、菅谷くんの体調が心配だった私は「菅谷くんの家にお邪魔出来るなら、私が会いにいくから菅谷くんは家で休んでいてほしい」と送った。
 10時の約束なのに、目が覚めて時計を見ると6時を指している。

「もう一眠りしようかな……」

 しかし、気持ちがどこか落ち着かなくてもう一度目を瞑っても眠れる気がしない。
 ふと、昨日のテレビの番組を思い出してしまう。

「頻発性哀愁症候群は先天性と後天性があります。後天性の場合は何らかの出来事などで発症する場合があり……その出来事は本人にとって印象に残ることが……」

 思い出したくなくても、ただベッドで目を瞑っているだけの今の状態では嫌でも記憶が(よみがえ)る。


 小さい頃から絵が好きだった。当たり前のように中学の部活は美術部を選択した。

「え!奈々花ちゃん、絵上手(うま)くない!?」
「それ思った!」

 優しい部員に囲まれて、ただ絵を描ければそれで良かった。それでも、私が入っているのは美術「部」でコンテストにだって出さなくてはいけない。
 初めて部活で描いたのは地域のお祭りのポスターコンテストだった。私は前の年にそのお祭りに行っていたので、その光景を思い出しながらポスターを完成させた。
 応募数は100作くらいで、私は地域で使われるポスターに選ばれた。

「奈々花ちゃん、おめでとう!」
「マジですごくない!?」
「私、ポスター見かけたら写真撮ろ!」

 嬉しくて、家に帰ってすぐに両親に報告した。両親はとても喜んでくれて、その週末は私の好きなご飯を作ってお祝いをしてくれた。
 好きだった絵を描いて認められることが、ただただ嬉しかった。それでもまだ私は幼くて、結果より周りの人が喜んでくれることが嬉しかった。褒めてもらえることが嬉しかった。
 私の美術部の顧問の先生は熱心な人で、私に次のコンテストを進めてくれる。

「川崎さん、このコンテスト応募してみない?」

 しかし、美術の世界はそんなに簡単なものじゃなくて、次のコンテストは当たり前のように落ちてしまった。それでも、それからも選ぶコンテストによっては賞を取ることが出来た。
 そんなに大きくない美術部では、私への期待は大きくなっていく。

「奈々花ちゃん、また賞取ったの!?」
「凄くない!?」

 周りからの嫉妬はなかった。中学は部活が強制で、絵が好きじゃなくても運動が嫌いで美術部に入る生徒も多かったから。
 周りが楽しそうにおしゃべりをしながらゆっくりと絵を完成させていく中、私だけコンテストに追われるようになった。

「川崎さん、次はこのコンテストを……」

 私が気づいていないだけで、誰も私に期待なんてしていなかったのかもしれない。うん、きっと多分誰も本気で期待なんてしてなかった。
 私が勝手に自分が出してきた結果にプレッシャーを感じるようになっただけ。

 馬鹿みたいだけど、誰かに褒められたかっただけ。

 それほどまでに私は幼かった。中学生という難しい時期に私は「他人の評価」を求めてしまった。
 段々とどうやって絵を描いていたのか分からなくなっていく。

「奈々花ちゃん、今日の放課後遊ばない?」
「ごめん!今日はもうちょっと今書いている絵を進めたくて……!」
「あれ、今日部活休みじゃなかったっけ?」
「そうなんだけど……ちょっと家でも描こうかなって!」

 一つのことだけで視界がいっぱいになっていく。焦れば焦るほど評価は出ないのに、周りの部員とは(あいだ)が空いていく。

「奈々花ちゃん最近ノリ悪くない?」
「元からでしょ」




「一人で絵を描くのが好きなんじゃない?」




 壊れかけるには十分な言葉が部室から聞こえてきても、当たり前だけどもう過去に戻ってやり直すことは出来なかった。
 焦って描いた絵で結果が出るわけがない。他の部員が帰った後も、一人残って下校時刻ギリギリまで作品制作を進めていた。そんな「頑張っている自分」に酔っていたのかもしれない。
 集中して近づいて描いた絵を離れた場所から見ると、全然良い作品ではなかった。まるで今の私みたいで。

 そのことに気づいた瞬間、その感情は急に私を襲ってきた。



 寂しい。



 その感情に振り回されていく。



 寂しい。



 周りと距離が出来てから、初めてそのことに気づくのだ。そして、意識し始めた「寂しい」という感情は、段々と大きくなっていく。
 そこからはあっという間に「頻発性哀愁症候群」を発症した。その後、中学校も休むことが多くなり、部活は自然と行かなくなった。
 周りから見れば、小さすぎる出来事かもしれない。それでも、私に取っては大きすぎる出来事だった。
 「悩みは人それぞれ」とよくいうけれど、まさにその通りだと思う。周りから見れば大したことのない出来事で私の人生は壊れていった。

