どれだけ菅谷くんの心配をしても、私の症状も酷くて自分のことだけで手一杯になってしまう。そんな自分が歯痒いのに、実際私が菅谷くんに出来ることなんてなくて。
 次の学校の日も、私はクラスの中心で笑っている菅谷くんを目で追うことしか出来ない。

「今日の五限はオリエンテーションの振り返りだから覚えておくように」

 朝のホームルームで先生が今日の予定を説明していく。その日の昼休みも菅谷くんは沢山の友達に囲まれていた。

「なぁ菅谷、今日の放課後遊ばね?」
「何すんの?」
「決まってない。ていうか今月お小遣いピンチなんだよな」
「俺もー」

 明るくて優しい菅谷くんはまさに理想の高校生だろう。でも、きっと今も菅谷くんは心のどこかで症状を我慢しているのかもしれない。
 このクラスで菅谷くんの秘密を知っているのは私だけなのに、何も出来ない自分が歯がゆかった。偶然、私が菅谷くんと同じ病気だっただけで、菅谷くんが私を信頼しているのかすら分からない。

 五限目が始まって、オリエンテーションの班で集まった。まず班でオリエンテーションの振り返りの紙を書いた後に、個人でオリエンテーションの感想を一枚提出する予定だった。
 草野くんが班で提出する紙を読み上げてくれる。

「まずオリエンテーションで学んだことだってさー……そんなのある!?遊んだ記憶しかないんだけど!」
「草野は玉ねぎの切り方を学んだだろ?」
「菅谷、お前馬鹿にしてるだろ!」
「あはは、草野は馬鹿だろ」

 草野くんは菅谷くんの頭をペチンと叩きながら、私と美坂さんに視線を向ける。

「美坂さんと川崎さんは何か思いつく?」

 美坂さんがオリエンテーションのしおりを見ながら、「うーん、協調性の大切さとかかな?どの班もかくかもだけど……」と案を出している。

「美坂さん、天才じゃね!?」
「草野は馬鹿だよな」
「菅谷は一旦黙って!」

 いつも通りの菅谷くんを見ると、昨日の出来事が嘘のように感じてしまう。

「じゃあ、この欄は協調性の大切さを上手く文章にする感じでおっけー?」
「上手くってなんだよ」
「なんか分からねぇけど上手くだよ!菅谷頼んだ!」
「やだよ、草野が書けよ」
「俺、国語の新入生テスト、下から二十番には入るぞ」
「頭わる!」
「黙れ、菅谷!」

 菅谷くんと草野くんが言い争っているので、見兼(みか)ねた美坂さんが「私が書こうか?」と名乗り出てくれる。

「え、いいの?美坂さん、もしかして国語得意?」
「国語が得意ってわけじゃないけど、字は綺麗な自信ある……!」

 美坂さんはわざと冗談めかして、草野くんと菅谷くんが頼みやすいように話してくれる。美坂さんだけに頼むのが申し訳なくて、つい「私も手伝ってもいい……?」と言ってしまう。

「いいの!?じゃあ、この欄は私と川崎さんで書こ。菅谷くんと草野くんは次の欄の『一番印象に残った出来事』を考えておいて貰ってもいい?」
「おう」

 菅谷くんと草野くんが次の欄に何を書くかを笑いながら話している横で、美坂さんと提出用の紙に内容をまとめて書いていく。
 菅谷くんが無理をしていないか、たまに視線を向けても菅谷くんの本当の気持ちを読み取ることは出来なくて。
そんなことを考えている内にグループ提出用の紙が書き終わり、それぞれ自分の机に戻って個人の感想を書いていく。
 オリエンテーションの四百字程度の感想にまとめる課題だった。こういう感想を書くのは苦手じゃない。ありきたりな言葉を並べれば、四百字を埋めることはそんなに難しくない。

「このオリエンテーションのグループ活動を通して私は-----------------」

 いつも通りありきたりな言葉を並べていく。嘘ではないけれど提出するために内容を難しめに書いたような言葉。それでも、書いていると楽しかった思い出が頭の中によぎるのだ。
 私は草野くんや菅谷くん、美坂さんに直接「楽しかった」とは言えなかった。それはきっと心の中心に「誰かと親しくなれば、その人に迷惑をかける」と思っているから。
 それでも、この紙にくらい少しだけ本心を書いて良いだろうか。どうせクラスの誰にも読まれない。先生が求めていそうな頭の良さそうな文章ではなくなるけれど……私は感想の最後の方に一番の本心を混ぜた。

「このオリエンテーションはとても楽しく、思い出に残るイベントだった」

 文字にすると何処か嘘っぽくなるけれど、これが本心だった。
 私は感想の紙を教卓の前に座っている先生のところに持っていく。それから自分の机に戻る時に、ちらっと菅谷くんに視線を向けた。
 菅谷くんは感想を書きながら、後ろの席の男子生徒に小声で声をかけられている。声は聞こえないのに、二人の笑い声を堪えようとする表情に楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
 そうやって友達と笑っている菅谷くんは本当に楽しそうで、その笑顔が全て無理をしているとは思えなかった。

「勝手に心配しすぎるのは良くないよね……」

 誰にも聞こえないほどの声でそう呟いてしまう。

 それから私は自分から声をかけず、菅谷くんから声をかけられるのを待っていた。隠し事が上手な菅谷くんは私から声をかけても「大丈夫」としか言わないと思っていたから。

 でもそれからしばらく経ったある日、私はその判断をとても後悔することになる。