上司も、後輩も、必死に彼を止めた。理由を尋ね、何かあるなら休職という形でもいいんじゃないか、と説得した。

 でも首を縦に振らなかったのは永田だ。彼は寂し気に微笑み、「もう決めたことですから」と何度も繰り返した。

 私はそんな彼の様子に、納得がいっていなかった。




 永田の退職日、花束を渡され、彼は笑顔で最終日を迎えた。送別会をしよう、というみんなの提案を丁寧に断り、彼は周りに深々と頭を下げた。

「えー永田さんがいなくなると寂しくなるー」

「会社としての損失も大きいですよー!」

 女子社員たちは口々にそう言い、永田の袖を握りしめた。

「ありがとうございます。でもどうしても、実家に帰らなくちゃいけなくて」

「家業を継ぐとかですかー?」

「一身上の都合です」

「えー! 気になるー!」

 女子たちは口をとがらせて言うも、永田は笑って流した。どうやら実家に帰るらしい、という噂は聞いていた。だが帰って何をするかまでは話されていなかった。親の体調が悪いからだとか、地元に帰って結婚するだとか、いろいろな憶測は流れていたが、どれもみんなが面白がって言っていたものばかりだ。

 私は色とりどりの花を抱く永田の顔を、離れたところからじっと見る。
 
 永田がいなくなれば、私は営業成績が一位になれるかもしれない。だが、それはあまり嬉しい事ではなかった。私は確かに永田に勝てなくて悔しい思いをしてきたが、だからといってこんな不戦勝は望んでいない。

 むしろ、彼に勝つということが一生できなくなってしまったのだ。

 永田はそれぞれに挨拶していると、ふとこちらを見た。ばちっと目が合ってしまい、慌てて逸らす。

 コツコツとこちらに歩み寄り、私の顔を覗き込んだ。

「真野。今までありがとう。これからも頑張ってな」

 ありがとうなんて言われる立場じゃない。どちらかと言うと私は彼を避けがちで、時々仕事を手伝うことがあったぐらいの関係だ。なのに、なぜお礼を言うんだろう。
 
 私は何も返せず、ただ小さく頷いた。

 永田は再度周りに深々とお辞儀をすると、凛とした声で言った。

「お世話になりました、ありがとうございました」

 そう言う彼の手が、花束を力強くぎゅっと握っていたことに、私は気づいていた。