 思い出したくない昔話から私を戻してくれるように、一階からお母さんの声が聞こえる。

「奈々花ー、起きてるー?朝ごはん出来たけれど、もう食べられる?」
「はーい!」

 もう一度時計に目を向けると、七時前を指していた。中学の時を思い出しながら、少し眠っていたのかもしれない。
 私は一階に降りて朝ご飯を食べ終えた後に、出かける準備を済ませる。
 菅谷くんが送ってくれた家の住所をスマホで調べると一駅先だった。電車の時間から逆算して家を出る。最寄り駅までの道のりは見慣れた道のはずなのに、どこか見慣れていないような不思議な感覚に(おちい)った。
 菅谷くんの家の最寄り駅に着くと、自分の最寄り駅とは少し違う雰囲気がする。私はスマホにもう一度菅谷くんの住所を入れて、場所を調べた。
 歩いたことのない道が続いていた。たった一駅先でもこんなに知らないものなんだなと不思議な感覚がする。
 菅谷くんの家の近くまで来たら、表札を確認しながら歩いていく。

 「菅谷」と書かれた綺麗な白い外壁の家が立っている。

 スマホで時間を確認すると「9:56」となっている。10時に約束なので、ちょうど良い時間だろう。
 すぐにチャイムを鳴らそうと思ったが、一瞬だけ押すことに緊張して躊躇(ためら)ってしまう。しかし、緊張より菅谷くんの体調が気になった私は勇気を出してチャイムを押した。

「はーい」

 女性の声が聞こえて、菅谷くんのお母さんらしき人が扉を開けてくれる。

「あ……こんにちは。私、菅谷くんと同じクラスの……」

 私の自己紹介が終わる前に、菅谷くんのお母さんが「川崎さんでしょう?柊真(しゅうま)から聞いているわ」と笑顔で教えてくれる。

「ごめんなさい。本当は柊真が出迎えられたら良かったのだけれど、調子が悪いみたいで代わりに私に出て欲しいって……」
「っ……!菅谷くん、そんなに調子が悪いんですか……!?」

 ついそう聞いてしまった私に、菅谷くんのお母さんは悲しそうに微笑んだ。

「私たち家族とは話してくれるのだけれど、他の人が怖いみたい。丁度10時くらいに別の人がチャイムを鳴らすことなんて滅多にないのに、別の人が出たら怖いって」

 いつもクラスの中心にいる菅谷くんからは考えられないほど弱っているのかもしれない。

「だから、友達が来るって聞いて私も心配でつい聞いたの。『大丈夫なの?』って。そしたら、『俺の病気のこと知ってる人だから』って……川崎さん、本当にありがとう」

 悲しそうな笑顔のまま、菅谷くんのお母さんは私に(すが)るような言い方でお礼を言った。
 菅谷くんは自分がそんな状況になっても「俺の病気を知っている人だから」と自分のお母さんに伝えた。「同じ病気の人だから」とは言わずに。
 私の病気を明かさないでくれた。菅谷くんがどれだけ優しい人か分かっていたはずなのに、また私は菅谷くんの優しさを感じるのだ。
 私は勇気を出して、菅谷くんのお母さんに自分の病気を説明する。

「私も同じ病気なんです……」

 私の言葉に菅谷くんのお母さんはとても驚いた様子だった。頻発性哀愁症候群は稀な病気で、同じクラスにいるとは普通は考えない。
 菅谷くんのお母さんは「そうだったのね」と私と目を合わせて、言葉を返してくれる。
 きっと菅谷くんのことが心配なはずなのに……同じ病気の私に聞きたいことは沢山あるはずなのに、菅谷くんのお母さんはそれ以上何も聞かなかった。その優しさが菅谷くんにそっくりだった。
 
 階段を上ってすぐに菅谷くんのお母さんが足を止める。

「ここが柊真の部屋」

 菅谷くんのお母さんが部屋の扉をノックした。

「柊真。川崎さんが来てくれたわよ」

 それだけ言って、菅谷くんのお母さんは私に会釈(えしゃく)をして階段を降りていく。
 私はもう一度菅谷くんの部屋の扉をノックした。

「菅谷くん、入っても大丈夫?」
「うん。川崎さん、来てくれてありがとう」

 私が入る前に菅谷くんが部屋の扉を開けてくれる。出てきた菅谷くんは、風邪を引いているかのように体調が悪そうだった。

「大丈夫……!?ベッドに横になったままでもいいよ!」
「ううん、大丈夫。ありがとう」

 いつもより菅谷くんの「ありがとう」が多い気がした。きっとそれは菅谷くんなりの防御なのかもしれない。
 私は菅谷くんの部屋に置かれているローテーブルの隣に座らせてもらう。菅谷くんはローテーブルの反対側にゆっくりと腰掛けた。

「川崎さん、急に呼んでごめんね」
「ううん、それは全然大丈夫けど……本当に体調大丈夫?」
「……えっと……」
 
 「大丈夫」と口癖のようにいつも無理をする菅谷くんが「大丈夫」と言えないほど体調が悪いのだろう。

「頻発性哀愁症候群のせいだよね……」

 ポツッとそう呟いた私の声に菅谷くんは体育座りで丸まるように顔を(うつむ)けた。


「俺、もう壊れたかも……」


 菅谷くんの壊れるはもう過去形で、その言葉に胸がギュゥっと苦しくなって目が潤んでしまう。

「学年集会の時、症状が出て……いつもより酷くて、無理やり耐えても呼吸が荒くなって……視界が歪んだと思ったら、もう倒れてた」

 菅谷くんはオリエンテーションの夜に会った時と同じで顔を上げなかった。

「病院で目が覚めた時、馬鹿みたいだけど安心したんだ。ああ、もういっかって。もうどうでもいいやって。自分が自分を諦めたことに(ひど)く安心した」

 菅谷くんが今どんな気持ちで話しているか想像するだけで涙が頬を伝っていく。



「ねぇ、川崎さん。俺、死んでもいい?」



「菅谷くん!」



 気づいたら、私は大きな声で菅谷くんの名前を呼んでいた。なんて声を掛ければいいかも分からないくせに。

「ごめん、冗談。本当に俺、何言ってるんだろ」

 いつも無理をする菅谷くんが無理を出来ないほどに壊れかけている。いや、もう壊れているのかもしれない。
 私も寂しさでおかしくなって死にたくなる時はある。それでも、人にそう言ってしまったことはなかった。どうしよう、本当に菅谷くんが壊れてしまう。
 焦っても言葉は出てこなくて。

「なんかさ、寂しくても死なないはずなのに、死にたくて堪らなくなる時ない?」

 あるよ。分かりすぎるくらいある。

「それにどうせ誰に言っても理解されないし。『寂しくなる病気』ってなんだよって。誰だって寂しい時くらいあるって言われるに決まってる」

 知ってるよ。分かるよ。私もずっとそう思っている。

「どうしよ、もう高校行きたくない。この状態じゃ笑えない」

 菅谷くんにかけられる言葉が見つからないのに「菅谷くん」と名前を呼んでしまう。

「ん?」
「あ、えっと……」
「こんなこと言われても困るよな。ごめん」
「ちがっ……!そうじゃなくて……!」

 私は早くなる心臓をなんとか抑えながら、言葉を(つむ)いでいく。

「菅谷くん、寂しい時どうしてる?」
「え……?」
「前に言ったでしょ。私はぬいぐるみと手を繋いだり、『寂しくない。大丈夫』って言い聞かせるって。菅谷くんはどうしてるのかなって思って……」
「俺は川崎さんにそう教えてもらってから、家では小さなぬいぐるみを握ってる。学年集会の時はぬいぐるみを持ち込めなかったから『大丈夫。寂しくない』って」
「じゃあ、一緒だ」
「……?」

「私もその時、『大丈夫。寂しくない』って心の中で唱えてたの。だから一緒だよ。あの時、菅谷くんも一緒に『寂しくない』って自分に言ってたんだね」

 自分が何を言っているのか分からないのに、私は目からポロポロと涙が溢れていく。

「私たちはこんな病気だけど、二人とも寂しがり屋で、寂しさに悩まされてる。一緒にこの病気と闘ってる。本当は菅谷くんが前に進んでいるように感じて、焦る時もあるの。でもそれ以上に菅谷くんがいて助けられてる」

 涙が止まらなくて、段々言葉に嗚咽(おえつ)が混じって言葉が詰まってしまう。


「私が体調が悪い時は真っ先に気づいてくれて、周りのクラスメイトを笑顔にして、頑張って高校を楽しもうとしてる菅谷くんに助けられてる……憧れてる、の……無理に笑わくていいから……弱音を吐いたっていい、から……死なないで……欲しいだけなの」

 
 言葉に詰まりながらでも、この気持ちが伝わっただろうか。涙でぐちゃぐちゃの顔をなんとか拭っても、全然涙は止まらない。

「菅谷くん、菅谷くんの気持ちが全部分かるなんて言わないから……そんなこと言わないから……だって菅谷くんの本当の気持ちはきっと菅谷くんにしか分からないから……だから、教えて欲しい……」

 菅谷くんは気づいたら、もう顔を上げていた。涙でぐちゃぐちゃの私の顔を見つめている。

「川崎さん、俺が笑顔じゃくてもいいの?こんな病気でもいい……?」
「笑顔なんかじゃなくていい……それに病気なのは私も一緒。『寂しがり屋仲間』」

 菅谷くんはしばらく何も言わなかった。私は涙を拭こうと、バッグからポケットティッシュを取り出す。それに気づいた菅谷くんがティッシュ箱を私の前に差し出してくれる。そして、そのまま私の隣に座った。

「川崎さん、ちょっと昔話してもいい?俺の中学の頃の話」

 菅谷くんの言葉に私は小さく頷いた。
 菅谷くんはカーテンの閉まっている窓を見つめながら、過去を思い出しているようだった。

「俺、中学の頃から友達が多い方でさ。部活の友達も同じクラスの友達もどっちもいたんだ。サッカー部の友達もクラスの友達も良いやつばっかで……まぁ草野見てれば分かると思うんだけど」

 友達のことを話す菅谷くんはいつも教室の真ん中にいる時のような雰囲気を感じた。

「ずっと楽しくて、アホなことばっかやって笑ってた。でも部活でちょっとへこむことがあった時があって、ついクラスのやつに愚痴を言っちゃったんだ。そしたら、『大丈夫だって!菅谷の明るさならどんなことも倒せる!』って」

 菅谷くんが見つめているカーテンの隙間から光が少しだけもれていた。

「そいつは慰めてくれただけだし、勿論嬉しかったんだけど……『みんな明るい俺が良いんだ』っていうことを意識したら、ズンって心が重くなったのを感じた。それから、あんまりうまく笑えなくて……そしたら教室で友達が話しているのが聞こえたんだ」

「『最近、菅谷が菅谷らしくねぇよな』って。『一緒にいても楽しくない』って。勿論そいつらは中学の友達で草野じゃないんだけど……なんかその日から誰も信頼できなくて、ずっと『明るい』まま生活してる」

「誰も暗い部分の俺は求めてないって気づいたら、周りに誰もいない感じがした。それから『寂しい』って感情が頻繁に起こるようになったんだ。でも、ずっと認められなくて無理をし続けてた。それで入学式の時、ついに限界が来て川崎さんに出会ったんだ」

 菅谷くんが窓に向けていた視線を私に向ける。


「さっき川崎さんが言ってくれたでしょ。『笑顔じゃなくてもいい』って。入学式の日も今も俺を助けてくれるのはいつも川崎さん」


 菅谷くんの言葉は真っ直ぐで、嘘がなくて、そんな菅谷くんの苦しみにいま私は触れている。

「川崎さん、もう一回あの言葉言ってくれる?」

 私は涙を拭くことも忘れたまま、菅谷くんの方を向いてもう一度あの言葉を唱えた。


「寂しくない。大丈夫」


 菅谷くんが下を向いて、嗚咽(おえつ)を堪えているのが分かった。

「寂しいんだ。俺、本当に寂しい」

 泣きながら、菅谷くんはそう繰り返した。

「寂しくて息が出来ない」
「うん。私も寂しくていつもぬいぐるみと手を繋いでる」
「こんな症状のせいで高校では部活も入れない。本当に息が苦しくなるんだ。もう死ぬんじゃないかって不安になる」

 菅谷くんが何とか顔を上げた。

「川崎さん、でも俺、死ぬんじゃないかって不安になるってことは死にたくないのかな……?」

 菅谷くんの絞り出したような言葉に私は気づいたら菅谷くんの手を握っていた。ただ握ることしか出来なかった。

「川崎さん、また症状が出たら俺の手を握ってくれる?」

 震えた菅谷くんの問いに私は頷いた。拭いたはずの涙がまた頬に伝ったのが分かった。

 どれくらいそのまま手を繋いでいただろう。しばらくして、菅谷くんが立ち上がった。

「川崎さん、月曜日の授業に数学ってある?」
「……?確かなかったと思うけど……」
「やった。じゃあ、行こ」

 菅谷くんのその言葉がどれほどの勇気がいる言葉なのか私には想像もつかなかった。

「川崎さん、今日は本当にありがと」
「ううん、全然。また月曜日ね」

 「また月曜日」と言えることの喜びを噛み締めたかった。
 菅谷くんの部屋を出て、階段を降りると菅谷くんのお母さんがリビングから出てくる。

「川崎さん」
「長居してしまってすみません」
「全然大丈夫よ。今日はありがとう」
「いえ、お邪魔しました」

 私は菅谷くんのお母さんに会釈(えしゃく)をして、菅谷くんの家を出ようとした。

「川崎さん……!」

 菅谷くんのお母さんに呼び止められて振り返る。

「これからも柊真をよろしくね」

 菅谷くんのお母さんの言葉に私は「はい」と頷くことしか出来なかった。
 菅谷くんの家を出た後の駅までの道のりは早く感じて、すぐに駅に着いてしまう。電車に乗っている間も携帯を触る気分になれなくて、電車の窓から外の風景を眺めていた。